きれいな手

 

 

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 つづいて、事件のあった家穴を訪れた。すでに新しい住人がいた。家穴は不足気味で、単身者数名や、二組の家族が同居しているものもある。空きが出たらすぐ埋まるのだそうだ。

 ニボイ・ナダは、仮に父親を殺しておらず、その事実が明らかになったとしても、元の暮らしには戻れないのだなと考えながら、段ごとの共同食堂と便所の脇を通り過ぎた。

 その先からのびている階段は、段差が大きく、踏み幅は浅く、角は摩耗で丸くなっている。確かに危険な道だった。岩肌に刻まれたものだから、作り直すというわけにはいかないのだろう。慣れていないと昼間の日差しの下でも足を踏み外しそうで、私は慎重に少年の後を追った。

 多くの家穴は無人のようだったが、いくつかの扉の前で、老人がひなたぼっこをしていた。簡素な機織はたおり機を据えて織物をしている姿もちらほらある。少年はそのなかの、背中に赤ん坊を負っている女の前で足を止めた。

「集落長からの伝言です。この人は、〈太陽の君〉の認可板を持つ、今度の件の〈あらため〉をするお方。訊ねられたことには、何でも正直に答えるように」

 少年の口上に、女はあわてて立ち上がった。背中で赤子が手足をもぞもぞ動かした。

「まずは、家穴の中を見せていただきたいのですが」

 母親は目を白黒させながら向きを変え、目の前の扉を引き開けた。

 扉の素材は太いつるだった。指の先さえ入らないほどきっちり編んでよく乾燥させたものなので、杉板に勝るとも劣らないほど丈夫そうだ。蝶番ちようつがいも同じ素材で、片方が石灰岩の壁にしっかりはめ込まれている。無理にはずせば痕跡が残るだろう。扉は岩の開口部とほとんど同じ大きさで、上下も左右も、布一枚が通るか通らないかほどの隙間しかなかった。

 母親は、先に立って中に入るとすぐに脇によけ、「どうぞ、好きなだけご覧ください」と腰をかがめた。

 洞窟の彫り跡はなめらかで、壁から天井に向けて綺麗な弧を描いていた。左右の壁際にひとつずつ寝床があり、つきあたりには岩に刻まれた棚。その手前に、衣服や雑貨を納める籠が置かれていた。洞窟の中にあるものは、それだけだ。食事も用便も水浴びも、外にある共用の施設ですませるので、住居はただ寝るだけの場所なのだ。ここに秘密の出入口などないことを確かめるのに、たいして時間はかからなかった。

 ふたつの寝床は、片方が父親、もう片方が母親と赤ん坊のものだろうか。かつてはアシンとニボイのナダ父子おやこがこれくらい離れて寝ていたわけだ。朝になっても人に起こされるまで熟睡するというニボイなら、同じ室内で父親が殺されても、気づかなかったということはありうる。

 外に出て、母親に織機の前にすわるよううながしてから、質問した。

「こちらに越してこられるときに、掃除はされましたよね」

「もちろん。寝床の藁も、取り出して天日干ししました」

 この人たちは、殺された男の寝藁をそのまま使っているのかと驚いた。

「血が染みこんだ藁も?」

 母親は「まさか」と目を丸くした。「血の一滴といえども、亡くなった方のものですからね。いっしょに埋めましたよ」

 旅芸人の一座が事件あらためをするときの最大の泣き所がこれだ。興行の旅程は前々から決まっており、この任務のために変更はできないし、それを要請されてもいない。ロバで日帰りできるくらいの距離に近づくまでは、調査を開始できないのだ。その範囲に最も早く到着しそうな一座に事件あらためが託されるのだが、着手できるのは、事が起こった十日から数十日後のこととなり、多くの場合、死体は埋められ、事件の痕跡は消えてなくなっている。

「寝床の藁以外に、血がついていたところはありませんでしたか」

 質問の意味がわからないのか、母親は何度も瞬きした。

「たとえば、壁とか、天井とか。さっき拝見したところ、シミや汚れは見当たりませんでしたが」

「私は、家の掃除を怠るような女じゃありません」

 家事の手際に疑問をもたれたと思ったのかもしれない。女はやや不機嫌になり、それを察してか、背中で赤子がぐずりはじめた。

「はい。それは、中を見せていただいたとき、よくわかりました。とても綺麗にお住まいですね。引っ越してこられる前、ここは男所帯だったわけだから、こんなに綺麗にはされてなかったんだろうな」

