1
いっそ死んでしまおうか。
内定先が不祥事を起こした。ドミノ倒しみたいに騒ぎが大きくなり、僕の内定は吹っ飛んだ。大学の就職課に相談しているけれど、もう十一月とあり、ろくな求人がない。アルバイトでは奨学金が返せない。そのアルバイト先も潰れた。オーナーが逃げて、先月の給料は未払いのままだ。同学年の僕の恋人、南野悠里は、父親が大手広告代理店の偉い人で、悠里も大手メーカーに就職が決まっている。ふがいないけれど、そのコネを借りられないか相談したところ、別れを切りだされた。
悠里は申し訳なさそうに、ほかに好きな人ができたと答える。困惑していると、親友の門倉伸斗がその場に現れた。そして頭を下げる。ごめん、オレたちそういう関係になってたんだ、将来のことも語り合っている、と。伸斗の親は不動産を手広く扱っている会社の代表でお金もあるから、地方から東京に出てきた僕より悠里にマッチするかもしれないけど──と、そこから記憶がない。
アパートの部屋でひとり泣き、就職課の面談をブッチして電話で怒られ、そしてまた泣き、泣きつかれて街に出た。
そして思ったのだ。いっそ死んでしまおうか。
電車に飛び込むか、高いビルから身を投げるか。でもぐちゃぐちゃになるのは嫌だ。入水自殺も寒そうだし、なにより泳げてしまう。練炭はどうだろう、とホームセンターに入った。
そのとき目に飛び込んできたのが、トラロープの黄色と黒の色だ。
練炭と七輪を買うより安い。いや今から死のうとしているときに、僕はなにを考えているのか。でも普段の行動を簡単には変えられないのが人間だ。僕はトラロープを買った。とはいえ部屋に戻ってから気づいた。ロープをひっかけてぶらさがる場所がない。
ぶらさがるなら木だろう。使い古したジッパー付きのトートバッグにロープを入れ、再び街に出た。
どうせなら大学で死のうか。だけど夜でも理系の人たちがいて実験かなにかをしているので、阻止されるかも。腐りたくはないから、早めに見つけてもらえる場所がいい。大学の裏手にある公園がよさそうだ。芝生の広場があって、昼間は仲の良いグループが語らい、夕方はカップルが寄り添う。桜並木がきれいで、春は花見客でにぎわう。僕も幾度となく足を運んだ。
桜の木に巣食う怪談の漫画を話題にしたのはいつだっけ。振袖を着た美女が桜の枝で首を吊り、花々がその美しくも悲しい姿をあでやかに飾る物語だ。でも桜の枝はもろくて折れやすいから、実際にはあり得ないなんて話をしたっけ。本気で首を吊るならばと枝ぶりのよい木を探し、あれがいいこれがいいと酔った頭で笑いあった。あの木はどこにあっただろう。桜並木を正面に見る、常緑樹だった。もしも幽霊となりここに留まるなら、桜の季節に美しい光景を眺められる。
暗闇のなか、スマホの懐中電灯をたよりに進んだ。たしかこのあたり、と思ったところにその木はあった。そうだ、遺書を書いていなかった。スマホのメモアプリにでも綴ろうと考えるも言葉がまとまらない。と、そのときペンダントに気づいた。悠里とペアで買い、互いのイニシャルが入っている。遺書の代わりに引きちぎった。足元の枯れた芝生へと投げる。そして木にスマホの光を向けて、
先客がいた。
同じことを考えた人がいたのだ。揺れた足先から、どろりとした水が滴っている。糞尿のにおいに、僕はやっと気づく。
警察を呼んだ。
あとはよろしくとばかりに帰ろうとしたが、引き留められて、名前や住所、職業などを訊かれる。警察の人たちは思っていたよりも大人数で、ブルーシートで木を覆い、強力な灯りのなか、何人もが地面に這いつくばっていた。
木からぶらさがっていた死体は、女性だった。
怖くて顔を見られなかったが、髪が長くて、スカートを穿いていたから間違いない。
「それで、春宮遼平さん。あなたはなんの用があって、ここにいらしたのですか?」
黒っぽいスーツを着た警察官の男性が、メモを手に訊ねてくる。
僕も同じ木で自殺をしようと思っていました。──と答えたら、どんな顔をされるだろう。親や、もしかしたら大学にも連絡が行く。もちろん死んだら連絡は行くけど、そのころ僕はもういない。でも、今は困る。
「散歩……です」
「今、十一時すぎですが、こんな時間に散歩ですか」
灯りで照らされてはいるが、相手の表情が読み取りづらい。
