10月に刊行された南綾子さんの『タイムスリップしたら、また就職氷河期でした』はタイトル通り、アラフォーの就職氷河期世代の男女が大学生に戻って人生をやり直す物語です。
タイムスリップした1999年の日本で、はじめは経験を活かして成功しようとする主人公たちは、当時は言葉すら存在しなかったパワハラやセクハラ、ブラック企業の存在に気づかされます。そしてそれらに翻弄される就活生たちにも……。彼らを放っておけなかった主人公たちがすこしだけ社会改革に関わっていく姿は、本書の読みどころの一つです。
執筆のきっかけとなったのは南さんご自身の就職氷河期世代としての体験。それがどのようにして物語に昇華されたのか、著者がその裏側を明かします!
■『タイムスリップしたら、また就職氷河期でした』南綾子
自民党の岸田総裁が第100代首相に選出され、そして、竹中平蔵らが委員を務める成長戦略会議が廃止される方向だという報道が出ました。新自由主義からの脱却を期待していいのかそれとも肩透かしをくらわされるのか、よくわからないそんな日の午後、わたしはこの原稿を書いています。
わたしはその新自由主義と“聖域なき構造改革”がタッグを組んで世に吹き荒れる少し前の2000年に、名古屋の短大生として就活をしていました。つるつるつるりんこと就職試験をスベリまくった挙句、やっと内定がでたのは十一月の終わり。有給をとったらクビだと社長が堂々宣言する、いわゆるブラック会社でした。
会社を二年で辞めた後、わたしはずっと非正規の仕事を続けていました。氷河期世代のモデルケースのような人生なわけです。だから就職氷河期というテーマで連載小説を書くと決まったとき、自分自身も氷河期世代なのだから、これまで書いてきたのと同じような、自分の身の回りのこと(婚活や女友達との付き合い、ダイエット)をモチーフにした、それほどシリアスでない、軽くて楽しい話になるんだろうと思っていました。
ところが、友人からの助言で“タイムスリップ”という要素が加わってから、一変しました。
就職氷河期の終わり頃から、勝ち組負け組といった、格差をある意味肯定するような価値観が広まっていきました。タイムスリップを単に勝ち組に成り上がる手段にさせていいのか。そうではないと思いました。ブラック企業や雇用差別、セクハラパワハラが当たり前にのさばる2000年代から2010年代の日本で、その仕組みを利用しただけのリベンジの物語にはしたくない。そうではなくて、主人公二人を就職氷河期にタイムスリップさせるということは、作者であるわたしだけでなく、主人公たちにも「就職氷河期とはなんだったのか?」と問い直させなければいけないと思ったのです。
タイムスリップなんていうご都合主義の筆頭みたいな道具を用いている時点で、この小説はリアリティの不足した夢物語かもしれません。自分の成功二の次で誰かを助けてばかりいる主人公たちの行動は、そこにさらに輪をかけてしまっている可能性があります。でも、それでも、問い直す中で、自己責任のルールを真っ向から否定する彼らを書きたくて、結果、こうなりました。
南綾子