三
「島田穣治よ。貴様の主張、浄玻璃鏡の映像や倶生神の報告書と矛盾がないことは認めよう。息子である翔も、確かに成人男性三人に囲まれては、仕方のない部分もあった。その点を認める」
「だったら俺も無罪のはずだろ?」
「確実に無罪と証明できたのは、息子のみだ。これが本判決にいたった理由である」
「日本の刑法だと、疑わしきは罰せずだぜ」
「既に伝えてあるはずだ。この裁きは、すべて閻魔の心と御仏の戒律に従って審議し、判断を下すと」
閻魔が肩を落とすように吐息した。
「最初から貴様が有罪であることはわかっていた。衣領樹を覚えているか?」
奪衣婆と懸衣翁によって、服を吊された樹のことだ。もちろん覚えている。
「人間にはわからぬだろうが、あのしなりで、罪の有無が判明する。それでも裁判が存在するのは、その子のように、やむを得ず犯罪を行っていた者を救済するためだ」
「なるほどな」
何度目になるか、島田はことさらわざとらしく肩をすくめた。
現世で言う所の、故意か錯誤かを──すなわち、自ら進んで罪を犯したのか、そうでないのかを調べるのが目的だったのだろう。
知らないうちに誰かに利用されている人間は、それなりにいる。
脅迫されて仕方なく罪を犯す者もいる。
この裁判は、そういった連中への救済措置でもあったようだ。
「浄玻璃鏡も倶生神も、罪を暴き立てる道具ではない。反省を促すためのものだ。しかし、現実を突きつけてなお無実を言い張る愚か者には、より厳しい罰が待っている。いつしか罰の部分だけが有名になり、うそを暴き立てる道具と思われるようになってしまったが」
どうやらそれが、閻魔様に舌を抜かれるという俗説の所以らしい。
「心からの反省があれば、情状酌量もあったというのに。愚か者め……」
「じゃあ俺も、反省すりゃあ極楽へ行けたのかい?」
「いいや。貴様は最初から有罪が決まっていた。どうあろうと地獄行きは免れぬ。ただその重みが変わるだけだ」
「地獄ねえ。奪衣婆と懸衣翁にも言ったんだけどな。俺は無神論者だって」
とはいえ、日本に生まれ育った以上、仏教的な行事や思想と無縁ではいられない。
故に中陰に落ち、地獄の裁判を受けているのだろう。
あるいは、無神論者だとうそぶいたところで、心の底では仏教を受け入れていたのかもしれない。
「パパ……」
翔が不安げに見上げて来る。大丈夫と抱きしめたまま、島田は閻魔を見上げた。
「一応聞くけど、その判決はもう覆らないのか? 上告って制度は、地獄の裁判には存在するのか?」
「裁判は一度きりだ。もはやどうあろうと覆らぬ。閻魔の名にかけて、正しい判断を下したと断言する」
「そうかい」
薬師如来の最終判決の後、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来による三審がある。それぞれ百か日、一周忌、三回忌のことだ。
これは、あくまで刑が確定しなかった場合の、予備の審理にすぎない。罪の有無は既に確定している。
島田はしゃがみ込んで、息子と同じ目の高さで微笑んだ。
「なあ、翔。お願いがあるんだ。聞いてくれるか?」
「なあに?」
「パパはこれから地獄に落ちる」
七歳でも、それがどういうことかわかるはずだ。幼い頬は青ざめ、今にも泣きそうに顔が歪む。
ぐずる前に、島田はパチリとウインクして見せた。
「そこで翔には、極楽へ行って、パパのことを助けてほしいんだ。蜘蛛の糸を使ってな」
きょとんと、目が瞬く。
「それって、絵本で読んだみたいに?」
「ああ。できるか? 翔にしか頼めないことなんだ」
「うん! 任せて!」
幼い頬が、満面の笑みに閃いた。
頼られて嬉しいのか、上気してもいる。
「そのかわり、パパはカンダタみたいにあばれちゃダメだよ? 絶対だよ?」
「もちろんだ。最後までじっとしてるから、頼むぞ」
「貴様……っ!」
鋭い声は、先ほど白々しいと呻った獄卒からだ。
今度は閻魔もたしなめたりせず、怒りを露わに島田を睨みつけている。
それらを平然と受け止めて、島田は両腕を広げた。
「さあ、判決は出たんだろう? 今さら覆らない。他ならぬ閻魔様の口から聞いた言葉だ。うそをつくと、舌を抜かれるぜ?」
自分の舌も抜かれていないのに、島田は平然とせせら笑う。それもまた、獄卒たちの怒りを煽った。