「ここはうちの大学のキャンパスの延長というか、遊び場です。試験が終わったあとや花見の季節なんかに酒盛りもするし、時間はあまり気にしないというか」
「今は試験時期でも花見の季節でもありません。春宮さん、おひとりでなんの遊びを。それともどなたかとご一緒でしたか?」
警察官の言葉が心に刺さる。恋人も友も去った。どちらともここに来たけれど、そんな日は二度と戻らない。ふたりの関係にまったく気づかなかった。僕はなんて鈍いんだろう。
「誰とも一緒では、ないんです」
僕はひとりだ。泣きそうになって、声が震えた。
「少しお待ちください」
警察官がブルーシートの向こうに消えた。言われたとおりしばらく待っていると、タブレットを手に戻ってくる。
「ご遺体のお顔を見ていただけますか。刺激が強いので写真にしました」
「なんで、僕が」
通報したときに、怖いから顔は見ていないと答えたのに。
「ここは大学の延長、というお話でしたよね。ご遺体の身元はまだわからず、同じ大学のご存じの方かもしれない」
「うちの大学、かなり人数がいて」
「ご協力ください」
有無を言わせぬ口調に、うなずくしかなかった。おそるおそる、タブレットを覗く。
ぎょろりと開いた目、だらしない口元から覗く舌先、正視に堪えない。
警察官は液晶画面をスワイプし、違う方向からの写真も見せてくる。整えられた眉や形のいい鼻から、それなりの容姿だったようだけど、今は死体だ。僕は目をそむけた。
「いかがですか?」
警察官が僕の顔を覗きこんでくる。
「知ってる人じゃないと思います」
「そうですか、わかりました。また連絡するかもしれませんが、その際はよろしくお願いします。なにか思い出したことがあればお電話ください」
渡された名刺をそのままジャンパーのポケットに入れた。ぼんやりしていてアパートへの道を間違え、何度かつまずき、転んだ。そのときだろう、持っていたトートバッグを失くした。スマホはヒップポケットに入れていたので助かった。
2
三日後。大学に行く気になどなれなかったけど、まだ単位を取っていない講義があるので、重い足をひきずって出かけた。就職課にも謝っておかないと。
自殺にリトライするか、すべりこめる会社を探すか、決めかねていた。今の僕は、惰性で動いている。
昨年落とした講義だ。学生の大半は一学年下で、友達がいない。隅の席にひとり座る。
背後から賑やかな声が聞こえた。先生はまだ来ていないが、うるさい。陰キャの僕には注意をする勇気がないので席を替えようと立ち上がると、その話が耳に飛び込んできた。
「死んでたのって、あの百地依梨花? ミスキャンに出てた?」
男子学生の声だ。それに女子学生が続ける。
「そう、百地依梨花。裏の公園で首、吊ってさ。なにがあったんだろうって、サークルで下の子たちが大騒ぎ。同じ学科なんだって」
あの女性だ、と思い、僕は席にまた座った。服の皺を伸ばすために立ったふりをして。
「あの顔持ってたら、人生イージーモードなのにね」
別の女子学生の声がした。僕は背後の音に集中する。ミスキャンとは、六月に行われた大学祭のイベント、ミス&ミスターキャンパスコンテストのことだろう。一年生は入ったばかり、三年生と四年生は就職活動やその下準備があるため、応募者の多くが二年生だ。下の子たち、とは二年生かな。
「そこまでかわいくもなくない? 準ミスでもなく、四位か五位だったはず」
「応募者全員がかわいいの域だって。でなきゃミスキャンに出ようなんて思わない」
「かわいいかかわいくないかは置いといて、なんで死んだのって話してたんじゃなかった? サークルの子たち、理由、知らないの?」
「知らないから騒いでんじゃん。しかも発見者、うちの大学の人だって。ちょー怖い。絶対、夜、うなされてる」
うなされてはいない。死体を見つけたことよりも、もっと大きなショックと絶望に首まで浸かっているから。
しばらく百地なる女性の噂話に興じたあと、背後の学生たちの話題はほかに移った。僕はスマホでミスキャンのサイトを検索する。投票アプリのボタンは消えていたけれど、応募者の写真と略歴はまだ残っていた。
百地依梨花、英文学部・国際コミュニケーション学科、二年生。趣味はスポーツ観戦、特技はダンス。といった自己紹介が載っている。典型的な陽キャだと感じた。ふんわりとカールした長めの髪に満面の笑みは自信に充ちていて、なるほど人生イージーモードと受け取られてもおかしくない。死体の苦悶の表情とは結びつかなかったけれど、この顔だと言われれば、たしかにこの顔だ。
