すっかり銭湯に魅せられてしまった私は、O先輩と共に、「おすすめ 銭湯 都内」で検索した銭湯を片っ端から巡りまくった。

 

 青山のド真ん中にあるオシャレな銭湯「清水湯」、”黒湯”という東京ならではの温泉と花見風呂を楽しめる池上の銭湯「桜湯」、湯上りに二階の宴会場でお酒とカラオケを楽しめる銭湯「蒲田温泉」など。

 

 ”湯に浸かる”ことは同じなのに、銭湯ごとに個性豊かすぎるのがすごく楽しい。

 

 私が特に好きなのは”完全に店主の趣味だろ”と思う、キューピッドの石像や年季の入ったぬいぐるみなどが飾られている銭湯。決して銭湯に合っているとは言えない置物に店主の強い思い入れを感じられて、なんだかその人の心を覗きみているようでワクワクしてしまうのだ。

 

 やがてただ銭湯に入るだけでは飽き足らず、ランニング→銭湯→酒のコースを開拓したり、湯船でお客さんに絡んでその地域の美味しいご飯屋さんを教えてもらったり、オリジナル銭湯Tシャツを作ったりと、銭湯マニアっぷりに磨きをかけていった。

 

 

 

 銭湯巡りに興じる一方、同級生のMちゃんとのSNS上の交換絵日記を毎日の楽しみにしていた。

 

 私もMちゃんも、大学の頃からよく絵を描いていて”休職中だし何か描きたいよね”という思いが一致して1日交代でSNSに1枚の絵を投稿することにしたのだ。

 

 最初は、美味しいスコーンや文房具の話などを絵日記風に描いていたが、銭湯巡りが加熱してくると、もう私がアップする絵は銭湯のことばかり。

 

 そんなある日、ふと銭湯の立体的な絵を描いてみようと思った。授業で習った建築図法の”アイソメトリック”を使えば、より銭湯の魅力をMちゃんに伝えられるかも。

 

 目の前にあったスケッチブックを破いてマジックで一発描き。そのままスマホで撮影して、SNSに投稿した。これでMちゃんが銭湯の建築の魅力にも気づいてくれたらいいなとボヤボヤ妄想していたら、瞬く間にいいねが12もついていた。

 

 ンェ!? 嘘ォ! 普段なら2〜5いいねがいいところなのに!

 

 どうやらフォロー外の銭湯ファンがいいねを押してくれたようだ。嬉しい。私なんかの絵が、同じように銭湯が好きな人から褒められるなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「銭湯を図解しているんだね」イラストをみたMちゃんの一言からイラストに『銭湯図解』と名付け、そこから何枚も何枚も銭湯図解を描いてSNSに投稿した。

 

 新しい銭湯に足を運び、家に帰ったらwebで資料を集めて、無我夢中で絵を描く日々。8枚ほど描いた頃、銭湯メディア「東京銭湯-TOKYO SENTO-」からイラストの掲載依頼のメールをもらった。

 

 まさか自分の絵がメディアにのるなんて!

 

 メールをみた瞬間は、嬉しさのあまり手の先までビリビリと、痺れてしまった。

 

 嬉しいことは続くもので、「東京銭湯」に掲載された数日後、杉並区の銭湯「小杉湯」からDMをもらった。内容は「小杉湯の新しいパンフレット用に銭湯図解を描いて欲しい」というもの。

 

 小杉湯は交互浴の聖地とも呼ばれ、交互浴好きとして”いつか絶対いきたい”と思っていたので、DMをみた瞬間速攻O先輩に電話してその興奮を一方的にぶちまけてしまった。

 

 喜び勇んですぐさま返信し、翌々日には小杉湯に足を運んでいた。

 

 

 

 高円寺駅から徒歩5分ほど、車が一台通るので精一杯な狭い路地沿いに小杉湯はあった。

 

 赤みが強い木の格子、重厚感漂う唐破風の瓦屋根、屋根の下には木彫りの鯉が優雅に泳いでいる。

 

 趣ある外観に気圧されていると、シャッターがガラガラと開いて、赤ちゃんを抱いた30代後半の男性が顔を覗かせた。DMで連絡をしてくれた小杉湯三代目の平松さんだ。

 

 挨拶をして小杉湯の中を案内されると、白い漆喰の壁、格天井と呼ばれる木を組んで格子状に仕上げた天井、ツルリとした木目の床にラタンの丸い脱衣籠が目に入った。昔ながらの銭湯らしい脱衣所だ。

 

 手入れが行き届いた綺麗なガラス扉を開くと、白い浴室が広がっている。手前にカランがずらっと並び、その先に4つの浴槽、奥の壁は大きな富士山のペンキ絵が鎮座している。高い天井付近に取り付けられた窓から差し込む光、浴槽の湯船を照らし出し、白い浴室をさらに明るくする。ゴボゴボという湯の音に耳を傾けていると、湯に浸かっていないのに胸の奥まで温かくなって、優しい気持ちになる。

 

「いい銭湯だなあ」心のうちで思っていたことは自然と声に出ていたようで、平松さんは顔を綻ばせた。

 

 

 

 平松さんは元々ハウスメーカーの営業マンで、その後ベンチャー企業を立ち上げた後、数週間前から家業である小杉湯の仕事を手伝い始めたらしい。

 

