父を亡くしたばかりの少女に届いた一通の手紙。差出人は、三十歳になっているという未来の自分だった。小学生の主人公は、そこに書かれた「今が一番つらい時」という言葉を信じ、果敢に生きていこうとするが……。

 デビュー十年目を迎えた湊かなえ、待望の書き下ろし長篇は、デビュー作の血を確かに受け継ぎながらも、新たな境地へと分け入る意欲作だった。

 描かれるのは、章子という少女の十歳から十五歳を迎える直前までのおよそ五年間。本来であれば両親の愛に包まれ、幸せに過ごすはずの子供時代は、父の病死によって暗転する。母は精神を病み、保護者の務めを果たすどころか、むしろ娘に擁護してもらわなければならない。しかも、頼るべき親類縁者はほとんどおらず、章子はわずかばかりの厚意をかき集めながら、自立の道を模索するしかない状況に置かれている。しかし、弱肉強食の現代日本において、章子には茨の道しか残されていなかった。

 今思えば、『告白』という作品の衝撃性は、教師による生徒への復讐、母にとって完全な存在ではなくなった子の排除など、ある種タブーでもあった「大人による子供へのあからさまな攻撃」が容赦なく描かれたところにあった。

 同時に、登場する犯罪者たちはどこにでもいる「表向きは善良な隣人」である点も、強烈な印象を与えた。悪意の持ち主は決して悪魔的もしくは化物のような特別な人間ばかりではないこと──それはつまり、誰の心にも宿っていることを示すわけだが──を、これほど淡々と描く作家はいなかったように思う。こうした、「まったく優しくない世界」は、形だけの猟奇残酷を一蹴する迫力があった。

 予定調和の完全なる放棄に、多くの読者は戸惑いながらも、強烈に惹きつけられたのだ。著者はそんな読者に応えるべく、人の偽りを力むことなく告発する作品を次々と発表し、着実に地歩を固めてきた。だが、読者とは勝手なもので、旧作のテイストから離れるとブーイングを浴びせるくせに、同工異曲では飽きてしまう。そこを回避し、ベストセラー作家としての地位を不動のものにしてきたのは、ひとえにドラマづくりの実力あってのことだろう。

 そうした中、今作のラストでは従来よりも強い調子で、しかも紋切り型ではない「希望」や「信頼」が前面に出されているように感じられた。危うい共犯関係でも、共依存でもない、力強い人間関係が描かれる本作は、著者が目指す「未来」図なのかもしれない。