「そういうわけで、ほら、早く息子を連れて行ってくれ。ほらほら、そこの獄卒さん。あんたが案内人だろ? 閻魔様の気が変わらないうちに、ほらほらほら!」
促された獄卒が、伺いを立てるように閻魔を見る。
「連れて行け」
厳かな声に、黙って従った。
翔が背を向けて歩き出す。
途中、一度だけこちらを振り返った。
頷き返すと、くすくすと肩が揺れて、無邪気な笑みが浮かぶ。
その声も、姿も、やがて通路の奥に消えた。
「人間の考えることは、似たり寄ったりだな」
大きなため息と同時に、閻魔が呻る。
「蜘蛛の糸だと? あれはただの作り話だ。極楽から糸を垂らすなんてことはできぬ」
声には、怒りが滲んでいた。
「少し考えればわかることだろう。小説を教訓とするのではなく、現実と混同するなど、愚の骨頂ではないか」
憐れみが閻魔の両目を翳らせる。島田相手にではなく、翔に向けられたものだ。
「貴様はその浅はかさ故に、罪作りなことをしたのだぞ。親を救えないと知った子供がどれだけ絶望するか考えなかったのか。いや、やはり詐欺師は詐欺師。その性根は、腐っているか」
「騙しのコツその四」
一から三を聞かせていないため、閻魔も獄卒たちも一様に訝しんだ。
「目的はひとつに絞れ。それ以外は捨てろ。でなければなにも手に入れられないと知れ」
「なんのことだ?」
「礼を言うよ」
閻魔の疑問にはこたえず、島田が安堵する。
声にも頬にも、どこか吹っ切れたような軽さがあった。
「最後まで、血の繋がりがないことを黙っててくれただろ」
むっ、と閻魔が喉を詰まらせる。
「知る必要のないことを教えても、無意味であるだけでなく有害だ。特にあの子は、貴様のことを慕っていた」
「親に捨てられるってのは、想像してた以上に辛かったからな」
自分の再婚相手に土下座する息子を、母親は冷たい顔で見下ろしていた。
庇ってほしかったわけでも、慰めてほしかったわけでもない。見捨てないでほしかった。ただ、それだけだった。
同じ想いを、翔に味わわせたくなかった。
翔の実の母親は、島田と結婚してからたったの一年で、息子を残して男と逃げた。
後から考えれば、どうやら最初からそのつもりで、計画していたらしい。本命の男と逃げるため、翔を押しつける相手を探していたようだ。
「けど、本当は気づいてたのかもしれないな。子供は、大人の感情に敏感だから」
「もしかして、やくたいもないことを話すことで、地獄行きを先延ばしにしようとしているのか? であれば無駄だ。いざとなれば、引きずってでも連れてゆくぞ」
「子供なんて、普通は親に悪態吐いてなんぼだろ? わがまま言ったり、ぐずったりするもんだろ?」
忠告を受けるも、島田は無視して続けた。
「けど、あの子はずっと良い子なんだ。俺が嫌がることをしようとしない。いつだって機嫌を伺って、俺が望むように行動して、これでどう、なんて言いたげに振り向いたりして、見上げてきて」
さきほどの様子を思い出したのか、閻魔も粛然と口を噤む。
「蜘蛛の糸の話を振ったら、寂しいのを我慢して極楽へ向かってさ。本当、良い子だよ」
「……どういうことだ?」
不穏さを嗅ぎ取ったように、閻魔の声がかたくなる。
「あいつ、置いて行かれるのを怯えるみたいに、よく足にしがみつくんだ。泣きそうな顔で、じっとこっちを見つめてくるんだよ。いつもそうなんだ」
「……まさか、貴様」
「だから、あの子と二人っきりになったときに思ったんだ。この子を絶対に助けたいって。俺しかこの子を守ってやれないんだって。俺が絶対にこの子を守るんだってな」
言葉は優しく勇ましいのに、島田の頬に自嘲が浮かぶ。
「まあ、俺はあんな親とは違うって意地があったのも本当だ。実の親がやったことを否定するために、血の繋がりがない子供に優しくした。偽善といえば偽善だな」
一瞬にして、あちこちで驚きが弾ける。島田の真意に、獄卒達も気づいたようだ。
「死んでからも、その考えは変わってない。あの子が助かるなら、それ以外は……俺が地獄へ行くことになろうが、構わないんだ」
「つまり、本当は罪を犯していたというのか?」
「…………」
「答えよ!」
「判決は翻らないんだよな?」
念押ししてから、島田は認めた。
「翔を守るのはいいとして、それはともかく金がなかった。逃げた元妻が、貯金を根こそぎ持ってったからな。それでまあ、仕方なしに何人か騙して金を巻き上げた。人を騙すのには慣れてるんだ」
