銭湯の番頭兼イラストレーターの塩谷歩波です。シオタニじゃなく、エンヤホナミと申します。苗字の読みも変だけど、番頭兼イラストレーターなんて、それ以上に変わった肩書きでしょう。

 

 ところで、番頭って聞くと最初に何が浮かびますか? 番台に座って、眠そうに座っているおばあちゃん? それとも、薪を切ってボイラーに入れるお兄ちゃん? 

 

 私は「銭湯に関わるいろんなことをやる人」を、番頭と呼んでいる。

 

 浴室のお掃除をする人、番台で受付をする人、タオルを畳む人、みんな番頭だ。私は、以前番台に立ったりお掃除もしていたりしたが、今は銭湯のPOPなどのデザインや、広報、戦略などに関わっている。どんな仕事をしていても、番頭はいやという程銭湯の魅力を感じられる仕事だ。

 

 この連載では、銭湯の番頭になってから起きた愉快な出来事、銭湯にまつわる愛すべき人たち、そしてどうでもいい日常の風景を、エッセイとイラストで描いていきたいと思う。

 

 40度のぬるま湯に浸かっているように、頭を空っぽに、心を柔らかくして、ゆっくり楽しんでくださいね。

 

 

 

 私が勤めている小杉湯は高円寺駅から歩いて7分程のところにある、昭和8年創業の老舗銭湯だ。

 

 銭湯というとご高齢の方が集うイメージがあるかもしれないが、小杉湯の客層は半分以上が20~30代の若者。夜の方が人の入りも多く、120個ある靴箱が埋まるほど混み合うことも多々あり、一般的なイメージからは大分かけ離れていると思う。

 

 

 

 そんな小杉湯の始まりは朝8時から。まず、朝清掃のスタッフが、玄関、待合室、脱衣所と、隅々までピッカピカにする。

 

 私はたいてい10時ぐらいに”今さっき起きたんです〜”と言わんばかりの寝ぼけ顔で出勤するが、既に掃除を終えたスタッフから「おはようございますっ」と爽やかに声をかけられると、有り難さと罪悪感で心がモアモアする。

 

 11時になると、ヴゥーンという低音と共にバーナーの自動スイッチが入る。薪でお湯を沸かす銭湯も少なくないが、小杉湯はガスバーナーで湯を沸かす。ガスバーナーで熱せられた高温の空気の管が、”釜”とよばれる大きな槽に満たされた水をお湯にする仕組みだ。

 

 

 

 1時間後、すっかりホカホカになったお湯が浴槽に流れでる頃に、スタッフの通称”GOD”がチャリンコに乗ってやってくる。

 

 GODは長年小杉湯の開店準備を支えてくれている青年で、長年の経験と仕込みの手際の良さから、Mちゃんが「神すぎる」とGODと呼び始めた。今ではすっかり慣れてしまったが、Mちゃんが「GOD〜〜!!!!」と呼ぶのを聞いて、取材などで小杉湯に訪れた人が「はて聞き間違えか?」と怪訝な顔をするので、GODってどういうことだよ感覚独特すぎねぇかと時たま冷静になる。

 

 他にも、小杉湯スタッフのガースーさんを「ガース」と呼んだり、高円寺ビール工房を「高円寺コウボビール」と呼んだり、Mちゃんの固有名詞に対する感覚はちょっとズレててこそばゆい。

 

 

 

 15時半の開店に向け、スタッフ一同開店準備を始める。

 

 GODは、シャンプーなどアメニティの補充や、濾過機の作動、タオルの整理整頓など、その名に恥じぬ鮮やかな手つきで設備周りを整える。他のスタッフはドリンクやアイスの補充、番台前で販売するグッズの整理、お釣りの準備など、ソフト面での準備を進める。

 

 私は「今日この商品を推したい」などの小杉湯三代目の無茶振りに憤怒しつつ、開店に間に合うようフルスピードでPOPを描く。

 

 

 

 15時半。開店の時間だ。

 