 母親は、右手を背中にまわして子供を揺すり上げながら、私のなかば独り言のような問いに答えた。

「綺麗にされてましたよ。男所帯にしては」

「床にも壁にも天井にも、しみひとつないほどに?」

「まさか」一度機嫌を損ねたことで、母親のおどおどとした態度が消え、よくしゃべるようになってくれた。少々しゃべりすぎるほどに。「しみひとつなくなったのは、私が掃除をしたあとですよ。あちらの林の下草の中に、雑巾草っていう、みっともない茶色をしたキノコみたいな草があるんですよ。それを叩いて、一晩水にさらしたら、拭き掃除に都合のいいふわふわのかたまりになるんですよ。このあたりの山にしかない草だって、旅商人が言ってたね。もっとたくさん採れるのなら商売ものにできるんだがって、残念がってましたよ。雑巾草はね、林の下草刈りをしている亭主が、半年にひとつ見つけてくれれば幸運ってくらい、めったに見つからないものでね、だから大事に使ってるんですよ。だけど、たくさん採れたって、町の人は買ったりしないでしょうね。だって、町では、糸で織った布を雑巾にしているんでしょう。ぜいたくな話よね。そんな人たちが、下草に交じって生えている、みっともない茶色の草を、わざわざ買ったりしないわよね」

 母親は、私の同意を得たいかのように、小首をかしげて欠けた前歯を見せた。

「便利なものであれば、町の人も使うと思いますよ」

 彼女の気がおさまるように返答してから私は、相手がまた饒舌に何かを語り出さないうちに訊ねた。

「ところで、その雑巾草で掃除なさったとき、汚れの中に、血のしずくの痕などはありませんでしたか」

「血のしずくって、アシンさんの血ってこと? さっきもお答えしましたよ。寝床の藁以外に、どこにもついていませんでした」

「一滴も?」

「これでも、気をつけて見たんですよ。そんなものがあったら、ぬぐった雑巾草も、あの方といっしょに埋葬しなきゃいけないからね。天井にすすがついていたり、壁の高いところに、もしかしたらこの家穴を掘った人がつけたかもしれない指の痕なんかがあったけど、血の痕なんて、乾いたのも新しいのも、ひとつもありゃしませんでしたよ」

 

 遺体の発見者であるスタグ・タタ段長に会いに北の斜面へと向かう前に、役場に寄って、夜の見張り番のふたりと話をした。今夜の仕事に備えてさっきまで眠っており、ちょうど起きたところだったのだ。

 このふたりについて、集落長もオスタ段長も、信頼できる人間だと太鼓判を押した。ひとりずつに話を聞いての私の印象も同様だった。そのうえふたりは、どうやら互いに相手を好いてはいない。少なくとも、口裏を合わせて集落長や段長を騙しきることができるほどには気を許し合っていないようにみえた。彼らが事件の夜に、最初の見回りで各戸の扉の前に土を盛り、夜明け前の見回りでその土が少しも動いていないことを確認したと言うのなら、それは事実とみてよさそうだった。

 役場に戻ったついでに、一座の様子をのぞいてみた。荷解きはすべて終わったようで、あてがわれた部屋で休んでいた。半数は昼寝をしており、立ち上がっているのは双子だけだ。向かい合わせになって緩慢に手足を動かしているところを見ると、踊りの振り付けの確認だろう。

「調子はどうだ。助けはいるか」

 ヨッコの頭を膝にのせ、専用の櫛で毛並みを整えていたフィッツが、優しいことを言った。

「いや、だいじょうぶだ」

 すると、荷箱にすわって手帳に何か書き付けていた座長が顔を上げた。

「すぐに解決できそうなのか」

 そのおもてに浮かんでいたのは、社交的な場面でみせる感じのいい笑みではない。にやりと腹黒そうな、つまりは素の座長の顔だった。

「もしかしたらという見当はついている。もう少し話を聞いてまわらないといけないが」

「そうか、そうか」とうなずいてから座長は、これから口にすることを強調するかのように、人差し指を立てた右手を突き出した。「やっかいな結果だったら、わかっているとは思うが、すぐに披露するんじゃないぞ。調査をうまく長引かせて、出発の直前に告げるんだ。そのあいだ、こっちの仕事は休んでいいから」

 毎回言われることなのに、腹の底が、石を詰め込まれたように重たくなった。

 

