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津倉が紗奈と思われる声の電話を受けてから海上ルートで日本に帰り着くことができたのは、約一ヶ月後の十一月のことだった。密入国の計画を固めるのに一週間、適した運航を待つのに一週間、そして実際の移動に二週間。
カンボジアから一旦マレーシア・ポートクランに移動し、そこで大型船に船員として乗りこむ計画だった。偽造パスポートの準備や貿易会社に話を通すため、密入国の手配を得意とする仲介業者に日本から持ってきた資金のほぼすべてをつぎ込んだ。
いま津倉の手元にあるのは数万の資金とわずかな着替え、それと、同僚から譲ってもらったいくつかの商売道具が入った鞄だけだ。
渡航を無事に終え、神戸に降り立った津倉は一年ぶりの日本の空気を胸いっぱいに吸いこんだ。
あれ以降、紗奈からの電話に備えてスマホを肌身離さず持っていたが、ついに二度目の電話はかかってこなかった。彼女がどんな危険に晒されているのかと案じるのは、津倉にとってこれまでとは別の精神的負担となった。それでも紗奈が生きていると思えばこそ、耐えることができた。たとえ行動の自由を奪われているとしても、生きてさえいてくれれば何とかしてみせる。
陸路で東京に向かう道中、津倉はこれからの具体的な行動を思い描いた。
柊の指示を無視した以上、公安の力を頼ることはできない。次の紗奈からの電話を待ちつつ、彼女の身に本当は何が起きたのかを調べなければならない。もし紗奈が生きていて津倉を捜しているのなら、まず住んでいた部屋を訪ねただろうし、津倉のスマホに連絡を寄越しただろう。だがそのスマホは一年前警察に押収されたままだ。あの時はまさか、再び紗奈から電話がかかろうなどと思わなかったのだ。
問題は、津倉が住んでいた板橋のマンションだ。警察に出国を気取られぬよう、部屋はそのままで出てきた。まとまった資金を持ち出したため、家賃の引き落としが続いていれば、口座の残高は三ヶ月ほど前に底をついているはずだった。すでに大家の手で津倉の物は処分されてしまったかもしれない。
東京に着くと、通行人の少なくなる夜を待って住んでいたマンションに移動した。
造りは古いが大家の手入れがよく行き届いた良い物件だ。三階建ての外見は何一つ変わらず、インターフォンを押せば紗奈が出てくるのではないかと思った。郵便物は溜まっておらず、もう次の住人がいるのかと心配したが、ドア横のネームプレートにはまだ津倉の文字があった。大家の厚意なのか次の借り手が見つからないのか分からないが、まだ津倉が住んでいた時の状態で保ってくれているらしい。
鍵を差し込み回すと、あっさりとドアは開いた。玄関も出て行った時と変わらないまま。それでも放っておかれたことを非難するように、他人じみた匂いが鼻を突いた。
スマホのライトで懐かしい部屋の中を歩き回った。リビングや寝室ではあちこちでなくなっているものがあった。特にデスク周辺のパソコンや本、書類が見当たらない。警察が捜査のために押収していったのだ。そして調べ終えたそれらは、五つほどの段ボールに詰められてリビングの隅に積まれていた。
ご苦労なことだとため息をつく。どれだけ調べても、津倉が爆発に関わった証拠なんてありはしないのに。
そこで一つおかしなことに気づいた。運搬した際の都合だろう、段ボールの口をガムテープで留めてあるが、どれも一度剥がされた跡がある。そのため粘着力がなくなり、ひらひらと浮いているテープもある。
誰かが開けたのだろうか。あるとすれば大家が中身の確認をした可能性だが、それならば再び封をする手間をかけるだろうか。考えたが答えは分からない。
寝室を覗いた時、紗奈が使っていた枕がないことに気づいた。もしやと思い収納を調べると、紗奈が実家から持ち込んでいた着替えや他の私物もなくなっている。こちらは津倉にも想像がついた。紗奈の家族がやってきて、彼女の遺品をあるだけ持ち去っていったのだろう。
