2016 年、「彼女をバスタブにいれて燃やす」がGRANTA JAPAN with 早稲田文学公募プロジェクト最優秀作に選出され小説家デビュー。様々な作品の中で現代に生きる若者の感性を凄まじい解像度で描き出す作家・大前粟生さんが今作『マリッジ・アンド・ゴースト・ストーリー』で挑んだテーマは「結婚」と「家族」。執筆のきっかけから作品にこめた思いまで、大前さんに伺いました。
取材・文=編集部
──今作の主人公は27歳の春崎という男性です。春崎は同棲している恋人のさやかとの結婚を控えていますが、本心では、気持ちが乗り切れていません。意を決し婚姻届を出しにいきますが、そこから春崎の身に思いがけないことが起きていきます。この物語を執筆しようと思ったきっかけはどのようなものでしたか?
大前粟生(以下=大前):担当の方からお声がけいただいたとき、現代社会を舞台にした〝人と人との関係性〞の話を書けたらいいなと思いました。これまで「恋愛」というテーマは書いてきたんですけど、「家族」とか「結婚」についてはまだなかった。依頼をいただいたのが僕がちょうど30歳になるタイミングだったこともあり、一回「結婚」というテーマについてじっくり考えてみようと思って、話を広げていきました。
──主人公の春崎とさやかは世間から様々な形で「結婚しろ」という外圧を受け続けていますが、大前さんご自身は日本の社会で生活していて、結婚のプレッシャーを感じることはありますか?
大前:僕自身は、そこまでないんです。専業小説家という職業だからこそ、社会的な圧力から逃れられるところがあって。だけど周囲の同世代の人は、どんどん結婚していくんですね。僕の周りの人たちは、特に男性が、結婚する前後にすごく切なそうな顔をしていることが多くて。家庭に入ることが苦しそうなこの人たちは、結婚について、もしかすると自由がなくなるように感じていたりするんだろうかと考えました。とはいえ、結婚を喜んでいる人もたくさんいるし、結婚をゴールと設定して生きている人もたくさんいるので、こんな風にいろんなことを感じさせる結婚って、そもそも何なんだろうな、と。
──春崎は会社員として働き、いわゆる男性社会の中で生きていますが、そういった立場にいる男性が抱えるモヤモヤした気持ちや、据わりの悪さが克明に描かれていて、「男性はこんな風に感じていたのか」と目から鱗でした。
大前:春崎が男性のすべてを代表しているわけではないんですが、結婚って双方のことなのに、どちらかというと女性の言説のほうが世の中にたくさん出ていて、男性側の率直な思いが描かれたものは少ないなと思っていました。もちろん身体的な違いもあるので、女性の方が社会からより強いプレッシャーに曝されている状況もあると思うんですが。
──作中で、「さやかのために結婚を選んだのに」と言う春崎に対して、さやかが「私のために結婚してやってるってこと?」と怒りを露わにします。「春崎とさやか」という二人の人間の問題なのに、なぜか二人で話しているうちに大きな「男女の問題」に収束されていってしまう。それがすごく悔しい、と春崎が言うシーンがあって、まさに多くのすれ違いはこの点から起きていると感じます。
大前:僕はどんな関係も当人同士の問題でしかないと思ってるんですけど、「結婚」っていう言葉が社会的な言葉として存在しすぎていて、当人が選択したはずなのに、なぜかそこに社会が入り込んできてしまうんですよね。
社会の枠の外にある「幽霊」の存在
──今回この物語のキーパーソンは、タイトルにも「ゴースト」とあるように、幽霊です。春崎とさやかの大学時代の友人だったヒロを幽霊として登場させたのは、どのような思いからですか。
大前:人との関係性を描く上で、幽霊という、言ってしまえば何者でもない存在、どこにも所属していない存在が欲しいと思いました。そういう存在を出すことで、結婚という大きなものを相対的に見ることができるのかなと考えたんです。あと単純に、幽霊譚を描いてみたかった。アメリカ映画でデヴィッド・ロウリー監督の「A GHOST STORY」という作品があって、死んだ夫の幽霊が妻を見守り続けるお話なんですが、それがものすごく好きなんです。そういった見守る存在としての幽霊を出せたらいいなと思いながら話を考えていきました。
──登場人物たちはそれぞれ自分の親との間に確執があるのですが、それが結婚生活のモヤモヤに直結していく様子が描かれ、「結婚」からもう一歩踏み込み「家族」の問題へと物語は展開していきます。例えば春崎は、ちょっとしたことで母を怒鳴る父を苦手に感じています。悪人というほどではないけど、うっすらとした暴力構造が実家にあって、春崎はそれをさやかとの家庭で再生産してしまうんじゃないかと気にしていますよね。そういった家族のトラウマというものを、春崎はどうやって乗り越えていけるでしょうか。
大前:春崎が自分の中で、父親へのちょっとした恐怖心みたいなものを忘れなかったらいいのかなと思います。家族の中で起きていることって、家族よりももうちょっと大きい社会で起きていることを再生産している。家という密室がそういう機能を果たしてしまうんじゃないかと思っています。だから家族が怖かったりする場合は、一つ飛び越えて社会の方を見つめると、苦しさを相対化できるのかもしれない、と思ったりします。
──ラストは意外な形で3人が新たな絆を手にしていきますが、この結末は最初から決めていたんですか?
大前:いいえ、ラストは決着のつけようがないなぁと考えていて。たとえば家族とか結婚から離れてまた別の何かを獲得すると、それはそれで新しい枠組みとして、結局いつかはその中にいる人たちにプレッシャーを与えるものになっちゃうかもしれない。だから春崎とさやかも、どこにも属さない幽霊的な存在のまま楽しくやっていけたらいいなとは思っていましたね。
──最後に、大前さんから読者の方に、メッセージをいただけたらと思います。
大前:僕は小説を書くときに、結婚とか、家族とか、社会的な大きなものへのモヤモヤや葛藤から出発することが多いんです。でも、モヤモヤを抱くこと自体が僕は、イライラしながらも、すごく楽しいなと思って小説を書いています。登場人物たちの葛藤を、読者の方にも楽しんでもらえたら嬉しいです。
あらすじ
27歳の春崎悠太は、学生時代からの恋人・さやかと同棲している。友人たちが続々と結婚して子どもを持つ中、さやかからも急かされ、そろそろ結婚しなくちゃ、と思う。だけど、なんだか気持ちが乗り切らない。相手の両親に会っても億劫に感じる。それでも「みんな」が結婚しているから、自分もそうしたほうがいい。意を決して婚姻届を出したその日、さやかと大げんかをして離婚へと突っ走ってしまう。そんな二人の前に、なぜか数カ月前に死んだ大学時代の友人・ヒロの幽霊が現れて──。