そのうちのひとつが、レアカード詐欺だった。
「翔は進んで加担してくれたんだよ。故意か錯誤で言うなら、完全な故意だ。俺に気に入られたくて、俺が目を付けてた転売ヤーを騙すのを手伝ってくれたんだ」
閻魔がよろめく。
「しかし……しかし、しかし、倶生神の報告に、そのようなやり取りはなかった。どうやって示し合わせた」
「言ったろ。あの子は俺に嫌われるのを極端に怖がってた。だから俺の考えを先回りして、俺の望むように行動するのが癖になっていた。気に入らない転売ヤーがいて、偽物のレアカードがある。こいつは金になるとかなんとかつぶやけば、あとはどういうことか、簡単に気づいてくれたよ」
「おのれ。どうりで見抜けぬはずだ!」
とはいえ、危うかった。
島田は決して、閻魔を侮ってはいなかった。
獄卒たちも、官吏である以上、優秀に決まっている。
だから慎重に、浄玻璃鏡や倶生神の特性を見極めた。
衣領樹の能力も、必ず正しいとの認識の元に計画を練り、ぎりぎりのところで翔の無罪を得た。
わざと自分にヘイトが集まるよう、大仰に煽っていたのもそのためだ。
「おのれ、この閻魔を謀るとは!」
「謀れたのなら嬉しいね。ちんけな詐欺師が、一世一代の大勝負に勝てたってわけだ。いや、もう死んでるんだから、一世一代ってのもおかしいか?」
「答えよ。いつからこんなことを考えていた。すぐに思いついて実行できるわけでもあるまい」
「翔が三途の川に現れたときからだよ」
「最初からではないか。一体どうして?」
驚く閻魔に、島田は寂しげに笑う。
「子供ってのは、親より先に死ぬと、賽の河原で石積みさせられるんだろ? けど、奪衣婆と懸衣翁のいる場所に現れた。あの時に、本当の両親はとっくに死んでるんだなって気づいた。となれば、普通に地獄の裁判に参加させられるはずだ。三途の川も一緒に渡ったんだから、間違いない」
亡くなった子供が石積みをさせられるのは、親を悲しませたという罪のためだ。
親が悲しみを乗り越えたとき、あるいは親の命そのものが尽きたとき、子供の罪も浄化され、新しく生まれ変わるとされている。
悲しむ親がいないのであれば、石を積む必要もない。
「言ったろ。子供に地獄へ行くほどの罪なんてないって。可能性があるとしたら、俺の仕事を手伝わせたあの一件だけだ。だからすぐに対策を練れたんだ」
「おのれ貴様!」
笏が突きつけられる。先端が怒りで震えて……なにかに気づいたように、閻魔の眉が跳ねた。
「貴様、その服……」
Tシャツに空いた穴に視線が注がれる。
「真正面から受け止めているな。身体を捻った様子もない。浄玻璃鏡にも、確かにそう映っていた」
吐息が続く。
「そうか、息子を庇っていたのか」
閻魔の表情は、沈痛だった。
「そこまで子供を思うなら、何故最後の最後に、絶望させるようなことをする。改心する姿を見せることこそ、子のためであろう」
「輪廻すれば、どうせ記憶はなくなるんだろ? だったら、いっとき絶望しようが構うもんか。それよりも、確実にあの子が地獄に落ちないようにする方が大事だ」
息子の思いがわからぬ島田ではない。詐欺師であるなら、余計に人の機微には敏感だろう。
わかっていながら、踏みにじったのだ。血の繋がらない息子を、確実に極楽へ向かわせるために、恨まれる覚悟で自分を捨て石にした。
「それに、こうでも言って納得させなきゃあ、ぐずって俺から離れようとしないだろうからな」
足にしがみつく翔の姿を思い出し、島田は天井を仰ぎ見る。
「騙しのコツその五。騙す相手を喜ばせろ。それができれば、一流の詐欺師だ」
極楽から蜘蛛の糸を垂らすため、翔は喜んで一人で極楽へ向かった。パパの役に立ちたかったからだ。
最後に振り向いたあの笑顔は、これからどんな地獄に落ちようと、忘れたくはない。
「最後に騙せたのが閻魔で気分がいい。俺のしみったれた詐欺師人生にも、これで箔がつくってもんだ。地獄で自慢させてもらうぜ」
「余は貴様に騙されたのではない」
閻魔の声は鋭い。
「親の愛が、地獄の沙汰を動かしたのだ」
ふん、と島田は死んでから初めて照れ笑いした。
しかし、頬には緊張も浮かんでいる。
どうあれ、これから地獄へ落ちることは確定していた。
閻魔が繰り返したように、もはや判決は翻らない。
それでも島田の背には、やりきった晴れやかさがあった。