ただ一度だけ挨拶に行った時に会った、人のよい両親と紗奈の三つ年下だという、素っ気ない弟を思い出す。彼らにしてみれば大切な娘が死んだ現場に居合わせただけでなく、その葬儀にすら姿を見せなかった男のもとに、彼女の名残を一つとして置いておきたくなかったはずだ。
違うのだ、と訴えたかった。
だが訴えることすらしなかった自分に、何を言う権利があるだろう。彼らとて、事件後すぐに津倉が現れ、どれだけ疑いを向けられようとも彼女の死の真相を突き止めると誓っていたのなら、拒絶しなかったはずだ。
──結局俺は、また大事な時に間に合わなかった。
落ち込んだ気分のまま部屋全体を見終わった。津倉が期待したような、紗奈が自分を捜しに来た痕跡はどこにも見当たらない。日本に来て最初であり最大の心当たりが、まずは大外れを引いた形だ。
どっと疲れを感じ、埃臭いのも気にせずベッドに倒れこんだ。この一年、信じられない遠回りをしたあげくここに戻ってきた。どれだけの成果があったのか、考えるのも虚しい。柊はいずれ公安に復帰させると言っていたが、それは自分の望みといえるのか。その時の自分の手に、いったい何が残っているというのだろう。
この部屋で、〝勇一君〟としていられた時間がどれほど幸せだったのかを、今更ながら思い知っていた。
耳元でスマホが震えている。
頭によぎったのは、仕事に寝過ごしたのではないかという懸念だった。
だが瞼を開き、そこが商店主のやかましい声の響くカンボジアではなく、懐かしい自分の寝室であることを思い出した。どうやら昨夜はそのまま寝てしまったらしい。カーテンの隙間からは煌々と朝日が差し込んでいる。
頭には次の懸念が浮かぶ。もしや、自分が日本に戻ってきたことが伝わり、柊からの連絡が入ったのか。
画面を見た津倉は、さらなる驚きに目を見張った。
午前九時十三分という時刻の横に、〝非通知〟の表示が出ている!
待ちに待った、一ヶ月前の再現が訪れたのだ。一呼吸で完全な覚醒と冷静さを取り戻し、通話ボタンを押す。今度は機を逃すまいとこちらから声をかけた。
「紗奈か?」
ところが、スピーカーから聞こえてくる様子がおかしい。
争っているような、激しい物音。どん、どんと体をぶつけるような衝撃音がひっきりなしに続く。反響していることから屋外ではなく、建物の中だろう。
さらにガシャンと何かが割れる音が聞こえ、津倉はたまらず声を上げた。
「おい、大丈夫か! 何が起きている!」
返事はなく、通話が切れた。
まずいことをしたのではないか、という不安が押し寄せてくる。紗奈はどこかに隠れながら電話をかけてきたのかもしれない。だから声を上げず、状況を伝えようとした。それなのに自分が大声を出してしまったことで、彼女を危険に晒してしまったかもしれない。
「くそっ」
焦り混じりにそう吐き出した時、再びスマホが震えた。ただし先ほどとは違う、電話番号あてのメッセージだ。そこには画像ファイルが一つだけ添付されていた。
紗奈の写真かと思ったが、そうではなかった。
おそらく建物の二階くらいの高さから撮影したと思しき、のどかな風景写真である。
手前には狭い道路と石塀、奥には水田のような土地が広がり、その向こうには水面に浮上した鯨のような形の丘の森と、太陽光で白く光る雲が見える。
この風景がなんだと言うのか。続きを待ったが、三分経っても再びスマホが反応することはない。津倉は行動を迫られていると感じた。
前回の電話で紗奈は〝助けて〟と言った。今回も同じ意図ならば、この写真の場所に来てほしがっていると解釈するべきだろう。だが紗奈とこんな場所に行った覚えも、見た記憶もない。いかにも日本の片田舎的な雰囲気の場所だが、探し出すにはあまりにも当てがなかった。
自分に分からないのなら、人に尋ねるしかない。