さらにその二日後、僕は百地依梨花の葬儀に向かっていた。場所と日時は背後の噂話から手に入れた。
死体を見つけたため、という義務感とは少し違う。
彼女は僕の代わりに死んだのだ。あの死体がなければ、僕はあそこにぶらさがっていただろう。そんな縁のようなものを感じた。
僕の実家の田舎とは違い、葬儀場はビルだった。ほかの階では別の人の葬儀をやっている。案内図を見るに、百地さんの斎場は最も大きい部屋だ。自慢の娘だったのだろう。僕の葬儀をするなら東京だろうか。それとも実家のほうか。どちらでやるにしても、悠里も伸斗も、きっと来ない。
受付で名前を書き、うしろのほうの席に座る。正面に大きく、笑顔の遺影が掲げられていた。女の子の泣き声が斎場に響く。ひとりなどは、焼香の際に泣き崩れていた。
最期のお別れに、と棺に入れる花を手渡され、おそるおそる覗いたなかの顔は、遺影の状態に戻っていた。整える人を納棺師というのだっけ、すごい技術だ。
焼香のタイミングあたりからだと思うが、誰かの視線を感じていた。と、出棺を終えたあと、廊下で声をかけられる。
「春宮さんだよね。どうしてここにいるの」
「谷村先生?」
二年生のときの英語の教授だ。一般教養なので多くの学生が彼の講義を受けている。僕は当然、谷村教授を覚えているけれど、教授のほうが僕を覚えているとは驚いた。
「ちょっと事情があって」
「きみ、百地さんの知り合いだったんだね」
「……いや、その」
死体を見つけた、とこの場で言ってもいいのだろうか。でも谷村教授こそ、どうして来ているのだろう。例えばゼミ生が死んだのなら参列するのもわかるが、うちの大学のゼミは三年生からだ。教授は英文学部の人で、百地さんも英文学部だけど、二年生の彼女は、一般教養でしか講義を受けていないのでは。
「ここではアレなんで、ちょっと外で話さないか」
谷村教授は周囲を窺ってから、そう言った。僕に異存はなかった。
チェーンのカフェがあったのでそこに入る。カウンターでドリンクを受け取り、小さな机をはさんで向かい合う。
「もう少し広いところがよかったかもしれないね。喪服だと目立つ」
谷村教授が苦笑している。
「葬儀場が近いから、そうでもないかもですよ。どうせお客はみな他人だし」
喪服を着ている人は、ほかにも見受けられた。
「そうだけど……内容がさ。きみは知っているかな。百地さん、殺されたようなんだ」
谷村教授が極端なほど声を潜めたので、僕は叫ばずにすんだ。そうでなければおうむ返しの声を張り上げただろう。
「殺……ってどういうことですか」
「詳しいことは話してくれなかった。だけど私のところにやってきた警察官に所属を訊ねたら、刑事課の強行犯係だと言ったんだ。もらった名刺もそうなってた。その部署って、傷害とか殺人といった凶悪な事件を扱うところでしょう? 今日もいたよ、葬儀場に」
「えっ?」
今度こそ僕は大声を出してしまった。谷村教授が唇のまえに指を立てる。
「すみません。そ、そうなんですか。えとでも、どうして警察は先生のところに?」
「百地さんは、うちのゼミに入りたいからと、研究室によく来てたんだよ。まあ、その流れで私が、大学側からの参列者として行かされた。ほらうちの学校、一、二年次のクラス担任がないから。百地さん、勉強熱心ないい子だと思っていて、それだけだったんだけど、警察に誤解されてしまってまいったよ」
「誤解?」
「つまり、つきあっているんじゃないか、ゆえに犯人ではないかと。もちろん私は潔白だ。アリバイもある。それできみはどうなの。百地さんと知り合いだったとは思わなかった。といっても春宮さんは私の講義を取ってただけだから、きみの交友関係は知らないけど」
「僕はその……あれ? では先生はなぜ僕を覚えていて、声をかけてくれたんですか?」
谷村教授の目線が、下へと沈む。
「訊かれたんだよ、警察に。春宮さんの名前を出されて、この学生を覚えているか、百地さんとの関係を知っているか、とね。わからないから知らないと答えてしまったけれど」
「関係、ないですよ、僕。たまたま……百地さんの死体、いえご遺体を発見したんです」
「ええっ?」
それまで声を落としていた谷村教授が、腰を浮かせるほどに大声で驚く。