 畑が段々に刻まれた斜面をのぼりはじめたとき、さらに気の重くなる一幕があった。帽子をかぶった濃い口ひげの人物に呼び止められたのだ。最下層の段長のラムド・シウだと名乗るやいなや、その男は、顎を突き出してまくしたてた。

「アシンを殺したのはニボイだ。かばいだてすると、ろくなことにならないぞ。父親殺しの罪を見逃すなんて、英邁なる〈太陽の君〉がお治めになる地で、あってはならないことだからな。俺は、どんなごまかしも見破るからな」

 私は、かばったり見逃したりするつもりのないことを説明しようとしたのだが、ラムド段長はさっさと背中を向けて去っていった。

 まあ、いい。これも、よくあることだ。

 それからずいぶん坂をのぼって、死体の発見者であるスタグ・タタに会えたころには、陽はずいぶんと西に傾いていた。

 スタグは、恰幅のいい中年の男性だった。細い目に尖った鼻、くぼんだ顎が近寄りがたい雰囲気をかもしだしていたが、声音はやわらかく、訊いたことに端的に答えてくれた。

 私は彼からあらためて、果樹泥棒とその対策についてを聞いた。死体を発見したいきさつ。そのときのニボイ・ナダの様子。アシンの喉は骨が見えるほど切られていたこと。傷口の下の寝藁に血だまりがあったこと。夜間の見張りのふたりの人となり。事件についての役職者の話し合いで、ニボイを犯人とする者とそうでない者が、それぞれどう主張したかの説明も受けた。これまであちこちで仕入れた話と齟齬はなく、これまでのどの時よりも手間をかけずに知りたいことを聞くことができた。

 

 一座のもとに戻り、箱盆で運ばれてきた夕食をとった。日向稗主体の、質素だが滋味豊かな料理だった。食事の途中で日が暮れて、谷底の小さな集落はあっというまに闇に包まれた。

 私は手燭を持って、夜の見張り番のもとに向かった。最初の見回りに同行させてもらうことになっていたのだ。

 東に向かって出発した。建物の角を曲がると、暗闇に繁る果樹林の中に、無数の小さな光が見えた。蛍の群れが休んでいるのかと思ったが、よく観察すると、もっと遠くの明かりだった。葉叢はむらの合い間に、西の斜面に並ぶ家穴の扉から漏れ出た灯火がのぞいていたのだ。

 あれらの明かりは、間もなくすべて消えるだろうと、見張りのひとりが言った。燃料代を惜しんで、家穴の住人は早くに眠りにつくという。実際、階段の下にたどりついたときには、扉の形のほんのりとした明かりは数えるほどに減っており、手燭をかざしても足元は不確かだった。五、六段あがってから、それ以上進むのを断念した。慣れていない人間に、この階段を夜間に使うのは危なすぎる。

 慣れている土地の者でも、人目をしのんで明かりも持たずに歩こうとすれば、そうとうな危険を覚悟しなければならないだろう。

 となれば、やはり、そういうことか。

 私は、座長の助言について考えた。

 我々がこの地を発つ直前まで、つかんだ事実を告げるのを待てというのは、それが集落にとって不都合なものだったとき、その後が気まずくなるからだ。木戸銭をとる興行でも、一括で決まった報酬を貰う場合でも、事件あらための結果が収入に響くことはめったにない。また、認可板を持つ一座に嫌がらせをする度胸は、身分の高い人ほどもたないので、金銭面以外の不都合もまず考えられない。

 それでも、気まずいというのは我々にとって、なかなか厳しい状況だ。なにしろ、人々を愉しませるのが商売なのだ。笑いの代わりに冷ややかな視線が、拍手の代わりに無言の非難が浴びせられるようになったら、座員の大半は食事も喉を通らなくなるだろう。

 だから、不本意ながら座長の忠告に従ったこともある。けれども、今回の件はどうだろう。集落長がもっとも気にしているのは、ニボイを監禁しつづけることだ。さっさと終わらせたほうが喜ばれるのかもしれない。

 

 

 集落に到着してから三日目に、我が一座は興行を開始した。この日は、十一ある段のうちの最上段の人々が、午後から休みを与えられ、浮き浮きとした様子で集まってきた。

 木戸銭をとる興行ではないから、客席のまわりに幕はない。舞台の前にたくさんの茣蓙ござをしいて客が座れるようにしてあるだけだが、人々の上気した顔が華やぎをもたらしていた。茣蓙が八割ほど埋まるのを楽屋代わりの荷車のかげから見届けると、私は座長の肩掛け鞄を持って、一人で役場に向かった。