この写真をSNSに投稿するのはどうかというアイデアが頭をよぎるが、思いとどまった。集合知の助けを借りれば場所は割れるかもしれない。だが紗奈と一緒にいる者の正体はまるで分からないのだ。不特定多数の人に場所を晒すことで騒ぎが起こり、かえって紗奈が危険に陥る可能性がある。
──ならばいっそ、公安の助けを借りるのはどうだ。
この連絡で、紗奈の生存の可能性はさらに高まった。それはあの爆発事件に、警察や公安ですら掴めていない秘密があることを意味する。柊なら、謎の解明に乗り出してくれるのではないか。
津倉は覚悟を決め、柊の番号をコールした。
呼び出しの音が鳴る。深く息を吸い、気を落ち着けようとするが、それよりも先に相手が出た。
『津倉か。──今お前はどこにいる?』
いきなり柊が問い詰めてきた。あちらのスマホに国際電話ではない番号が表示されたために分かったのだろう。柊にしては珍しく焦りが感じられた。
津倉は正直に答えた。
「柊管理官、申し訳ありません。指示を無視して自力で帰国しました」
沈黙。吞み込んだ息を、ため息として吐き出すのに十分な間が流れる。
『──残念だ。お前はもっと大局を見ることのできる人間だと思っていた』
かつては津倉もそう思っていた。だがそれは大局が津倉にとって一番大切なものを奪わない場合に限ってだ。
議論は不要とばかりに津倉は本題を切り出す。
「つい先ほど、紗奈から二度目の連絡がありました」
『……なんだと?』
柊の声に生じた迷いを見逃さず、たたみかける。
「あちらからは人が争っているような物音も聞こえました。もはや彼女の安全に一刻の猶予もありません。どうか力を貸してもらえませんか。電話がどこから発信されたか、携帯電話会社に照会してほしいんです」
『警察への通報でもなく、なんの被害も生じていないのに、どう照会をかけろと言うんだ。ただでさえ、お前を庇ったことで私は白い目で見られている。これ以上、下手は打てん』
「紗奈が生きていたら、世間に発表されている事実が間違っていることになります。そのことを誰より先に突き止めることができるかもしれない」
柊の功名心を刺激したつもりだったが、返ってきたのは予想外の言葉だった。
『三軒茶屋の爆発事件に関しては、専門の情報収集班が組まれた』
「専門の?」思わず聞き返した。
『総務課九係──八木班だ』
これまで総務課には八係までしかなかった。そこに特別な任務を負った係が新設されたのだ。しかも八木と言えば、柊と並んで出世頭と噂される管理官だ。彼が直接指示を下す係というだけで、ただならぬ事情が窺える。
『詳しい事情はこちらにも下りてこないが、政府筋からの要請を受けてのことらしい。そういうわけで、私は爆発事件の調査に関わることができない。お前も下手に動き回ると、彼らに嗅ぎつけられるかもしれんぞ』
どうやら柊の助力を得るのは諦めざるを得ないらしい。失望を呑み込み、津倉は言った。
「分かりました。ですが私は独自に調べを進めます」
『津倉──』
「止めないでください。もし邪魔をされるのであれば、どんな状況であなたの名前を出すか分からない」
電話の向こうで唾を飲みこむ気配があった。
『──好きにしろ。ただし、首輪はつけさせてもらう。部下を一人そちらに向かわせるから、スマホの位置情報が分かるようにしておけ』
「了解しました」
言うが早いか、刃が落とされたかのように通話が切れた。
津倉はほっと息をつく。助けは借りられなかったが、これで柊の目を掻い潜り続ける必要がない。懸念が一つ減ったことを前向きに捉えるべきだろう。
津倉は改めて、送られてきた画像を食い入るように見た。
手前に写っている住宅は瓦屋根で、かなり年季が入っていそうだが、これといった特徴はない。水田や丘の森もそう。日本のどこにでもあるような、地方の風景だ。
水田の脇には電信柱が立っているが、地域名を特定できるようなものは写り込んでいない。とにかく必死でシャッターボタンを押したという印象だった。
