第3回Twitter文学賞国内編第1位を受賞した『本にだって雄と雌があります』の衝撃から、9年。最も刊行が待たれた作家の最新作、『残月記』がついに刊行された。
「なんと豊かな物語性だろう。娯楽に徹しながら、あきらめとその先にあるものまで見せてくれる」(東山彰良氏)、「打ちのめされた。あまりに豊穣な詩と魔術。古今を貫いて比類がない、これから千年輝き続ける現代小説の最高峰」(真藤順丈氏)、「かくも苛烈で静かな恋愛小説がかつてあっただろうか」(大森望氏)、「この三つの物語が刻印されてしまったら、もう以前と同じように月を見上げることはできない」(豊崎由美氏)。
諸氏にそう言わしめる本作は、全編「月」をモチーフに、計り知れぬ想像力で構築した三つの異世界を舞台にした物語だ。近未来の日本の独裁政治下、人々を震撼させる感染症「月昴(げっこう)」に冒された男の宿命と、傍らでひっそりと生きる女との一途な愛を描ききった表題作ほか、二編を収録。
著者にとって初めての作品集に込められた思いとは――?
──9年ぶりの新作です。小田さんの作品が刊行されるのを切望していたファンも多いと思います。まず、読者の方々にメッセージをお願いします。
生来の遅筆の上に体調不良が重なり、新作を出せない悶々とする日々が長く続きました。9年ぶりということで、我ながら呆れる思いなのですが、とにもかくにも今回の『残月記』を出せたことに安堵しております。
本作には「月」をテーマにした作品が三つ収められており、中編が二つと、短めの長編が一つという風変わりな構成になっております。そしてまた、僕の初めての作品集であり、欠点は多々あるにせよ、現時点での全力を尽くした仕事になったと考えております。
──全編「月」をテーマに小説を書こうと思ったきっかけは?
もともとは「月火水木金土日」という七つの要素をテーマにした短編集を書こうと思い、まず「月」から始めました。しかしその作品「そして月がふりかえる」が思いのほか長くなってしまい、この調子では、七つも書くと長大な一冊になってしまうと考え、方針を転換し、全作「月」をテーマにした作品集にすることになりました。もし一作目の「月」をテーマにした作品がちゃんと短編らしく短く収まっていたら、今回の『残月記』は生まれず、きっとまったく別の作品集が世に出ることになっていただろうと思います。しかし僕の小説家としての数ある欠点の一つとして、“作品の長さをコントロールできない”というものがあります。ほとんどの作品が予定より大幅に長くなってしまうのです。そう考えると、もしかしたら全編「月」をテーマにした一冊というのは、必然だったのかもしれません。
──各作品の創作の背景(執筆にあたり影響を受けたもの、作品に込めた思いなど)を教えてください。
「そして月がふりかえる」
以前、ネットで月の裏側の画像を見たことがあったのですが、それが加工によって凹凸が誇張された不気味な姿だったことで強く印象に残り、そこから、もし月が裏返ったら、という発想が生まれました。これは、幸福をつかんだはずの一人の男が、突然、現実とは似て非なる別世界へと放りこまれるというパラレル・ワールド的な物語で、フィリップ・K・ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』に触発されたアイディアが使われています。
作中に“幸福という言葉にはどこか信用ならないところがある”と主人公が独白する場面がありますが、その一文は、著者である僕自身が持つ感覚であり、この物語の底にずっと横たわっている暗がりのようなものです。それゆえに終始、陰鬱な雰囲気の漂う作品になってしまったのですが、最後の最後に、ひとすじの光明らしきものを描くことにより、主人公を絶望の淵からぎりぎりで救うことを試みました。それでもこの結末は、かなり好悪が分かれるところだろうと思います。
「月景石」
以前、石についての本を読んでいたとき、「風景石」というものの存在を知りました。ネットで画像を検索すればすぐに見ることができますが、本当に風景のような模様が石の表面に浮かんでおり、とても見事なものです。その風景石と夢の中の月世界を組みあわせることにより、本作ができあがりました。
現実世界と異世界を行き来するというのは、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』や、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』などにもあるとおり、ファンタジーの王道とも言える展開ですが、僕自身は正面から取り組んだことがなかったので、個人的に新たな挑戦となりました。異世界(夢の中の月世界)の設定についても、ファンタジーにありがちな道具(魔法の石や巨樹)や展開(身寄りのない孤児や悪辣な集団による襲撃)をあえて取り入れ、レトロな雰囲気を醸し出そうと試みました。終盤にはB級ホラーの要素も取りこんで、“手に汗握る”展開になることを願いながら書きました。個人的には、三編の中で本作がもっとも娯楽性が高いと考えているのですが、娯楽性と薄っぺらさは往々にして表裏一体をなすものなので、その点を読者がどう捉えるか、気になるところです。
本作は、三編の中で唯一、女性が主人公になっております。僕は男なので、女性の視点で作品を書くことにずっと苦手意識を持っているのですが、仕事として書いている以上、いつまでも逃げつづけられるものでもないので、ときおり自分に鞭打って、挑戦することにしております。
「残月記」
いつからかもう思い出せないのですが、剣闘士の物語を書いてみたいと長らく考えてきました。しかし古代ローマについての知識がまるでない上に、充分に勉強したところで、手垢にまみれたテーマを自分なりに料理する自信が持てず、ずっと放置していました。そこに「月」をテーマにした作品を書くという仕事があり、もう一度、頭の中の古い願望を引っぱりだして融合を試みることで、本作が生まれました。
「月」と言えば「狼男」と考えるのは、僕だけではないでしょう。狼男ほど派手ではないにしても、架空の感染症によって満月の夜に身体能力が異常な高まりを見せる、そんなアイディアがまず出てきました。一時的に獣じみた力を得た男たちが、闘技場で、武器を手にして斬りあいを演じるわけです。そしてその舞台を、日本に生まれた書き手としてぜひ日本にしたいと思いました。しかし現実の日本ではこの先もそんなことは起こり得ない。そこで、パラレル・ワールド的な、もう一つの近未来の日本を創造してみることにしました。果たしてどんな日本なら、闘技場が存在しうるか。カリスマ的な独裁者が支配する、全体主義国家と化した日本ならば、なんとか無茶な設定を成立させられるかもしれない、そう考えました。
主人公は剣闘士となることを強いられますが、趣味で木彫りをし、その作風は、江戸時代に活躍した漂泊の仏僧、円空に影響を受けております。円空は一説によると、生涯に十二万体もの神仏像を彫ったとされ、遅筆な僕とはまさに対極にある、生まれついてのスーパークリエイターです。なにを創造するにせよ、ほとんどの技術や知識は後天的に身につけることができますが、創作意欲だけは、純粋に天与の才能です。兎と亀の寓話で言うならば、汲めども尽きせぬ創作意欲を与えられた円空のような人間は、休むことを知らない兎であり、亀がそれに勝つためにできることは、せいぜい長生きすることぐらいです。つまり、エネルギーに乏しい僕が、創造の化け物のような人たちに一矢報いるには、できるだけ長く書きつづけねばならないということです。果たして時間が僕に味方してくれるだろうか、とときおり考えてしまいます。
(後編へつづく)
小田 雅久仁(おだ まさくに)プロフィール
1974年宮城県生まれ。関西大学法学部政治学科卒業。2009年『増大派に告ぐ』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。12年に刊行した受賞後第一作の『本にだって雄と雌があります』で、第3回Twitter文学賞国内編第1位を獲得するなど熱い支持を得る。本作が待望の三作目となる。