 玄関に二面あるシャッターを開けると、既に20名ほどの常連さんが並んでいる。シャッターが半分ほど開いたところで、待ちきれんとばかりに次から次へと中に入ってくる(開け切るまで待って欲しい)。

 

 最初のお客さんは凄まじくせっかちだ。毎日開店時間に来るので最短導線を知り尽くしているとも言えるが、カードを配るように入浴券を投げつけたり(やめて)、入浴料金キッチリ470円を番台に置いて颯爽と浴室へ駆け抜けたりする(料金を数え終わるまで待って欲しい)。

 

 長年、開店時間の番台を担当するYさんは、この時間に来るであろう常連さんの貸しロッカーの鍵を開店前に全て並べ、淡々とそのスピードに対応しているのに、心から尊敬する。

 

 会計を済ませた常連さんは、思い思いの場所に椅子と桶を置いて、体を洗い始める。桶を床においた時のカポーンという音が裏手の事務室に届くと、「今日もやり切ったな〜」とようやく肩の力が抜けるのだ。

 

 

 

 開店後は、番台に一人、裏方に一人と、主に二人態勢で小杉湯を運営する。

 

 番台は入浴料金のやりとりや、飲み物などの会計を行う役割。もう一人は、脱衣所や浴室を見て周り、営業中の清掃作業やアメニティの補充作業、ゴミ捨てなどを行っている。

 

 開店してしまえば後は二人に任せて裏はのんびり……という訳ではない。むしろ開店してから、新たなPOPづくりなどの業務を行う。だが、静かに仕事をできることは稀。

 

 ビーッビーッッ。番台から内線だ。

 

「どうしましたー?」

 

「お客さんから、あつ湯がぬるいって!」

 

「え、マジすか。ちょっと待って」

 

 裏手の温度を管理する自動制御板をみる。44度設定の温度が、42度に下がっている。

 

「どうしたもんかねえ」と三代目に相談をする。

 

「ん〜〜〜〜ッ。あつ湯に入れている酒粕と相性悪かったのかな。とりあえず、濾過機を逆洗してみよう」

 

 “濾過機を逆洗”。魔法の言葉である。

 

 小杉湯のお湯は常に濾過機で循環している。そのため、お風呂の不具合はたいてい濾過機に問題があることが多く、濾過機を逆洗して詰まりが解消されると直ることが大半だ。温度に異常があれば、濾過機を逆洗。湯船の色に問題があれば、濾過機を逆洗。圧倒的実績と信頼をもった濾過機を逆洗。

 

 もはやお風呂以外の問題をも立ちどころに解決できるのではと思える頼り甲斐のある兄貴だ。

 

 我々はこれからも”濾過機を逆洗”に熱い期待をかけていきたいし、濾過機を逆洗で直らないものは致命的なトラブルであることが大体なのでお願いだから逆洗先輩直してください本当にマジでお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 17時は一番客がお風呂から上がり、ややゆったりした時間だ。このあたりから、子供連れが段々と増えてくる。保育園や学校が終わって、夕ごはんを食べる前のほんのひととき。

 

 三代目の、五歳と七歳の娘もこの時間にお風呂に入りに来る。

 

 二人のお風呂場はもちろん小杉湯。首がすわった時から入っているので、二人にとって小杉湯は家の一部だ。今や二人とも自分で体を洗えるようになったが、まだおぼつかない時は、お母さんと常連のおばちゃんがお世話をしていた。お母さんがまだ来なくて、三代目も打ち合わせ中の時には、私は子供達を浴室まで連れていき、常連のTさんに「あとはよろしくお願いしま〜す」とバトンタッチしていた。

 

 彼女らにとって、毎日体を洗ってくれていたおばさんはどんな存在なのだろう。もう少し大人になった時に、聞いてみるのが楽しみだ。

 

 

 

 夕飯の時間をすぎると、20~30代の若者が増えてくる。彼らは体を清潔にするために、というより、友達との時間を楽しむためや、何もすることがない時間を楽しむために銭湯に足を運んでいる。

 