「それでどうして、お葬式に来たの?」
「うまく説明できないんですが、こう、けじめというか、最期の関わりをというか」
僕は本心を隠す。さすがに、自殺をしようとした僕の代わり、なんて言えない。
「妙な義理立てをするんだね。でもそれが本当なら、気をつけたほうがいい。きみも疑われているんだよ。警察が私に、春宮さんと百地さんの関係を訊いてきたというのは、そういうことだからね」
なんだそれ、と笑ってしまった。僕にはふられたとはいえ、ずっと恋人がいたのに。
「警察は交際相手を探しているんですよね。じゃあ僕じゃないって、すぐわかりますよ」
「そうか。まあ警察というのは、端から疑ってかかるものだろうからね」
家に帰ってから、ポケットにつっこんだままの警察官の名刺を見ると、たしかに強行犯係と書かれていた。あのときから警察は、殺人事件として動いていたのか。
3
そのあと僕は、事件のことを検索した。公園で意識不明の女性が発見されてその場で死亡が確認された、事件と事故の両面で調べている、という程度しかネットニュースには載っていない。どうみても事故ではないと思うが、詳しく発表できないときの定型文なんだろうか。
首吊りの死体なのに、なぜ自殺ではなく殺人になるのかも、検索でなんとなくわかった。首につく紐の跡が違うらしい。そういうことだったのかな。
夕刻、アパートに警察が訪ねてきた。先日、僕に聞き取りをした名刺の男性だ。菅原という名だった。改めて話をうかがいたいと言う。僕にやましいことはないので、部屋にあげた。もうひとり、女性もついてきていた。菅原も女性も、三、四十代くらいだ。
「今日、百地さんのお葬式にいらしてましたね。先日は知らない人だとおっしゃっていましたが、ご友人でしたか?」
菅原が訊ねてくる。谷村教授とも同じ話をしていたので、余裕だ。
「最期を看取ったような形なので、なんとなく、けじめみたいなものを感じました」
「日時まで探してですか?」
「大学で噂になっていました。百地さんはミスキャンの候補者だったそうで」
「有名人なのですね。なのに春宮さんは知らない人だと答えた。それはなぜですか?」
警察って頭が固いなあ。なぜ学生全員がそれに興味を持っていると思うのだろう。
「僕は四年生です。就職活動で忙しいし、もともとそういうものに関心がありません」
「そうですか。では百地さんが亡くなった日のことをうかがいます。これはみなさんに訊いているのですが、夕方から先、あなたはどちらにいましたか」
「ここにいました」
「お部屋にいては百地さんを発見できませんよね。何時に家を出ましたか?」
何時だろう。覚えていない。この部屋では首を吊れないと思い、死に場所を探して街を彷徨った。
「ちょっと覚えてなくて」
「そうですか。では次にこれを見てください。とある店の販売データです」
菅原が、タブレットを突き出してくる。
「当日の午後にロープを購入されていますね。防犯カメラを確認したところ、春宮さんが映っていました。今、どちらにありますか?」
え。
ぞわりと、背中をなにかが撫ぜていった。
あれはあの日、どこかで失くしてしまった。自殺すると決めたらまた買えばいい。でも女性のあの姿を見たあとでは首を吊るのは気が進まない、そう思っていたのだ。だから探しにいこうとはしなかった。
「失く……失くしたんです。入れていたトートバッグごと。あの日の帰りに、疲れて、転んでしまって。黒の、ノンブランドの、安い」
「遺失物の届けは出ていませんが」
「ボロかったし、たいしたものは入っていなかったから。……僕、あのとき、持ってましたよね、トートバッグ。菅原さんとお話ししてたとき、ありましたよね」
「ええ。お持ちだったのは覚えています。でもあなたはロープを持ち歩くんですか? なんのためにですか」
「か、買ったあとトートバッグに入れて、そのまま持ってただけです」
「夕方にこちらにいたということは、いったん家に持ち帰ったわけですよね。トートバッグから出さなかったんですか」
「出し損ねたんですよ! ぼ、僕が買ったのはトラロープです。黄色と黒のだんだらの。新しいもの。そ、それが百地さんの首に巻きついていたとでも言うんですか?」
正直、覚えてはいなかった。でも同じトラロープなら、僕も気づくんじゃないだろうか。
「どうでしょうね。捜査内容はお答えできないんですよ」
なんだと?