 初日に集落長がひとりで座っていた部屋の奥にある広間に、集落長と十一人の段長と三人の助役が集まっていた。広さはあるが、この集落らしく窓はひとつきりの部屋だ。

 私が指定したとおり、その窓の前に私が立つための空間があけられている。その場所を取り囲むように椅子が半円形に並べられ、集落の役職者らがすわっている。ニボイ・ナダは、彼らに囲まれる位置、私の真ん前にあたる場所に、手を腰の後ろで縛られて、床にあぐらをかいていた。

 私は、窓を背にして彼らの向かいに立つと、座長の鞄から認可板を取り出して胸に抱えた。

「〈太陽の君〉の思し召しのもとに、アシン・ナダ死亡について、事件あらためをおこなった。その結果を、ここに宣する」

 数人がごくりと喉仏を動かした。

 一座が芸の披露を始めたこのときに告知の場をもったのは、立ち聞きされるおそれが最も小さくなるときだからだ。この結果を集落の全員に知らせるのか、指導者層だけのものとするかは、彼らが決めることだから、用心するに越したことはない。

 二日をかけて、私はつかんだと思っている結論をより確かなものにするために、アシンの段の人間関係について調べた。夜の階段の危険についてや、問題の夜に何か気づいた人がいないかについても聞き取りをした。ニボイにもさらに二度会いにいった。やはり無言で、何を話しかけてもじっとしていたが、目は死んでいなかった。

「みなさん、左手を左の胸に当ててください」

 私は、認可板を右手一本で抱え直して脇腹にくっつけると、左手を大きく動かして鼓動の感じられるところに置いた。集落長も段長らも、素直にそれに従った。

「とくとくと、心の臓が動いているのを感じることと思います。これが、この事件を解く鍵となりました」

 集落長が大きく目を見開き、最下層の段長で、ニボイを犯人と決めつけていたラムド・シウは不審げに眉をひそめた。

「人の命のあるかぎり、ここはとくとくと動いています。そうして、からだの隅々にまで赤い血を巡らせて、それにより我々は生きているのです」

 都会のすれっからしどもとちがって誰一人、それがどうしたという顔をしない。それぞれが、てのひらに感じる拍動に気持ちをやっているようだ。

「この、とくとくという力があるゆえに、ある種の深い傷は、血を激しく噴き出させるのです。水を入れた皮袋をぎゅっと押さえたまま栓を抜いたら、水は勢いよく飛び出しますよね。それと同じことが起こるわけです」

 オスタ・マカをはじめとする数人が、はっとして私の目を見た。

「たとえば、心臓を直接刺したときがそうですし、腹や太股の傷が、血潮の噴出口となることもあります。それから、首」

 私は、左手を手刀のようにして首筋に当てると同時に、認可板を右脇腹にさらにしっかりと押しつけた。角が腹の柔らかいところに食い込んで、顔をしかめたくなった。おまけに石板は冷たくて、じわじわと腹が冷える。

 起こったことの見当がついても、それで仕事が終わるわけではない。土地の者に宣告し、その事実を受け入れさせなくてはならないのだ。時として、こちらのほうがやっかいだったりもする。

「首のこのあたりには、血が巡るための太い道があり、そこを切り裂くことは、押された皮袋の栓を抜くのと同じなのです」

 ここで間をおき、いまの話が人々の頭に染みわたるのを待った。

「だから、首を切ったときには、血が勢いよく飛び散ります。オスタ・マカ段長が、アシン・ナダの首を切った者の手は血を浴びたはずだと考えたのも、みなさんがそれに同意されたのも、理にかなったことなのです」

 ここで大きく息をつき、ぐるりと全員の顔を見渡してから続ける。

「ニボイさんが殺したのだとしたら、どうして飛び散った血が、その顔や手や衣服にかからなかったのか。かかったとしたら、翌朝までに、どうやってきれいにしたのか。ニボイさんが殺したのではなく、アシンさんが自分で自分の首を切ったのだとしても、どうして彼の手はきれいなままだったのか」

「その答えを出してもらうために、私たちはニボイを二十日も閉じ込めて、あなたがたを待ったのだ」

 しびれを切らして集落長が声を上げた。

「はい。心得ています。ですから私は、一座の仕事を仲間に任せて、みなさんがお求めの答えを見いだすべく尽力してまいりました。幸い調べは、集落長や段長の方々のご協力のおかげで順調に進み、こうしてみなさんに集まっていただいたしだいです」

