寺地はるなの新作小説は『ぬすびと』は、若く無鉄砲だった「わたし」と、美しく慎ましかった「奥様」の歳月を超えた物語。
 お金持ちの家に雇われたわたしは、性格も境遇も異なる奥様と心を寄せ合うが、ある出来事をきっかけに二度と会わないと突き放されてしまう。
 しかし、20年後にかかってきた一本の電話から、物語は動き出して──。

 

「小説推理」2026年5月号に掲載された書評家・吉田伸子さんのレビューで『ぬすびと』の読みどころをご紹介します。

 

ぬすびと
ぬすびと

 

■『ぬすびと』寺地はるな /吉田伸子 [評]

 

彼我の差にささくれだっていた主人公の心を変えた「パジャマパーティー」の夜

 

 田原鳴海、45歳。5年前から会員制の高級ジムで清掃の仕事をしている。ジムの入会金は鳴海の年収より高い。「金持ちはランニングマシーンの上で走る。わたしは交通費を浮かせるため、ふた駅分の距離を歩いて通勤する」。一つ年上の鳴海の夫・暖は自分が美しいことを「ひけらかしもしない。へりくだらない。威圧しない」。でも、そのせいで男社会ではうまくやれない。人間関係が原因で何度も転職をしているため、収入は安定しない。暮らしに余裕はない。

 ある夜、鳴海の携帯がなる。「鳴海さんの携帯でよろしいですか?」と若い男の声で聞かれ、「そうですが」と答えた鳴海に、その声は続ける「あの、母がそちらに行ってませんか?」。男が名乗った南雲栄輝という名は、鳴海に覚えがあるものだった。20年前、二度と会わない、と言ったのは、栄輝の母親である彌栄子で、だから「会いにくるわけないでしょう」と返した鳴海に栄輝は言う。「泥棒でしょ、あなたは。だから取り返しにいったのかと思ったんですよ」と。かつて、鳴海は栄輝の子守りとして、南雲家で働いていたことがあった。

 栄輝が口にした「泥棒」という言葉のわけは、実際に本書を読まれたい。なぜ、彌栄子が二度と会わないと口にしたのか、も。

 世の中は不公平で不条理で、気づきたくなくても格差は歴然とあって、だから、あちら側とこちら側、と気持ちに線を引いていた鳴海が、彌栄子と出会ったことで変わっていくのがいい。彌栄子もまた、鳴海によって本来の自分を取り戻していく。彌栄子が企画した「パジャマパーティー」の夜の彌栄子と鳴海のシーンは、その後に起こる“事件”も相まって、奇跡のように美しい。

 物語のラスト、「わたしたちは踊れる」「いつだって踊り出せる。わたしたち自身がその気になりさえすれば、どこででも、誰の前でも」という鳴海の言葉が、祝福のように読者の胸に降りそそぐ。