僕は二の句が継げなかった。ロープの種類はわからないけれど、警察は僕をかなり疑っている。どうしてこんなことになるのだ。僕はだんだん、怒りを覚えてきた。
「では次に──」
「ちょ、ちょっと待ってください。僕を疑っているんですよね。でも僕、本当に百地さんを知らないんですよ。彼女のスマホに僕の番号、入ってますか? メールとかメッセージとか、ありますか? 僕のほうはないです。見せてもいい」
「世の中にはやりとりが消えるアプリや、飛ばしのスマホもありますよ」
「そんなの使ってるの、日常的に犯罪に関わってる人でしょ。僕は普通の大学生です。おそらく百地さんもそうでしょ」
「犯罪者でなくても、不倫相手などとのやりとりに慎重な人はいますよ」
「僕は独身です!」
とそこで、それまで黙っていた女性が会話を止めるように手をかざした。
「いいよ、菅原さん。少し開示しましょう。春宮さん、百地さんのスマホは見つかっていないんです。おかげで交友関係が一部しかわからない」
だからあれこれと疑っているのかと腑に落ちた。そして、この女性のほうが上司なのか。
「安心しましたか? で、スマホはどこに捨てました?」
突然、女性が笑顔で訊ねてくる。
「え。……だから、関係ない人だし、スマホも持ってってない。僕はただ、人が首を吊ってるって通報しただけです」
腑に落ちたと思ったときに、僕の表情が緩んだのだろう。それを安心したと受けとり、引っ掛けるつもりだったようだ。恐ろしい。
「そ、そう。もしも僕が犯人だったら、警察に通報なんてしない。放っておくでしょ」
僕がそう言うと、菅原が小さなビニール袋に入ったなにかを出してきた。
「こちら、あなたのものではないですか?」
僕のペンダントだった。遺書のつもりで投げ捨てたものだ。
「そうですが……それがなにか」
「現場近くの草むらに落ちていました。あなたはペンダントを落としたことに気づき、証拠となるものを残したままになってはいけないと、発見者のふりをしたのではないですか?」
「違います! 勘繰らないでください」
「イニシャルが一致していますよね。R・Hは遼平・春宮で、Y・Mは依梨花・百地と」
「違いますって! R・Hは僕だけど、Y・Mは南野悠里っていう同じ経済学部の恋人です……でした。僕の周り、誰でも知ってますよ」
むちゃくちゃだ。犯人の目途がつかないから、僕を生贄にするつもりなんじゃないか?