「手描きのほっこり感が小杉湯にあったらいいなと思っていたから、銭湯図解をみた瞬間にビビっときて!」平松さんの言葉に、なんだか胸の奥がむず痒くなり、ぎこちない笑顔を浮かべてしまう。

 

 パンフレットに関する打ち合わせ自体はすぐに終わったが、その後の雑談があまりに楽しくて長居してしまった。小杉湯の歴史や今抱えている課題、私が銭湯図解を描き始めるに至った話、さらに「温泉でもスーパー銭湯でもなく銭湯の魅力ってなんだろう?」という深いテーマまで。

 

 こんなに深いところから小杉湯のことを考えているなんて、すごく誠実だし愛を持っている人だなあと思った。

 

 話が終わる頃には、初対面とは思えないほどすっかり打ち解けていて、「銭湯図解を描いて終わりではなく、もっと小杉湯に関わりたい」とぼんやり思った。

 

 

 

 

 

(中央公論新社「銭湯図解」より)

 

 

 それから小杉湯に何度も足を運ぶようになった。パンフレットの進捗を共有するだけではなく、値札や待合室の漫画のPOPなどのお手伝いも始めた。平松さんも他にも手伝って欲しいと思っていたそうで、それならぜひに! と率先して絵を描くお手伝いするようになった。

 

 大好きな銭湯に行って、大好きな絵を描いて、銭湯にまつわる深い話をして、お風呂に浸かって帰る。毎日が楽しくて仕方がなかった。

 

 段々と体調も整い始め、日常生活を不自由なく送れるようになった。まだ体調が不安定でも、銭湯に行けばよくなるから大丈夫!と設計事務所に復帰した。

 

 勤務時間を制限し、勤務内容も以前よりはずっと軽い仕事で「これならすぐ終わっちゃうな」と余裕綽綽でいたのも束の間、体が思ったように動かず、集中力も持たなくて退勤する頃にはヘトヘトになってしまった。

 

 以前の私なら、あっという間に終わらせられたのに、全然ダメじゃん。

 

 3ヶ月も休みをとったのに少しもよくなっていない自分にガッカリした。帰り道、フラつきながらも救いを求めるように銭湯を訪れた。あつ湯と水風呂を繰り返し、ようやくクリアになってきた頭で考えた。

 

「以前通りに働くのは、もう難しい。それどころか、設計の仕事自体できないかもしれない…」悲しかった。でも、これは受け止めなくてはならない事実なのだ。

 

 

 

 週末、再び小杉湯を訪れた。打ち合わせをするなかで、平松さんになんとはなしに事務所に復帰して感じたことを話した。何か別の建築の仕事について体調を治すしかないかも……。

 

 平松さんは真剣に私の言葉に耳を傾け何度も頷いた。そして私が話し終えた頃に、強い眼差しでこう口にした。

 

 

 

「それなら小杉湯で働かない?」

 

 

 

 まさか自分が銭湯で働くなんて、一度だって考えもしなかった。平松さんは驚く私をよそに、更に身を乗り出して言葉を続ける。

 

 

 

「小杉湯なら、体を治しながら働けると思うよ。それに、小杉湯で塩谷さんは輝くと思う!」

 

 

 

 か、輝く?? どういうことなの???

 

 訳がわからないけど、平松さんの目はキラキラしている。ちょっと怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 平松さんの誘いにすぐに応えることはできなかった。

 

 単純に銭湯で働くイメージがなかったことと、何より建築ではない世界に飛び込むことが怖かった。自分は大学からずっと建築の世界で身を粉にして戦ってきたのだ。そんな自分が銭湯に転職するなんて、これまで頑張ってきた自分を無視するようだ。

 

 でも、その恐怖感と同じぐらいワクワクした気持ちを感じたのも事実だ。

 

 小杉湯に転職したら、絵を描くことが仕事にできる、それに何より大好きな銭湯で働けるのだ。ワクワクしないわけがない。

 

 悩んだ。もうこれ以上ないってくらい、毎日悩みに悩んだ。

 

 それでも答えが出なくて、もう、人に決めてもらおう! と、友人10名に転職についての悩みを聞いてもらうことにした。そこにはO先輩もいた。そこで、一人でも転職を反対したらその時は潔く諦めよう。

 

 しかし返ってきた答えは全員「転職した方がいい」。

 

 

 

「塩谷は学生の時から絵が好きだったじゃん。今、絵を描く人生が目の前に広がっているなら、そっちを選んだ方がいいよ。建築なんていつでも戻れるんだから」

 

 

 

 そうだ、私は絵を描くことが好きだったんだ。建築学科の課題では、必要がなくても必ず何かしらの絵を描いていた。

 

 それに何より、私が建築の道を選んだのは、母と描いた建築パースがきっかけじゃないか。

 

 友人たちの言葉に、私が本当に大切にしていたものに気づかされて、背中を押されるように小杉湯への転職を決意した。

 

 

 

 あれから早4年。あの時の決断が正しかったかどうかはわからないけれど、小杉湯や銭湯にまつわる出来事や人々に愛おしさを感じている。それこそ、文章に描いてしまいたくなるほどに。

 

 もしかしたら、あのまま建築業界にいたら立派な建築家になっていたかもしれない。でも、今の日々が私にとって誇らしいと感じているので、この決断で十分満足だ。

 

 

 

 あの時、平松さんが言っていた「輝けると思う」。あの時は意味が分からなかったけれど、いつの間にか言葉通りになっているかもしれない。

(第4回へつづく)