一般の男女が共同生活やデートを通じてリアルな恋愛模様を繰り広げる「恋愛リアリティショー」。台本のない中で生まれるドラマに、多くの視聴者が魅了されています。
中村あき著の『好きです、死んでください』は、まさにその恋愛リアリティショーを舞台にした本格ミステリ小説。無人島の撮影現場で起きる密室殺人を描いた本作は、単なるクローズド・サークルにとどまらず、現代のSNS社会や「言葉の裏側」を鮮やかに浮き彫りにします。
リアリティーショーを舞台にすることで、なぜこの「殺人事件」がここまで読者の胸に突き刺さったのか? かつて恋リアの撮影現場を経験したという書評家・吉田大助さんから寄せられた、リアルと虚構が交錯する圧倒的密度の解説全文を公開します。
■『好きです、死んでください』中村あき[著]/吉田大助[評]
なぜか恋愛リアリティーショーに出たことがある。出たと言っても当時一世を風靡していた某テレビ番組の、メイン出演者の仕事風景を撮るとなった時に呼ばれ、放送時間で言えばほんの十数秒画面に映っただけだ。ただ、撮影自体は一時間以上に及び、撮影中も放送後にもいろいろなことを考える契機となった。例えば──。
その番組に関しては以前、ライターとして雑誌の特集企画に携わったことがあった。複数の出演者にインタビューを行った際、テレビカメラや少なくないスタッフの存在についてどう思うかと尋ねたところ、最初は意識していたがすぐ気にならなくなったと言っていた。ある人は、喩えるならば「家具」のようなもので、「家具」のことを普段意識することはないですよね、と。正直なところ半信半疑だったのだが、自分が撮影される側になってみるとまさにその通りだなと感じた。カメラを無言でえんえんと長回しされるうちに、存在があまり気にならなくなっていったのだ。異常な状況に多少の慣れが生じたというだけであり、普段の自分とカメラの前の自分は明らかに違うという前提は覆されるものではないが、「家具」という一語の意味を実感することができた。
何より大きな気付きは、恋愛リアリティーショーの世界では「言ったこと」が全てであるという暗黙のルールだ。人は本来、体の中に「言わなかったこと」をたくさん溜め込んで生きていて、「言ったこと」はそのうちのごく一部に過ぎない。そのことを自分自身の経験からよく知っている、ということは他人もそうである……というナチュラルな想像が、この時空においてはぶった斬られる。カメラに写り音声として記録されたことだけがその人の思考であると認定され、「言わなかったこと」は「思わなかったこと」にされてしまうのだ。実のところ、全ては出演者の意思とは無関係にスタッフによってセレクトされ、編集された映像にすぎないにもかかわらず。その結果、視聴者が誤解や反感を抱く隙が生じ、時に「炎上」が起こる。いつの時代も流行りのエンターテインメントは、世の中のありようを反映している。いや、むしろそうした恋愛リアリティーショー的価値判断を現実に逆輸入し、自縄自縛になっているのが今の世の中ではないのか、と。
当時考え、感じたさまざまな気付きが、二〇二三年九月に単行本刊行されこのたび文庫化された、中村あきの長編小説『好きです、死んでください』を読み進めながら何度も蘇ってくる感覚がして、驚いた。著者はもしかして、恋愛リアリティーショーに出たことがあるのか? いや、(たぶん)違う。著者はミステリー作家だ。フレッシュなミステリーの舞台装置を探す過程で、ここに辿り着いたのだろう。その選択は、大正解だった。
ミステリーであるという性格上、できる限りネタバレは回避したいが、本作の基本設定とテーマに関する重要なポイントには触れておきたい。物語の舞台は南の島だ。無人島のコテージで若い男女六人が十日間にわたって共同生活を送る、インターネット番組の恋愛リアリティーショー『クローズド・カップル』。なぜかメンバー入りした売れない大学生ミステリー作家・小口栞が、撮影三日目の朝、リビングダイニングの各所に仕掛けられた定点カメラを気にしながら、他の出演者たちと挨拶を交わす場面で物語は幕を開ける。まず最初に現れた売り出し中の人気女優・松浦花火は、栞に対して「けっこうタイプ」と口にする。しかし、直後の振る舞いからその言葉は本音ではなく、〈これは彼女が仕かけた演出だ〉と瞬時に気付く。〈思わず嘆息した。さすが、経験が違う。/展開に起伏を生み出し、かつ自分が「おいしいポジション」を得る立ち回り〉。恋愛巧者でもなければ役者としての経験もなく、基本はあたふたしていて言葉を飲み込んでしまう栞の、脳内実況中継&副音声の雄弁さが面白い。
花火に対して恋心を持っていることを栞に明かす特撮出身俳優の桂圭太郎、「圭たん」にゾッコンであることを本人にも隠さないアイドルの恋塚うるる。北欧ハーフのファッションモデルでとびきりクールな最年少の青垣外サリー、彼女を何かと気にかけるバンドマンの我妻陽。〈……なんか一方通行の矢印、多くない?〉。演じること、見られること、好きになってもらうことを生業にしてきた経験を活かし、カメラがオンの時の顔とオフの時の顔とをあからさまに使い分ける、うるるのジョーカーっぷりは物語序盤の大きな魅力となっている。
