2021年、筋トレ小説『我が友、スミス』で注目された石田夏穂さん。以後、「身体」とともにテーマとして多く掘り下げてきたのが「仕事」です。かつてオフィスワーカーだったエリート社員が、工事現場で働いてみると? 本作を読み終えると、工事現場ではためいているお馴染みの「緑十字」マークの旗が、まるで違って目に映るはずです。お話を伺いました。
取材=編集部
書かずにはいられなかった
いままでで一番ゾクゾクした執筆
──石田さんはこれまで『黄金比の縁』『我が手の太陽』『ミスター・チームリーダー』『冷ややかな悪魔』などのお仕事小説を多く発表されてきました。今回、職場として建設工事現場を選んだのはなぜですか。
石田夏穂(以下、石田):自分が新卒で入社した会社で経験したからです。自分はダメダメでしたが(笑)、現場で働いている人たちはすごくかっこいい。書かずにはいられませんでした。
──担当編集者へのメールに「文芸誌だと、工事現場の話はやめて~~~! と言われることもあるのですが(笑)、いままでで一番書いていて楽しかったです(本当です!)」とありました。工事現場の知られざる世界がたくさん描かれていてものすごく興味深かったです。工事現場の主役が「敷鉄板」とは!
石田:私も本当に興味深いな~と思います。一方で、興味ない人はまったくないだろうな~とも思います(笑)。現場の人の中には、敷鉄板を物差しにする人もいて、例えば、あそこは敷鉄板3枚分だから18メートル(長手方向)とか、5メートル弱(短手方向)とか、そういうのにシビれます。
──主人公の浜地は東大出身の49歳、大手デベロッパー三岸地所に勤めていました。あることがきっかけで退職し、転職活動を始めます。「シームレスに『有職』をキープ」するまでの様子は切実な一方、滑稽です。
石田:私も仕事がないと想像すると怖いです。東大でも大手でもないですが(笑)。主人公の器の小ささを描きたかったです。
──退職に至るまでの経緯と転職活動の数ヶ月、その末にようやく入社できた台島建設で工事現場に詰める日々が交互に描かれます。そのシーンの切り換えや接着がなんとも絶妙で、心地よいテンポを生み出しています。
石田:自分が同じシーンを連続で書くと飽きるので(笑)、自然とそうなりました。ストレートに時系列で書いてもよかったかもしれません。
──浜地が任された「安全衛生管理責任者」ですが、一般的にあまり知られていない仕事かと思われます。この業務に着目されたのはなぜでしょうか。
石田:あくまで私個人の数少ない経験ですが、現場組織の中で「安全の人」が総じて個性的な気がします(笑)。キャラクターの振れ幅が大きいといいますか、鬼安全もいれば仏安全もいて、必ずしも鬼が良くて仏が悪いわけでもなく、かといって鬼じゃないと務まらず、さまざまな意味での“曲者”もいて、密かに一番好きなポジションです。
家族同士の素っ気なさやドライさも
──浜地の教育係である松本は、安全衛生管理という仕事に対して完璧主義で職人に度重なる注意をしては嫌われます。でも、なぜか憎めない人物です。
石田:決してモデルではありませんが、そういう人と仕事しました。いちいち職人や協力会社の人と険悪になるので、私も面倒くさい人だなあ~と思ったのですが、でも憎めなかった(笑)。
──浜地が松本の「秘密」に迫ってゆく過程は非常にスリリングで、サスペンスとしての魅力もたっぷりです。執筆するうえで、そのあたりは意識されたのでしょうか。
石田:しました。もともとサスペンスが好きで。
──浜地と家族の関係性、特に大学受験を控えた次男との関わりも読みどころのひとつです。浜地は、台島建設に転職したことを家族に隠したままでいます。
石田:しょうもない見栄を張る主人公を書きたかったです。家族同士の素っ気なさやドライさも書きたかったです。
──「WEB小説推理」で公開された本作を読んだ方から「浜地はこの先どうなるのでしょう。本当のことを言える日は来るのでしょうか」とコメントがありました。たしかに気になります。
石田:読んでいただいた方の想像が一番だと思いますが、個人的には、家族にはナアナアでバレて、ナアナアで台島建設に順応すると思います(笑)。
──最後に、本作を書き終えた今のお気持ちを。
石田:書いちまった! のような気持ちです。悪戯したときのような(笑)。でもいままでで一番ゾクゾクした執筆でした!