2021年に発表した筋トレ小説『我が友、スミス』で、一躍脚光を浴びた石田夏穂さん。『黄金比の縁』や『ミスター・チームリーダー』などの「お仕事小説」でも話題作を続々発表してきた著者が、この度選んだ「職場」は、杭打ち機の轟音が鳴り響き、大型トレーラーが行き来する、広大なショッピングモールの建設現場です!
「小説推理」2026年1月号に掲載されたライター・瀧井朝世さんのレビューで『緑十字のエース』の読みどころをご紹介します。


■『緑十字のエース』石田夏穂 /瀧井朝世 [評]
厳しすぎる安全衛生管理に誰もが辟易している工事現場。その裏で起きていたことは?
働く現代人の悲喜こもごもを、絶妙なユーモアと共感度の高い視点を交えて描く石田夏穂。独特のこだわりを持つ主人公が登場することが多いが、新作『緑十字のエース』では、こだわりを持つ人間に翻弄される側の男が主人公だ。
大手デベロッパーの社員だった49歳の浜地は、とある事情で家族には内緒で退職、中堅ゼネコンである台島建設の契約社員となる。業界にいたものの積算部長だった彼は、現場の経験はゼロ。が、任命されたのはショッピングモール建設工事現場の安全衛生管理責任者だ。
浜地の教育担当は年下の松本という男。彼は徹底的に「安全第一」にこだわり、保護メガネを装着していない職人がいれば仕事を中断させ、基準以上の強風が吹けばクレーン作業を中止させ、結果的に業務時間や予算を大幅に膨らませている。所長や工事責任者、職人たちからも疎まれる存在だ。浜地も松本の融通の利かなさに呆れるが、歯向かうことはしない。実は浜地が前職を辞めたのは、安全衛生管理に関わるアクシデントが理由なのだ。
実際、甘い判断が大きな事故に繫がることはある。松本の行動は間違っているとはいえない。でもルールに厳密なあまり作業に支障が生じる際の現場の苛立ちも分かる。複数の業者が出入りする現場の人間模様や、作業工程がリアルに描かれるからこそ、どの立場の人間の気持ちも分かってしまう。と思っていたが……。
未知の仕事で戸惑うことばかりの浜地は、だからこそ周囲をよく観察しており、やがて奇妙な事実に気づく。そして後半は意外にもスリリングな展開となり、「これってホワットダニット(なにが起きたのか)とフーダニット(誰がやったのか)とホワイダニット(なぜやったのか)の話だったのか」と驚いた。しかも、これが現実にありそうな真相なのだ。正論と緩和、狡さと良心、矜持と諦念が入り混じる工事現場を、もはや痛快なほど追体験できるお仕事小説である。