 友達といつもより深い話をしたい、そんな時に銭湯は絶好の空間だ。お互いスッポンポンの状態で、共にあたたかな湯に浸かる。足先からじわじわと温められ、すっかりとろけた頭でため息をつく。隣に座る友達を見ると、全く同じとろんとした表情。ふ、と笑ってしまい、いつの間にか心のガードはゆるゆるにふやけてしまっているのだ。

 

 ぬるま湯のミルク風呂では、くだけた会話をよく耳にする。和気藹々とした恋バナから、シリアスな仕事の話、ときには「上司を抹消したい」という剣呑な話が聞こえてくることもあるが、心の距離が近くなったからこそこぼれる言葉なのだろう。

 

 銭湯は家風呂と違って浴室にスマホを持ちこむことができない。今や、いつでもどこでも情報に触れることができる時代。だからこそ、スマホを持てず、ただ湯に浸かるしかない、何もできないこの時間は貴重なのだ。銭湯好きにエンジニアが多いのも、これが理由の一つかもしれない。

 

 

 

 若者が多くなる時間は小杉湯も非常に活気にあふれている。老若男女で賑わい、待合室は満席、狭い水風呂は順番待ちになっていることも。

 

 そんな時、番台は当然ながらはっちゃめちゃに忙しい。

 

 洗っても洗ってもバンバン貸し出されるバスタオル。バスタオルがないのでフェイスタオルを2枚貸し出す、そのフェイスタオルすらなくなってしまう。ええい、それなら予備で買い足しておいたタオルをどんどん出してしまえ! え、下足札をなくした!? スマホよりおっきいものをどうやってなくすの?? よく鞄の中をみてください! ほら! あるでしょ! あ、はい、ドライヤーの両替ですね、10円玉でいいですか?? あっビール欲しい?? あっすいませんどのビールですか!? えっあっはい。え!? 倒れた!? え、ちょ、うわーー人いっぱい! ちょっと! 裏のスタッフ! のぼせだと思うから水飲ませてタオル渡して! ええっ! 下足札またなくした!? ポッケの中も! よく! みて! ください!!!!! あるだろうがよ!!!!!

 

 取り乱しました。忙しければ忙しいほど、番台は戦場だ。

 

 入浴料金のやりとり、飲み物の支払い、鍵の紛失などの問い合わせ、脱衣所からの両替のお願い、そして冬場に頻出するのぼせて倒れる方(お風呂に入る前は必ず水分をとって無理しない範囲でお風呂を楽しみましょう)。

 

 四方八方から繰り出される要求に対して穏やかに応えてこそ、一流の番台なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜のピークも去り、閉店時間の深夜1時45分。「閉店でーす」と照明を一部落とし、バイブラ(ジャグジー)を切り、裏口をガラリと開けて清掃スタッフが浴室に入る。

 

 閉店にもかかわらず、何人かは「まだ営業時間ですよ?」という顔でのほほんと湯を楽しんでいる。

 

 急いで帰すのもなにか気が引けるので、端の方から浴室の掃除を始める。

 

 掃除のスピードと範囲を徐々に広げていく。決して動じないお客さん。じりじりと近くまで掃除を進める。全く微動だにしないお客さん。掃除とお客さんのチキンレースの先、仕方ないとばかりにゆっくりと最後のお客さんが浴室を後にした。

 

 途中で邪魔されたという顔をしつつも、湯上りならではのほかほかと気が緩んだ表情で幸せそうだ。憎らしいとは思いつつ、そんな顔をされるので銭湯勤めはやめられない。

 

 浴室全体をピカピカにして、湯の栓を抜き、1日の売り上げなどをまとめて、ようやく小杉湯の1日は終わる。裏手の業務が完全に終わるのは、深夜4時頃。

 

 銭湯はなかなかキツい仕事だ。

 

 朝8時から裏手業務が始まり、深夜4時にすべて終わる。

 

 でも、そんなキツさも帳消しにしてしまうほど、銭湯での日々に起きる様々な出来事はおもしろおかしく、銭湯で出会う人々は心から楽しく(時には憎らしい瞬間もあったりもするが)銭湯での生活はとても愛おしい。

(第2回へつづく)