写真に集中して感覚が鋭くなっていたせいだろう、津倉の耳が玄関の方からの微かな「カタン」という音を捉えた。おそらく、新聞受けの蓋の音だ。住んでいる時にも強い風が吹くと揺れて鳴ることがあったが、今のはどこか音を抑えようとする人の意思を感じた。誰かが新聞受けの隙間から中を覗こうとする姿が頭に浮かんだ。
津倉は足音をしのばせてドアに近づき、そっと覗き穴に目を当てた。すると丸く歪んだ視界の端で、影がもぞもぞと動いている。
マンションの住人か大家が様子を見に来たのかと思ったが、様子がおかしい。ドアの前に居座り、まるで津倉が出てくるのを待っているようだ。
二つ呼吸をする間に、津倉は思考を巡らせた。このドアを使わず外に出て行くことはできる。だが外の人物がこのタイミングで部屋を訪れたのは、偶然とは思えない。おそらく、津倉が戻ってきたことに気づいているのだ。紗奈の電話とも関係があるかもしれない。
津倉にとって、今は何よりも手がかりがほしい。ならばこの機を逃すわけにはいかない。
津倉は靴箱の近くに常備してある、懐中電灯を手に取った。今から外に出ると相手に伝わるようわざと音を立てて靴を履き、ドアノブを捻ると、手が塞がらないよう左足でドアを押し開けた。
外に身をさらした途端、開いたドアの死角から覆面をした人影が飛び出してきた。その右手はポケットからスタンガンらしきものを抜いている。向こうは津倉が油断していると思ったに違いない。だが右手が突き出されるよりも早く、津倉は懐中電灯の光を相手の目に向けた。
「うっ」
想定外の先制攻撃にひるむのを見逃さず、津倉は相手の右手を抱き込む形で関節を極める。同時に体勢を崩し、まだ開いているドアから室内に押し込んだ。
二人して床に倒れ込む形になったが、物音は最低限に留められた。
「騒ぐな」
すでにスタンガンは津倉の手に移っていた。もし相手が抵抗する素振りを見せれば、これを使ってでも自由を奪う。幸い、逆転は不可能だと悟ったのか抵抗が止んだ。苦しさよりも怒りのこもった声が覆面の下から漏れ聞こえた。体つきは細いが、男である。
「人殺しめ」
吐かれた悪態に津倉は眉をひそめる。この男は津倉が爆発事件を引き起こしたと考えているのか。だが公表されていない津倉の素性とこの部屋を、どうやって突き止めたというのか。
「誰だ、お前は」
返事がないのを見て、津倉は男の覆面に手をかけ、一気に脱がせる。
下から現れた顔を見た津倉は相手が思いのほか若いことを訝ったが、すぐ驚きに目を見開いた。
「もしかして、翔太君か? 紗奈の弟の」
直接会ったのは一度だけだが、公安捜査官である津倉が顔を間違えるはずがなかった。
紗奈の実家で三つ下の弟と紹介された、高木翔太だ。
「なぜこんなことを」津倉は動揺を隠せず呻いた。
「なぜ、だって」
翔太は首を捻って津倉を見上げる。向けられる視線の激しさに、津倉は気圧される。
「姉ちゃんが死んだのに、なにもしなかったあんたがそれを言うか。姉ちゃんを突然失って、俺や父さんや母さんがどんな気持ちになったか、考えもしなかったのか」
翔太を押さえつける手の力が緩みそうになるのを必死にこらえる。
紗奈の遺族から恨まれる理由は、ありすぎるほどだ。
「事件以降、うちの実家にも警察がやってきた。事件のことを耳にするたび、父さんも母さんも傷をえぐられる思いだったろうよ。警察は不自然なほどあんたについて話を聞きたがっていたけど、最初のうちはあんたも爆発に巻き込まれた被害者だからって、二人とも庇っていたんだ。だけどあんたは線香の一本も上げに来ず、姿を消した。そこでようやく俺たちは騙されていたと気づいたよ」
津倉は唇を噛み締めた。腕が震えている。捕えているのはこちらなのに、体が石になったかのように言うことをきかない。
「そして調べてみたらどうだ。あんたの記者という肩書はまるっきり嘘だった。あの爆発事件は、全部あんたが計画して起こしたことだったんだ」
