冷静なツッコミや自然体のコメントが愛され、家電やガンダム、ゴルフなど好きを深堀するスタイルがバラエティで高く評価される芸人・土田晃之さん。

 このたび、自らの幼少期から青春までの様々なカルチャーを振り返る『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』を刊行した。昭和の「クレイジー」な力がいかに今の土田晃之を作り上げたのか──。昭和47年生まれならではの話をうかがった。

 

取材・文=田部井徹 撮影=有坂政晴

 

 

アイドル目当てで歌番組を見ていつの間にか演歌も覚えるっていう感じでした。

 

──子どもの頃から青春時代までに土田さん触れた様々な文化について書かれた『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』が刊行されました。この本を出されようと思ったきっかけは?

 

土田晃之(以下=土田):いや、出そうと思ったわけでもなく、連載していたコーナーがあって、それがだいぶ溜まったので、「1冊にしようと思うんだけど?」って編集の人に言われたので「どうぞ」っていう感じで。とくに深い思いはないんです(笑)。主におじさんに向けて書いているので、同世代に伝わればいいなという感じです。

 

──読ませていただいて感じたのは、この当時の子どもたちは、例えば『ガンダム』でありドリフであり、アイドルも戦隊ものも刑事ドラマも、とにかくありとあらゆるものを見ていたし、学校で語っていたし、ジャンルが広かったんだなと。

 

土田:今みたいに情報量が多くないのが良かったんじゃないすかね。今はインターネットがあって、細分化しちゃってるから、みんながそれぞれ趣味のものを見るでしょうけど、僕らの子どもの頃は基本テレビとラジオしかないし、話題はみんなの共通のものなんですよね。だから、今の子、かわいそうだなと思いますけどね。年取って、みんなで「あれあったよね」って話せることが僕らのときよりは全然少ないだろうなと思うから。

 

──例えば、プロレスにそこまで興味がなくても、みんなある程度は知ってたりしたんですよね。

 

土田:ゴールデン(タイム)にやってましたからね。土曜の夕方と金曜の8時。月曜は『世界のプロレス』ってやってましたし、だから何だかんだ見てましたしね。

 

──『ザ・ベストテン』を見てると、興味はなくてもいつの間にか演歌も覚えてたり。

 

土田:そう。アイドル目当てで歌番組を見ていつの間にか演歌も覚えるっていう感じでしたよね。そうやって知る分野は広くなってましたね。

 

──今だと、気になったものを検索してそこをどんどん知っていこう、という深堀の形だと思うんですけど、当時は当然ネット検索はないので、深めるというよりはあれもこれも、というような感じですよね。

 

土田:今みたいにネットがあって何でも知っちゃう、パソコンでなんでもできちゃうっていうのは、つまらないなと思うんですよね。例えば、今UFO特番ってほとんどないじゃないですか、心霊特番もないですよね。心霊写真のコーナーやります、と言っても、今では小学生でも動画が作れちゃうし、ちょっと調べたらホントのことがわかっちゃう。本当につまらねーなーと思って。そういう意味で矢追純一さんは良い時代に仕事してましたよね(笑)。

 

──フィクションとノンフィクションの境を突き詰めないというか。

 

土田:そこを突き詰めずに嘘っぽいなと思いながら楽しむっていう感じですよね。それを友達と「おまえ、あれ知ってる?」って言ってどんどん広がっていくことも多かったなと思いますね。

 

 

後編へつづく