時間泥棒が増えた
時間泥棒の始まりを遡ると、テレビがこの世に出現したことだ。
見たいものだけを見るのならいいが、点けっ放しでだらだらと見続け、あっという間に時間が過ぎる。それどころか、私は「ロクな番組がない」とぼやきながら次々にチャンネルを変えてゆき、「見たいものがひとつもない」と結論づけたのに、世界から音が消えて取り残されたような気がして消せないときがある。
テレビが世の中を一変させてから月日が流れ、パソコンが出回るようになり、ネットサーフィンで時間を潰すようになった。
あれはまだ会社に勤めていた頃のことだから、二十年近く前のことになる。
――2ちゃんねるに我が社の悪口を書くのをやめてください。
日頃は社内放送は皆無だったので、みんな驚いて仕事の手を止め、一斉にパソコンから顔を上げて互いに顔を見合わせた。
誰かが「2ちゃんねるって何? NHKのこと?」と尋ねたが、そこにいた全員が「さあ」と首を捻った。コンピューターソフトの会社でもこうだったが、それがきっかけで電子掲示板の存在を知って閲覧するようになり、またしても時間の浪費が増えた。
そしてインターネットの普及と同時に、様々な会社が一斉にホームページを作るようになった。通販サイトもその一つで、私はこれも見るようになった。それ以前は自宅に届く分厚いカタログの中から欲しい物を見つけたら、マークシートにHBの鉛筆で記入して注文していた。
更に時代は進んでスマートフォンが出現し、お気に入りのブログを見つけると、それに目を通すことが日課となり、さらにAmazon、楽天、YouTube、ネットニュース、天気予報をチェックするようになった。
分厚いカタログや重いパソコンを持ち歩かなくても、どこにいても小さな画面から気軽に見られるようになったことで、またしても生活は大きく変わった。
いつだったか、原稿のチェックで「貧乏な彼女がパソコンを持っているのはおかしい」と編集者に指摘されたことがあったが、「これらはパソコンではなくてスマートフォンでの行為です」と説明したことがある。当時はスマホが今ほど高価ではなく、逆にパソコンは今よりずっと高価だったから、両者の価格の差は大きかった。
スマートフォンの黎明期には、小さいけれどパソコンとほぼ同じ機能を持っていることがあまり知られていなかった。スティーブ・ジョブズが「小さなパソコン」として売り出そうとしたが、それだと何やら難しい印象を与えると周りから反対されたらしい。助言に従い売れ行きを考慮した結果、全体の機能からすると数パーセントにも満たない電話とメールを前面に押し出して売り出したという。
次はスマートウォッチだ。充電するとき以外ずっと腕に着けていることにより、健康管理されるようになった。歩数にしても、どんな歩数計よりも正確に測れる。一時間以上座っていると振動し、「スタンド(立て)」と命令が来る。
近所のカフェで仕事をしていたとき、向かいの端の方に座っていた若い男性が椅子をガタンと言わせていきなり立ち上がったことがあった。帰るのだろうと思っていると、ただ単にその場に立っているので目立った。彼の腕を見ると、スマートウォッチが巻かれていた。
励ましの言葉が画面に現れるのも嬉しい。朝いちばんには「すばらしいスタートです」、ウォーキングすると「エクササイズゴールを達成しました」などだ。
そうなると、時計ごときに親しみを感じると同時に、アメリカ企業は商売上手だと思う。月額三百五十円でスマートフォンと連動し、電話やメールもできるから手ぶらでウォーキングに出られる利点もある。
この腕時計をするようになってから、一日に何度も天気予報を確認するようになった。窓から空を見上げて空模様を眺めることもなく、窓を開けて空気の冷たさを確かめることもなくなり、動物としての五感を使う頻度が減った。
一日のうち、これらの時間泥棒によって大幅に時間を取られている。寝床に入ってスマホをチェックし、翌朝目が覚めたら、枕元にあるスマホに手を伸ばすことから一日が始まる。ほんの数秒間メールをチェックするだけでは終わらず、ついだらだらと見てしまう。X(旧ツイッター)、インスタグラム、ゲームをする人なら、私の何倍も時間を奪われているだろう。
それもそのはず、シリコンバレーで働く抜け目ない秀才たちが、どうやったら人間の時間を奪えるかを考え抜いて作ったのだから、凡人の私はやすやすと罠に嵌る。世界中の人がアメリカのIT企業であるGAFAに日々の暮らしを牛耳られている。
うまく使えば便利なツールばかりだが、自制しないとあっという間に昼になり、一日が終わり、知らない間に翌月になり、一年が終わり、歳を取る。
それを思うと、常に心を鬼にして、必要なとき以外は極力見ないようにした方がいいのだろう。当面は毎晩寝る前に明日の「やることリスト」をメモすることで、少しは時間を大切にしようと思う。
テレビではどのチャンネルも同じニュースを流し、特別な事件や災害がない限り、内容は毎日代わり映えしないから、一週間に一度見るだけで十分だと思うことがある。BSで海外の放送局のニュースを見るたび、どうしてこんな重要なことを日本では報道しないのかと不思議に思うことも増えた。
調べたいテーマがあるときは、ネットで検索するより本を読む方がいい。何人もの手によって内容が整理され、何度も推敲されて文章が練られているし、詳細に記載してあることが多いから、結局は手っ取り早い。
周りを見回せば、私と同世代かそれ以上の人々はガラケーを使っている人が多い。ガラケーも「らくらくホン」も、インターネットにつなげることはできるが、料金を心配して電話とメールしか使わない人が多い。ネットが見たければ、家に帰ってから自宅のパソコンで見るといった具合だ。
彼女らからは、今もハガキや手紙が届くことがある。そういう様子を知るにつけ、彼女らだけがネットに時間を奪われることなく、昔ながらの健康的な暮らしを保っていると思うときがある。
この続きは、書籍にてお楽しみください