「そうですか。ではもう少し調べてみます」
「そうしてください。だいたい、百地さんとつながりなんてありませんよ。それ、見つけてから怪しんでくださいっ」
菅原と女性は、では今日のところは、と帰っていった。また来るつもりなんだろうか。
翌日のネットニュースに、公園で発見された女性として百地さんの名前と、殺人事件として捜査をしているという記事が載った。なんらかの情報を持っている人はぜひにと、地元の警察署の電話番号も掲載されていた。
4
大学では、あちこちで殺人事件の話題で持ち切りだった。講義のあとで学食に来たが、落ち着かない。視線を感じる気がするのは、警察官の訪問を受けてピリピリしているからだろうか。
さっさと食べて帰ろう、と箸を取ったとき、向かいに知らない男性が座った。話しかけてくる。
「久しぶり、春宮くん。元気?」
人違いをしているのではなさそうだ。でも誰だろう。そう問うと、相手はニカッと笑う。
「梶本。情報科学部の梶本裕。英語の講義で一緒だったじゃない。同級生だろ」
谷村教授の英語か。そう言われてみれば見たような気がするけど、あんな大教室、ほかの学部の人のことは忘れるって。
「百地って子の死体を見つけたの、春宮くんなんだって?」
僕は飲みかけていたお水を吹き出した。梶本にかかってしまう。
「汚ねえなあ。ま、俺がいきなり言ったせいか。いやさ、噂になってるからちょっと好奇心。てか、顔色悪いな。お祓い行く? いい神社を知ってる。巫女さんもかわいい」
噂になっている? もしかして葬儀場のそばのあのカフェで聞かれていたのだろうか。思えば周囲の席との距離が近かった。今日、妙に視線を感じていたのはそのせいか。
「必要ない。憑かれてもいないし、悪夢も見てない」
それは肯定の返事だと、口に出してから気づいた。だが梶本はそこに触れない。
「でもまじ、ゲッソリしてるよ。眠れてるの?」
それは死体発見とは関係なく、人生に絶望し、さらに警察から疑いをかけられているせいだ。……と彼に言っても仕方がない。
「だいじょうぶだ。放っておいて」
「まじ気になるっつーの。ぱーっと飲みに行く? それともカラオケ?」
こいつは陽キャの野次馬か? それとも週刊誌の記者かよ。噂にできそうなネタでも探してるんだろ。
「金ないから、無理」
梶本はそのあとも、相槌しか打たない僕を気にもせず、かつての谷村教授の講義や今年のミスキャンの話、果てはドラマや映画の話まで喋りつづける。すごいな陽キャってやつは。空気を読む気のないマイペース人間だ。陰キャの僕にはついていけない。疲れる。
「まじ、体調悪そうじゃん。病院紹介しようか。ハートクリニックってやつ」
「必要ないって」
「いやいやまじまじ。ちょ、スマホ貸して」
梶本はテーブルに置いていた僕のスマホを取り上げて、僕の顔で認証させて自分のスマホをかざしてなにか操作していた。
「LINE登録しといた。病院の情報送っとく。まじ一回行っとけ。安心料」
そう言って、梶本がさっさと席を立った。いろいろ言われたけれど「まじ」しか記憶に残っていない。それよりも、僕の名前までもが噂になっているとは。講義以外は大学に近寄らないようにしないと。
顔を隠すようにうつむきながら学食を出ると、目の前に伸斗がいた。なんでこんなところに。いや、こいつだって昼食は摂るんだ。しかし顔を見たくはない。
「遼平、あのさ、おまえ──」
話しかけられたけれど、無視をして足を速めた。
アパートの部屋に戻ると、菅原ともうひとりの女性警察官が待っていた。うんざりする。
「今度はなんですか」
「よかったら警察署にきてお話をしませんか? お見せしたいものもあるので」
いわゆる任意同行を求められているんだろうか。行ったとして、そのまま帰してもらえなかったらどうしよう。
「いや……ここでお願いします。中にどうぞ」
そう答えると菅原たちは遠慮のかけらもなく部屋へと入ってきた。
「春宮さん、あなたは『アジメ』という居酒屋でアルバイトをしていましたよね。ホール担当ですか、厨房ですか?」
菅原が訊ねてくる。アジメは和食中心の、価格設定がやや高めの店だった。個室や半個室が中心で、会社の接待らしき客もいた。
「ホールですが、それがなにか」