「それで、答えはどこに」

 いらだたしげに口を開いたのは、ラムド・シウだった。私は右脇腹の認可板に意識をやった。間をとりながらゆっくりと話したおかげだろう。わざわざ意識しなければそこにあることを忘れそうなほど、角に押された腹の痛みも、違和感や冷たさもなくなっていた。

「飛び散るはずの血が飛び散らなかった。傷口の下に血だまりをつくっただけだった。それが、答えのありかです。どうして飛び散らなかったのか。皮袋を押さえながら栓を抜けば、中身がびゅっと噴き出すけれど、押さえていなければ、下にだらだら落ちるだけだからです」

 事件のあった段の長、スタグ・タタの眉が山形になった。ひとり、この先を察したようだ。

「刃物で切られたとき、アシン・ナダさんの血の道も、押されていない皮袋だったのです。すなわち、喉を切られたとき、アシンさんの心臓は動いていなかった」

 場がざわめいたが、私は間をおかずに続けた。

「アシンさんは、眠っている最中に病でなくなったのです」

「アシンは、殺されてはいないというのか」

 集落長が呆然とした顔でつぶやいた。

「はい」

「では、誰が首を切ったのだ。何のために」

 私が視線を向けた人物を、その場の全員が見つめた。

「アシンさんがあの晩、寝ている間に病で死んだことを、家穴の外にいる人間が知ることはできません。扉を開けた形跡がなかったことをさておいても、誰が首を切ったのかの答えは明白でしょう。何のためかは、ニボイ・ナダさん、真実が明らかになったのだから、あなたの口から語ってくれてもいいんじゃないかな」

「でたらめだ」ラムド・シウが立ち上がった。「血が噴き出なかったって? あんた、その場で見ていたわけじゃないだろう。噴き出た血が全部、血だまりになったってことじゃないのか。だいたい、眠ってる時に死んじまうのは、北の星様を怒らせた者だ。アシンがそんな不心得をするものか。あいつは息子に殺されたんだ。アシンが死んでるのを見つけた俺たちは、それを知っている。そうじゃないか、スタグ」

 ラムドの声はどんどん大きくなる。迷信や決めつけをこれ以上しゃべらせていては、他の者も同調しはじめるかもしれない。

「黙れ」と私は一喝し、認可板を両手で高く掲げた。

「卑しきこの身が自分勝手に〈真実〉などという言葉を口にできると思うのか。英邁なる〈太陽の君〉の、この世をあまねく照らす光の英知に依らずして、私が託された事件あらためを終結させると思うのか」

 頭の後ろにある窓から、そよそよと風が吹いていた。いい風だ。ほかのすべての現象と同じく、風の動きもまた太陽の恵みによるものだという。過熱しそうな場をなだめるように涼やかに吹く風は、なるほど太陽の思し召しに思えた。

「私は、調べ尽くしてこの結論にたどりついたとき、私にこの任を与えたもうたお方より賜った、ご信頼のあかしであるこの石板に訊ねたのだ。私は、まちがいなく真実にたどりついたのかと」

 少しのあいだ口を閉じ、かすかな風の音を聞いた。間があいても、こんな話題だ。さすがにラムド・シウも騒ぎたてたりしなかった。

 風の声を聞きながら、頭上にかざした石板が両手の中で、私の腹が与えた熱を失っていくのを感じた。

「英邁なる〈太陽の君〉が与えたもうた認可板は、輝きをもって、それが真実であると告げた。私の言葉が信じられない者たちのために、いま一度、問う。アシン・ナダは寝ているあいだに病で死に、その後に、息子のニボイが首を切った。これが真実であるなら、生命の源である太陽よ、この板に輝きを」

 ぴったりとはいかなかったが、ずらりと並ぶ面々がしびれを切らせる前に、板はまるで山際に現れたその日最初の太陽の光を浴びたような、淡い黄金色を帯びていった。色が変化しただけで、輝きというほどのことではないのだが、いくつもの口から「おお」と感嘆の息が漏れ、椅子を蹴り倒して床に膝をつける者もいた。

 私は認可板をうやうやしく鞄にしまいながら、静かな声でいま一度、この結論に至った理由を説明した。アシンの遺体を運び出したあと、誰も寝藁以外の掃除をしていない。新しい入居者が家穴の中を隅々まできれいにしたとき、壁や天井、床にさえ血痕はなかった。扉の前の土に異常はなく、息子のニボイ以外にアシンの首を切れる者はいない。

