それはつまり父と冬子がお別れをする日ということです。お手、おすわり、ドア止め、など定番の芸は私が大体教えたのですが父が唯一冬子に教えた芸がありました。それは冬子と向かい合って四つん這いなると、冬子が父のおでこに右手を置く、という謎の芸でした。ほぼ、お手なのですが、父はその芸を『洗礼』と呼んでいました。いつもは五秒くらいやるとじゃれ合う二人なのですが、別れの日は十分くらいそのまま停止していました。

 きっと冬子の右手を通じて、父と冬子は会話をしていたんだと思います。

 

 空港までは父が車で送ってくれました。成田から飛び立ち、カナダを経由して私たちはついにアラスカに上陸しました。

 空港で冬子を受け取り、ケージから出すと冬子は私に飛びついてきました。見る人が見たら襲われているようにしか見えないくらいの勢いでした。

 町に出ると冬子は、辺り一面に広がる雪を見て跳ね回りました。喜ぶ、というよりは、狂喜乱舞に近い感じでした。日本では冬子を興味の目で見る人はたくさんいましたが触りにくる人はほとんどいませんでした。ですが、アラスカでは跳ね回る冬子を見て子どもたちが集まってきて、大人たちもそれを見て笑っているのです。一瞬、無茶をする子どもに本当に腹が立って襲っているようにも見えましたが、親が笑っていたので私もやり過ごしました。

 アラスカに連れて来て本当に良かったと思いました。ここがこの子のいるべき場所なんだなぁって。

 私は越谷で働いている知り合いの女性を頼って、メアリーズイグルーに向かいました。

 冬子と最後の何日かを過ごしたら私は日本に帰る気でいました。しかし離れられないのです。冬子を置いていくことができないのです。

 当初二週間でお願いしていたホームステイ期間はどんどん延びていきました。十二日目には町の人が大勢集まってお別れパーティーまでしてもらったので滞在一カ月を過ぎた時は本当に気まずかったです。ホストファミリーも、初めのうちは「好きなだけいなさい」と言ってくれていたのですが。一カ月経った頃にはいつまでいるんだろう、という顔をしていました。

 

 迷惑をかけたくないから帰りたい。でも冬子と離れたくないから帰りたくない。

 そんな生活がさらに二週間くらい続きました。部屋から出る時間も減り、いよいよどうすればいいかわからなくなっていた時です、ホストファミリーのおじいちゃんが私を手招きして呼ぶのです。おじいちゃんは私の名前がわからないのか、手招きしかしません。私は私でおじいちゃんの名前は聞いていないので、ホストファミリーのおじいちゃん、としか呼びようがありませんでした。

「………」

「なに? ホストファミリーのおじいちゃん」

「……………」

「どこに連れて行くの? ホストファミリーのおじいちゃん」

「……………」

「ホストファミリーのおじいちゃんってば!!」

 おじいちゃんは、森に入ってすぐのところにある小屋に私を連れて行きました。飾りだけの豆電球がひとつぶら下がっているだけで、中はほぼ真っ暗。私のキック一撃で壊れそうなくらい古い小屋でした。ホストファミリーのおじいちゃんは何も言わず私を中に招き入れ、そして、小屋の奥に立てかかった古い木箱のようなものの中から、銃を取り出したのです。

 追い出される時が来たんだ。

 そう思いました。映画では何度も見たことがある、銃をカチャッ、とする音を初めて生で聞きました。ホストファミリーのおじいちゃんは私を山奥に連れて行きました。ニコニコしていたので、危険な目に遭わせるつもりはないんだろうなと思っていましたが、次第に猟奇的な微笑みを浮かべているようにも見えてきて生きた心地がしませんでした。

 

この続きは、書籍にてお楽しみください