恋愛の構図は整いつつあったものの、懸念されるのはスタッフの数だった。トラブルにより制作スタッフの人員は大幅に欠けており、三人のみで撮影を進めざるを得なくなっている。数々の番組をヒットさせてきた大物プロデューサーの木野天秤、気は利くもののおっちょこちょいな面があるアシスタントディレクターの手鏡渚子、堅実でプロフェッショナルな仕事ぶりに信頼があるカメラマンの灰村櫂介の三人。ただ、出演者の協力もありなんとかやりくりできると思われていたところで、事態は一変する。番組の「筆頭ヒロイン」である花火が、自室で死体となって発見されたのだ。
花火は他殺と思われる状況にあったが、部屋は密室だった。島内の至る所に設置されていたカメラの映像を確認し、出演者とスタッフ総出で話し合うことで、全員にアリバイがあることは分かったのだが……なぜか恋愛リアリティーショーの撮影は中止にならなかった。そればかりか、〈推理劇が、恋愛劇を駆動させている〉。栞の内側にこの言葉が立ち昇ってくる背景を記すのは、ネタバレにすぎるかもしれない。
第一の(虚構の)殺人における、舞台が恋愛リアリティーショーだったからこそ可能となったトリック。第二の殺人において特殊な殺害方法が選ばれた理由の考察から、犯人を絞り込んでいくプロセス。そこが解ければ、それ以外の謎も……とロジックがロジックを呼んでいくドミノ倒しの快感は、これぞミステリーと快哉を叫びたくなる。「あれはそういうことだったのか!」とパッと場面を思い浮かべることができる大胆不敵な伏線は、してやられた感を味わうことだろう。
最大の驚きは本編全五章の間に挿入された、「三年×組にて」と題された幕間の章にある。〈私には「恋愛」というものがよくわからない〉と思いあぐねる女子高生の坂東未来は、放送中の恋愛リアリティーショーの展開に一喜一憂する周囲のノリについていけない。そんな折り、クラスメイトの男子から「俺と、つき合ってほしい」と告白される。幕間と本編がどう絡むのか、さっぱりわからないまま最終盤まで進むと、息を呑む真相が現れる。
冒頭の文章を繰り返したい。恋愛リアリティーショーの時空では、「言ったこと」だけが「思ったこと」であり、「言わなかったこと」は「思わなかったこと」にされる。でも、それは端的に言ってウソで、生身の人間は「言わなかった」けれど「思ったこと」で満たされているのだ。だから大事なことは、他者が放った言葉の裏には何かがあるのではないかと想像することと、そうした想像を他者に対して過度に強要(言い訳)せず、自分が放った言葉には責任を持つこと。この真実を本作は、ミステリーのサプライズを駆使して読者に届けた。と同時に本作は、カギカッコのセリフ(「言ったこと」)と、地の文のモノローグ(「言わなかった」けれど「思ったこと」)で成り立つ、小説という表現ジャンルの特性を最大限に利用してみせた。題材が恋愛リアリティーショーでなければ、本格ミステリーでなければ、そして小説でなければ、この真実がこれほどまで鋭さを増して読者の胸に突き刺さることはなかったと思うのだ。
著者の中村あきは、一九九〇年生まれ。二〇一三年に『ロジック・ロック・フェスティバル~ Logic Lock Festival~ 探偵殺しのパラドックス』で第八回星海社FICTIONS新人賞を受賞し、デビューを果たした。同作は高校を舞台にした、密室殺人(もちろん殺人の数は複数)などが登場する学園ミステリーなのだが、語り手を務める名探偵の名助手「僕」の名前は、中村あき。エラリー・クイーンや有栖川有栖、辻村深月など、作者名を主人公の名前にする、という先行作家たちの伝統を踏襲するものだった。主人公たちが「誤った前提条件(ミステイク・プリコンデイシヨン)」の発見から真相を喝破するプロセスは、王道中の王道。シリーズ続刊となる二作、二〇一七年刊の『トリック・トリップ・バケーション ~Trick Trip Vacation~ 虹の館の殺人パーティー』と『ラスト・ロスト・ジュブナイル ~Last Lost Juvenile~ 交錯のパラレルワールド』も含め、ミステリーへの愛と憧れがたっぷり詰め込まれたものだった。
その後、著者にとっていわば再デビュー作となったのが、二〇二一年刊の『チェス喫茶フィアンケットの迷局集』。プロ・アマ問わず締め切りもなく、編集者が読んで面白いと思ったら受賞☆双葉文庫で刊行するという異色の新人賞、「双葉文庫ルーキー大賞」の第三回受賞作だ。高校生たちの心理を鋭く描く筆致──重視されている感情の一つは恋愛──は健在ながら、人が死なない「日常の謎」を扱う新機軸の連作ミステリーとなっていた。その次に刊行された本作で、著者は恋愛リアリティーショーと孤島ミステリーのハイブリッドに挑んだ。基本設定だけ聞くとそう思われたかもしれないが、実は恋愛リアリティーショーという題材を通して、今自分たちはどういう社会に生きているのかを問う社会派ミステリーと、本格ミステリーのハイブリッドだった。本作は、年末の各種ミステリー・ランキングで軒並みランクインという躍進を果たした。
それから約三年間が経過した。次回作のアナウンスはまだ聞こえてこないが、不安は覚えていない。新たな挑戦、新たなハイブリッドを模索して、虎視眈々と想像を膨らませている姿しか思い浮かばない、本作を折りに触れて読み返しながら、次回作の到来を楽しみに待ちたい。