 反論はなかった。騒ぎ立てる者もいなかった。そもそも誰も私の話を聞いていなかったのかもしれないが、すでに疑いは払拭されていた。

 

 各段が二回ずつ、半日の休みをとって一座の芸を楽しんだ。それから三日の休場をはさんで、最終公演は篝火かがりびをたいての夜間興行となった。

 その日は村の祭りの扱いにもなり、すっかり収穫された姫リンゴが甘い菓子に変身して、私たちも含めた全員に配られた。果樹園の近くや各段の食堂などでも踊りや音楽の宴が繰り広げられていたが、多くの人は我々のもとに集まった。舞台の前の茣蓙は取り払われて、人々はぎゅうぎゅう詰めになって立ち、子供は肩車され、たくさんの拍手と歓声と笑い声があがった。アシンの事件はこの集落に、暗い影を落としてはいないようだ。

 私が広間を去ったあとで、ニボイは告白したそうだ。夜中に目を覚ましたら、父親が死んでいた。呆然として、涙も出なかった。この先の自分の人生には何もないと思った。父親のいない朝。父親のいない昼。父親のいない夜。そんなものは考えられない。それでも日々は巡るだろう。独りになった彼は、この家穴で他の家族と同居することになり、窮屈で、楽しいことなど何一つない日々が巡るだろう。

 物入れ籠から刃物を取り出し、いっそ死んでしまおうと考えた。けれどもその前に――。

「違う土地を見てみたかった。あいつは、そう言った」

 集落長が、砂糖湯をすすりながら教えてくれた。父親を殺したようにみせかければ、町まで連れて行かれて、そこで処刑されると考えたのだ。

 ニボイはいま、二名の独り者とひとつ家穴を分け合って――おそらくこの二人はニボイの見張りを兼ねている――、昼間は段長の指示の下で農作業をしている。当然ながら、ニボイが私たちの芸を見に来ることはなかった。彼への罰をどうするかは、私たちが集落を出るときにもまだ話し合いが続いていたが、彼は人殺しではなかったので、もう私たちの関与するところではない。

 関与の外といえば、出発間際にスタグ・タタ段長に耳打ちしたことも、私に託された任務を越えた内容だった。

 果樹泥棒はおそらく、私の案内役だった少年だ。泥棒は、扉の前に土が盛られた後にも現れた。つまり、夜中に扉を開けずに外に出た人間がいるということだ。家穴ではそんなことは不可能だが、木の家には窓がある。ほとんどの者が家穴に住んでいるこの集落には、窓から外に出るという発想がないのかもしれないが、少年というものはどんな土地でも、扉でないところから出入りしたがるものだ。

 木の家に住んでいる子供は他にもいるが、出発の日までにさりげなく確認したところ、あの小さな窓を通り抜けられるほどには小柄だが、夜中に果樹園を歩きまわる度胸がありそうなほど大きい子は、あの少年だけだった。おとなたちの話を立ち聞きして、すべての家穴の前に土を盛るほどの手間をかけて犯人を見つけ出そうとしていることを知り、夜中のつまみ食いをやめるだけの知恵がある年齢なのも。

 だが、そんな調査をしなくても、私が扉の前の盛り土について訊ねたときの少年の反応がある。

 この件を告げるのを出発の日まで延ばしたのは、座長の忠告に理があると思ったからだ。少年は集落長の甥だ。その罪を暴いたあとでは、ここでの居心地が悪くなるおそれがあった。

 

 たくさんの子供たちに見送られて、私たちは坂道をのぼっていった。振り返るたびに満開の笑顔が見えた。みんな、私たちの滞在を大いに楽しんでくれたのだ。それでいて、泣き顔になるほど別れがたく思っている子はいない。彼らはここで地に足をつけて暮らしており、我々は旅の人間。別れは、夕日が沈むのと同じくらい当たり前のことなのだ。

 そして、夕日とともに山の向こうに行きたいと思う子供がいないのと同じで、私たちについて来たいと泣く子もいない。心のどこかで旅暮らしに憧れていても、憧れと、実際に願うことは別なのだ。人生に何の希望も見出せなくなってしまった者を除いては。

 ニボイが他の独身者との同居の中で、新たな希望を見つけてくれることを願いながら、私たちは峠を越えた。

 

 

(つづく)