「百地依梨花さん、お店の常連だったようですね。店長のオーナーさんは覚えていましたよ。あなたも何度か顔を合わせていたはずだ。彼女を知らないというのは嘘でしょう」
「なんですかそれ。知りませんよ」
僕が彼女とのつながりを示せと言ったからか? たかだか客じゃないか。
「常連だろうとなんだろうと、いちバイトがお客の顔なんて覚えてませんよ。半年に一度程度しか利用してなくても常連だと言い張る、イタい客だっているんですよ」
「百地さんの友人にも確認したので、何度か利用されていたのはたしかです。厨房を担当していたオーナーさんは覚えているのに、ホールでお客と接していた春宮さんは覚えていないんですか? 百地さんはかわいい方だったから記憶に残っていると、オーナーさんは言っていましたよ」
「かわいかろうとなんだろうと、覚えてません。それよりオーナーに会ったんですか? あの人、どこにいるんですか。店、突然潰れて、バイト代、未払いのままなんですよ」
「すみませんが、未払い問題は管轄外なので。また申し訳ないのですが、オーナーさんがどこにいるのかはお教えできません」
「僕をどうしても犯人にしたいがために、オーナーを探し出しておきながら?」
「それは誤解です。百地さんの交友関係を洗い、利用していたお店に聞き取りをするという、ごく一般的な捜査をしただけです。そのひとつがアジメで、偶然にも春宮さんが勤めていたお店だったのであなたにもお話をうかがおうと考えたわけです。そうですか、覚えていない。では百地さんが会っていた相手の顔もわからないのですね」
「本人を覚えてないのに、相手なんてわかりませんよ。それこそオーナーに訊けばいい」
「訊きました。複数人いらしたようで、慎重を期すべくあなたにも訊ねているのです。再度の確認ですが、春宮さん自身は、百地さんと直接会ってはいないんですよね」
その言い方にぞっとした。今度は誰か、僕と百地さんが直接会っていたと証言する人を探すのでは。いや、もしかしたら今日、警察にそういう人を呼んでいたのかもしれない。そして僕の顔を見せて、「こいつだ」などと言わせたかったのでは。
「会ってません。何度も言うように知らない人ですから。ところで僕に見せたいものってなんですか」
「モノは署にあるので、また今度にします」
ほらやっぱり。僕を警察に連れて行きたかったのは、僕に見せたいではなく、僕を見せたいから、だったんだ。
僕は罠にはめられるところだった。いやもうその罠から抜け出せないんじゃないか。
いつだったかテレビで見た冤罪のニュースを思い出す。刑務所から何度も無罪を訴えて、そのまま亡くなってしまった人。僕もああなるんだろうか。たまたま同じ大学の学生で、ペンダントのイニシャルが一致して、直前にトラロープを買っていて、当日のアリバイをはっきり示せなくて、本当か引っ掛けかはわからないけれど被害者が常連客だった先の従業員。それだけの理由で犯人にされてしまうのか。
「そういえばロープは見つかりましたか? トートバッグに入れたまま失くしたというトラロープです」
ふいに、菅原が訊ねてくる。
「……いえ。ないです」
「新たには購入されないのですか?」
「え?」
「必要があって買ったものでしょう?」
菅原が問い詰めてくる。女性も僕のことをじっと見ている。
「それは」
「もう用は済んだということですか?」
だめだ、いっそう誤解をされる。もう言うしかない。
「違います。僕が……僕が、死のうと思ったんです。それでロープを買って。それであの場所に行って。それで何時にどこにいたかがあいまいで、だから」
さすがのふたりも、驚いた顔をした。だがそれも一瞬で、いぶかしげに見てくる。
「なるほど。自殺なさろうと思った理由は?」
菅原が訊いてくる。
「……失恋です。あと、内定取り消しも、バイト先が潰れたことも」
ああ、みじめだ。だけど犯人にされるよりもマシだ。
「もう気持ちは安定しましたか?」
女性のほうに質問された。この間のことがあるので慎重に答える。
「え、ええ……まあ。状況はあまり変わっていませんが、首を吊るのは、なんか嫌かも」
「そうですね。どの方法もお勧めしません。気持ちが安定しないようなら心療内科など、医療に頼ることもお考えください。一方で我々は、病気で余命宣告をされた方に対しても、なんらかの被害者であっても、犯罪行為があるのならば、それを追及する立場です」
