熊谷の猛暑に冬子がダウンしたのです。私も元・冬子ですし、生まれつき夏は本当に苦手でした。寒いのは全く苦じゃないのです。生まれた時の季節、状況とかもその人に何かしら影響を与えるのかもしれませんね。

 私と冬子は似ていました。二人とも毎年夏になると暑さで動けなくなり、冬は元気に走り回ります。父が「冬子!」と呼ぶと、元・冬子だからなのか、私も振り向いてしまうことも何度かありました。

 冬子が四歳くらいからだったと思います。五月になると遠くを見つめるんです。この先に夏が待っているのがわかるらしく、うんざりした感じで遠くを見つめるんです。私もその横に座って一緒に遠くを見つめるんです。

 夏場は冬子にできるだけのことをしてあげました。冬子が嫌がるぎりぎりまで毛を短く刈ってあげたり、休み時間の度にバケツ水をかけに帰ってあげたり。それでも冬子の夏嫌いは治りませんでした。

 

 私が十九歳、冬子が五歳の時です。冬子がとうとう暴走してしまいました。

 五月から落ち着きがなくなり、家の物を蹴散らすようになりました。六月には犬用のバリカンをくわえて突然失踪し、数日後ほぼ丸刈りで帰ってきました。刈ってくださった方には感謝の気持ちしかありません。突然目の前に謎の大型犬がバリカンをくわえて現れたんです。さぞ怖かったことと思います。

 七月には地元の小学校のプールに勝手に忍び込み、「狼が出た」とニュースになりました。

 そして八月、冬子は倒れて動かなくなりました。

 私は病院へ冬子を連れて行きました。お医者様が「熊谷で育てるのは限界なんじゃないですか?」と言いました。冬子を生まれ故郷に帰してあげたい、そう思いました。

「シベリアだったら元気に生活できるんですか?」

 私は聞きました。すると、

「この子シベリアン・ハスキーじゃないですよ」

 とお医者様は言ったのです。私は耳を疑いました。

「え?」

「この子、アラスカン・マラミュートです」

「アラスカン・マラミュート……アラスカン・マラミュート………アラスカン・マラミュート……?」

 三回聞き返しました。それくらい耳慣れない言葉でした。冬子を手にしたあの日からてっきりシベリアン・ハスキーだと決め込んでいたので、

あなたは日本人じゃありません、と言われたのと同じくらいの衝撃を受けました。冬子の故郷はアラスカだったのです。帰り際お医者様は言いました。

「冬子ちゃん、雄ですよ」

「知ってます」

 家に帰り、父に冬子のことを恐る恐る相談すると、父はアラスカに行くのが当たり前のように話を進めてくれました。

 私は父の力も借りて、冬子をアラスカに連れて行けるだけのお金を貯めました。冬子が憂鬱な気持ちになり始める五月の前までには! と、目標を定めて必死にバイトをしました。そして二〇〇六年の一月二十二日、ついに冬子をアラスカに連れて行く日がやってきました。

 

『あの子が故郷に帰るとき』は全3回で連日公開予定