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「星は一時間に一五・〇四度、月は一四・四九度、東から西へ移動する。その差が星食を起こすんだ。もちろん、星食が終われば背景の星はまた現れるから、食べられたからと言って消えたりはしない」

 そりゃそうだ、と美佑がうなずく。

「人間だって食べたらちゃんと出すもんね」

「美佑。汚い。琴音まだ食べてるよ」

「え? 気にしないで。天文の話なら汚くても全然オッケー」

 いつの間にか琴音は雑誌を閉じて、神崎先生の話に聞き入っていたようだ。天文に汚い話なんてあるのだろうか。

「去年は水星食があったけど、昼間だった。来年は日没直後の予定だから、天文部で惑星食が観測できるチャンスだね」

「センセー。その惑星食? と星食って何が違うの?」

「月に隠れる星が太陽系の惑星か、それ以外かの違いだよ。夜空に見えるほとんどの星は、太陽系外の遥か彼方にある恒星だ。惑星は太陽の周りを回る星で……いくつあるか、習ったね?」

 突然授業で当てられたときのように、美佑と芽衣沙がきょどきょどしだす。

「えーと、水金地火木……?」

「土天海だから、八つ?」

 ふたりが指折り数えて答えると、神崎先生は口をもぐもぐ動かしながらうなずいた。

「そうだね、惑星は八つ。惑星食は、僕らのいる地球以外の七つの惑星で見られる」

「ふぅん。惑星は八つだけって、誰が決めたの? 他にもたくさん星はあるんでしょ?」

「惑星を定義したのは、国際天文学連合。太陽系の惑星とは、太陽の周りを回り、充分大きな質量を持つので、自己重力が個体に働く他の種々の力を上回って重力平衡形状を有し、自分の軌道の周囲から他の天体をきれいになくしてしまい、それだけが際立って目立つようになった天体である」

 すらすらと答える神崎先生に、美佑と芽衣沙はぽかんとした顔をした。

 途中から理解できなくなったのだろう。わたしも入部したてでこれを聞いたときは、同じようにぽかんとした覚えがある。

「つまり惑星とは、太陽の周りを回ってて、大きくて丸くて、ひと際目立つ星ってこと」

 理数科の琴音がざっくり要約したことで、ふたりは息を吹き返したように「なるほど」とうなずいた。

 誰もがその名を知っていて、ひと際目立つ輝く星。それはまるでわたしの姉のようだ。

 そう考えた瞬間、昨日教科棟のトイレで声をかけてきた男子生徒を思い出した。

 瀬尾斗也。理数科の生徒で、野球が上手かったのになぜかサッカー部に入ったという、ちょっとした有名人。しかも素人のはずがサッカーも上手くて、ついでに頭も顔も良いのだとか。

 新入生一のハイスぺ男子だと、美佑と芽衣沙が話しているのを聞いていたので、昨日は突然彼がトイレに現れて驚いた。

 彼も星に例えるなら、きっと惑星側だ。わたしは彼らに弾き飛ばされるか、取りこまれて衛星にされるかしかない、取るに足らない小さな天体と言ったところだろうか。

「センセーの話って面白いよねぇ。勉強って感じがしないから?」

「わかる。オタクのマニアックな話聞いてるみたいな」

「面白いなら、天文部に入部──」

「あ。それはいいかな」

「うちら帰宅部のエースなんで」

 すげなくふたりに断られ、神崎先生は唇に海苔をつけながらショックを受けた顔をしていた。なんというか、大人なのに仕草が子どものような人だ。

 ちらりと壁の時計を見ると、いつもの時間が迫っていた。急いでプリンを喉に流しこみ、苺大福を口に詰めこむ。慌てすぎと琴音に言われながら席を立った。

「ちょっとトイレ。先に教室戻ってて」

「またぁ? 藍、お昼のあと絶対トイレ行くよね」

「しかもなかなか帰ってこないし」

 どきりとした。毎回いなくなるのは、さすがに不自然だっただろうか。

 わたしは「乙女には色々あるんです」と誤魔化して地学実験室を出た。「うちらも乙女ですが?」という美佑の声に笑いながら、教科棟に小走りで向かう。

 今日も、彼は現れるだろうか。

 

「藍。いま帰り?」

 昇降口で靴を履き替えていると、馴染みのある声に呼ばれた。

 顔を上げると、姉が廊下からこっちを見ていた。隣にいるのは同じ生徒会役員の友人で、確か副会長をしている人だったか。

 一緒にいた美佑と芽衣沙が「やば、会長だ」と後ろではしゃぐ。

「お姉ちゃんこそ、今日ピアノのレッスンじゃなかった?」

 こういうとき、なんとなく居心地が悪くて、少し素っ気ない態度をとってしまう。そのたびに、ちょっとずつ自分が嫌いになっていくのにやめられない。

「うん。レッスンの前に、少し生徒会の仕事をしてから行こうと思って」

 昇降口に入ってくる生徒たちが、ちらちらと姉を気にしながら横を通り抜けていく。

 人の視線に慣れている姉は、まるで気にした様子もなく、たまに「会長さようなら!」と挨拶する生徒に笑顔で「さようなら」と返す。

 姉、吉川紫の周りはなぜか、いつもそこだけスポットライトが当たって見える。そう感じているのは、きっとわたしだけではないだろう。大勢の中にいても、決して埋もれない。それどころかひと目で見つけられて、その動きをつい目で追ってしまう。

 昔から、姉はそういうひと際目立つ存在だった。

「そういえばお母さんが、最近お姉ちゃんの帰りが遅いって心配してたよ」

「ああ……。レッスンのあと、ファミレス寄って勉強したりしてるから」

「気をつけなよ。お姉ちゃん美人なんだから、あんまり遅くなると危ないよ」

「藍だって、天文部の活動でよく遅くなるじゃない。危ないのは藍も同じでしょ。今日は天文部はお休み? 気をつけて帰ってね」

 そう言うと、姉は長い黒髪を揺らし、生徒会の友人と去っていった。

 その後ろ姿を見送り、美佑と芽衣沙が「会長かっこいい」とため息をつく。友だちが姉に送る羨望のまなざしを見るのは、もう慣れた。

「会長がお姉ちゃんとか、藍って勝ち組だよねぇ」

「あんな完璧な優しい姉がいて、なんで妹はグレちゃったの?」

「なんでよ。グレてないし。良い子じゃん」

 わたしの苦労なんて知らないふたりが、会長みたいな姉ならほしい、妹になりたいとしきりに姉を褒めるのを、「うらやましかろう」と冗談を言って聞き流した。

 吉川紫は優しくて、かっこよくて、完璧な姉だ。それは間違いない。

 ただ、そんな完璧な姉を持つ妹がいつもどんな思いをしているか。それを知る人は誰もいない。

 

 

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