自殺を考えていたという背景は斟酌しない、そういうことなのか。
「だけどあの場にいたのは、本当に自殺のためで……」
「なぜそれを今になって言うのですか?」
嘘だと思われているのか? この女性には、人の心がないのか。死のうと思いましたと簡単に口に出せる人が、どれだけいるというのだろう。
もうなにを言っても、信じてもらえないのでは。
ふたりが帰ったあと、僕はただ床に座っていた。夕方になり、部屋が暗くなってきても、鬱々とした気分は晴れない。
あの場所で死のうと、なぜ考えたのだっけ。ああ、ただ思い出してしまっただけだ。桜並木を眺められる、枝ぶりのいい木があることを。あの場所に行かなければ、死体があると通報することもなく、警察に疑われることもなく、別の場所で死ねていたのに。
……死のうと思っていたんだよな? 僕は。
だったら実行に移してもいいんじゃないか? 失恋に内定取り消しにアルバイト先が潰れたこと、さらには殺人の犯人にされることまで加わって、人生に絶望する理由は充分だ。
僕はスマホだけを手に、部屋を出た。メモアプリに警察への文句を連ねる。腹の底からふつふつと怒りが湧いてくる。
思い切り他人に迷惑をかける死に方をしたい。僕のせいじゃない。これは警察のせいだ。そうか、今までこの方法で死んだ人たちも、言いたかったんだ。社会のせいだって。社会が自分を殺すんだって。
大学に向かう道の途中に、相応しい場所があるのは知っていた。その踏切はカーブの先にあるから、電車の運転手から見えにくく、以前、老人が転んで事故になりかけたことがあった。夜の闇のなかでは、より見えづらい。
一本、二本、と電車を見逃した。怖かったからじゃない。タイミングだ。普通電車より快速のほうが迷惑の度合いは高いはず。
いざ。
鳴り響く警告音を背に踏切のバーをくぐろうとしたとき、誰かに腕をつかまれた。
「なにしてるんだ!」
「あ、いや」
「危ないだろ。……あ、似てると思ったら、やっぱり春宮くんじゃないか」
僕の腕を、続けて肩をつかんでくるのは、梶本だった。
「なぜこんなところにいるの」
「大学の帰りだよ。そっちこそバカな真似はよせ。まじ死ぬぞ」
「まじ死ぬぞ、ってなんだよ。そのくらいわかってるよ、死のうとしてたんだよ」
梶本の手を振りほどこうと、僕は身をよじってもがく。
「まじだったのかよ。てか、そんな気はしてたんだ。夜の公園で死体を発見したって話を聞いたときから。十一月だろ、まじ寒いだろ。ライトアップもされてない公園に用なんてないじゃん。おまえも死のうと思って行ったんじゃないの?」
なんでこいつ、わかるんだよ。そう思った僕の手が止まる。
「図星かよ。理由は聞かない。まじ落ち込むこと、生きてりゃあるもんな」
梶本の言葉に頭がかあっとなった。気づけば泣いていた。すすりあげる僕の肩を、梶本がぽんぽんと叩いてくる。
「警察は……信じてくれなかった……」
「どういうこと?」
「だから警察、疑われてる……。僕が犯人、百地さんを殺したって。あの場所にいたのは、百地さんを殺すためだって」
「それ、春宮くんは彼女の交際相手だったってこと?」
梶本が眉をひそめて見てくる。
「会ったこともないよ。だけど警察は、百地さんが僕のバイトしてた店によく来ていたからって──」
気づけば僕は梶本に、警察とのそれまでのやりとりを打ち明けていた。なぜ彼に、という気持ちもあったけれど、仲の良い人よりほぼ知らない人のほうが話しやすいというか、気まずくなったら縁を切ればいいと感じたからだ。なにより、それまで相談相手だった伸斗とは顔も合わせたくない。
「まじかよ。けどそれなら、死んだら逆にヤバいんじゃない?」
梶本が首をひねる。
「逆にヤバい?」
「死人に口なし、って言うだろ。有力な犯人候補が死ぬんだ。そんな適当な捜査をしてる警察、本当の犯人なんてどうだっていい。犯人は自責の念にかられて死んだ、はい一件落着、じゃん」
「そんな。警察に抗議する気持ちもあって、遺書もスマホのメモに遺していて……」
「スマホを最初に見つけるの、警察じゃない? まじ握りつぶしかねないよ」
足元が崩れる思いだった。
「じゃあ……どうすれば」
「自分で犯人を見つければいい。警察にざまあみろって言えるなんて最高じゃん」