「違う!」
やっとのことで声を絞り出したが、翔太は取り合わない。
「どれだけ調べても、あんたの尻尾を掴むことはできなかった。だがこのマンションの大家に聞くと、しばらく家賃の引き落としが続いていたことが分かった。だからいつかあんたが帰ってくる可能性にかけて、俺が家賃を肩代わりして現状を維持し、監視カメラを仕掛けていたんだ」
部屋が残っていたのはそういう事情だったのか、と納得した。
確か、翔太の職業はITエンジニアだと聞いた覚えがある。情報処理や電子機器の扱いはお手の物だろう。津倉が日本を去っていた一年間、翔太は執念でこの部屋への出入りを見張っていたのである。段ボールに開けられた痕跡があったのも、翔太が津倉の情報を探るために忍びこんだのなら説明がつく。そして昨日、ついに待ち望んでいた瞬間が訪れたというわけだ。
同時に津倉には気づいたことがあった。先ほどから翔太は事情を詳しく話しすぎている。大声で助けを呼べば津倉を逮捕できるかもしれないのに、そうする様子もない。
「今この時も、記録しているんだな」
「そういうこと。録画データは常にクラウドで保存している。俺が止めないと、明日には知り合いに送信する仕掛けもしてある。もうあんたは逃げられない」
津倉はまた選択を迫られる。
翔太は津倉を爆発事件の犯人だと誤解している。実際には今警察に突き出されたところで、逮捕されることはあるまい。この状況も正当防衛の範疇だ。だが、今警察に所在を知られるのは避けたかった。密入国がばれる恐れがあるし、身柄を押さえられるようなことになれば、紗奈の生死を調べることもできなくなる。
津倉は切り札を出すと決めた。
「紗奈は生きているかもしれない」
組み敷かれた翔太が息を呑むのが伝わる。早口で続けた。
「黙って消えて、君にもご両親にも迷惑をかけた。俺は警察の、しかも公安に所属していて話せないことが多すぎたんだ。誓って言うがあの事件は俺が起こしたものじゃなく、巻き込まれたんだ。俺も紗奈は死んだと聞かされていたが、一ヶ月ほど前に紗奈の声で電話がかかってきた」
片手でスマホを取り出し、保存していた音声データを翔太の耳元で再生させる。
ほんの数秒の声を耳にして、翔太の体から力が抜けた。
「……姉ちゃんだ」
「本当か」
「間違うもんか。あんたが付き合っていたよりもずっと長く、俺たちは姉弟だったんだ」
津倉は言い表せない安堵感に包まれるのを感じた。
柊に否定されても、紗奈本人の声だと信じてここに来た。自分が彼女の声を聞き間違えるはずがないと。それでも万に一つ、勘違いの可能性に対する恐怖心は胸の奥にくすぶっていた。紗奈を死なせた罪悪感を消したいために、記憶を誤魔化しているのではないか。もし安っぽい作り物に騙されているのだとしたら、いよいよ立ち直れなくなるのではないか。
だが今、自分の判断を肯定してくれる人間が現れた。それが紗奈の弟というのだから、これ以上なく心強い。
「紗奈が生きているのだとしたら、一年前の事件には隠された事実があることになる。紗奈のいない地獄はもう十分に味わった。彼女を助けるためなら、俺はなんでもやるつもりだ。君はどうだ」
翔太は黙りこんだ。
もし彼が抵抗したり助けを呼んだりするのなら、気絶させて逃げるしかない。甘いかもしれないが、紗奈の弟をこれ以上傷つけるつもりはなかった。
「……まだあんたを信じたわけじゃない」
入り乱れる感情を噛みしめるように、翔太がゆっくりと話す。
「だけど、姉ちゃんを救える手がかりをあんたが握っているなら、協力してもいい。裏切るようなことがあったら、即通報するからな」
十分だ。津倉は「ありがとう」と言って翔太の上からどいた。共闘の意思を示すために右手を差し出したが、翔太は変な食べ物を見るような目つきでそれを無視した。
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