2
四年前——。
あれもやはり七月中旬だった。南から湿った風が吹き寄せ、三浦半島の海を荒らしていた。小笠原諸島沖に台風五号が接近しており、太平洋側は大荒れになる、という情報は午前中からすでに広く流されていた。
神奈川県沿岸には高波警報が発令されており、漁港や観光施設は軒並み閉鎖され、沿岸部では《遊泳禁止》の看板が、吹き付ける風に音を立てていた。
この荒天下で、海保には早朝からすでに数回の海難情報、救助要請が入っている。ここまでのところは、自力で避難したり、近くにいた巡視艇が救助して、特救隊の出動にまでは至っていなかった。しかし、次にもたらされる事案が大惨事にならないとは限らない。気は抜けない。
羽田特殊救難基地の待機室にその救難要請が入ったのは、午前十一時半をわずかに回ったころだった。待機室にブザーが鳴り響き、隊員たちに緊張が走る。
〈海難情報。海難情報。三浦半島南端、荒崎の岩場に取り残された者がいるとの通報あり〉
この日の当番である、当時の第四隊の宮野守之隊長が応答する。
〈三浦半島南端、城ヶ島沖の岩礁で遭難者三名。成年男性。ライフジャケット未着用の模様。現場は立ち入り禁止区域。強風、高波、かつ岸壁が迫っていて、ヘリでのピックアップは困難の可能性あり。なお——〉
交信を終えた松尾が振り返り、指示を与える。
「矢上と岩間、頼む。準備ができ次第出発だ」
「はい」
「聞いていたと思うが、《はまなみ》が現場へ向かっている。おまえたちが先に着くだろうから、まずは上空から現場確認。可能ならホイストで吊り上げ揚収。危険が大きければ、《はまなみ》と連携して海上からのアプローチに切り替える」
《はまなみ》は第三管区海上保安本部に配備された、中型巡視艇だ。
矢上と岩間も、装備庫への階段を駆け下りる。すでにほかの隊員たちが、必要な機材を装備台車に積みはじめている。
両名はウエットスーツに着替え、潜水用具一式のチェックを行う。ハーネス、フローティングベスト、シュノーケルマスク、レギュレーター——。
「準備よし」
隊員たちが確認の発声をし、装備台車を引いて発着場へ向かう。出動予定のスーパーピューマAS332型機が待機し、ローターが静かに回り始めていた。
機体が離陸すると、羽田の基地がすぐに小さくなっていく。南へ針路をとり、東京湾の空を滑るように進む。機内はエンジンとローターの轟音に、ときおり無線の交信が混じる。
〈目的地まであと23キロ。到着予定7分〉
矢上は「了解」と短く応じ、隣の岩間とともに装備の最終確認をした。
〈要救助者視認。前方岩礁の上〉
機長がインターコムを通して言い、機首をやや回転させた。
スライドドアを開け放つと、強風と雨粒が機内に吹き込んだ。眼下には白波立つ海面と、ごつごつとした岩礁が広がっている。
「いたぞ。三人、岩の上に固まってる」
矢上が双眼鏡で確認した。岩礁には繰り返し波が叩きつけられている。そのたびに白い飛沫が舞い上がり、三人の姿が見え隠れする。やはり、ホイストでの救助は厳しそうだ。
「どうしてこんな日に——」
頑強な岩間が、ついそんな言葉を漏らした。矢上は黙って聞き流す。このあと、命をかけた作業が待っているのだ。愚痴のひとつぐらいこぼしても許されるだろう。
機長の声が聞こえた。
〈風速十八メートル。気流が乱れている。岸壁近くでホバリングは危険〉
「《はまなみ》は?」
矢上の問いに、通信士が答える。
〈南東約一キロ、まもなく到着の見込み〉
矢上は即座に決断した。
「《はまなみ》と合流し、海からいきます。この風では、ホイストによる揚収は無理だ」
隊員たちが口々に〈了解〉と応じた。
ヘリは旋回し《はまなみ》の上空へ移動した。荒れる海に浮かぶ船体に、甲板クルーが手信号を送りながら待っているのが見える。
「リペリング準備」
船尾近くの狭いスペースに、降下するのだ。
まず矢上が一気に降下した。続いて岩間も問題なく着地する。
矢上が大きく指先で円を描くと、ヘリは離脱した。
「ご苦労様」
船長が濡れた合羽を着たまま出迎えた。
「特救隊、矢上です。状況は?」
「把握している。現場は岩礁の南端。波高は三メートル。RIBで行くという連絡をもらったが」
「はい。お願いします」
船長は一瞬考えるしぐさを見せた。最終判断前に、危険度合いを測ったのだ。しかし、この仕事で危険でない場面のほうが少ない。
「了解した。支援要員として二名同行させる。しかし、岩礁五十メートル手前が限界です。あとは泳ぎで行ってもらうしかない」
《はまなみ》のクルーから航海士二名が同行することになり、四人でリジッド・インフレータブル・ボートと呼ばれる、小型の警備救難艇に乗り込む。
カーボン強化プラスチック製の船体が波間を飛び跳ねるように進む中、岩間が矢上の耳元で怒鳴った。怒鳴らなければ聞こえない。
「こんな日に、あんなところで何をしてたんでしょう。磯遊びですか」
今日の岩間は少しこだわっている。何かを感じ取ったのかもしれない。
「今は、救助のことだけを考えろ」
矢上は短く応えた。
やがてRIBは岩礁から五十メートルほど手前でエンジンを止めた。
「このあたりが限界です」
操縦してきた《はまなみ》の航海士が申し訳なさそうに言う。
「ありがとう。充分です」矢上は礼を言って、すぐさま岩間に指示する。「ここから泳ぐ」
岩間がOKサインで応じ、両名は即座に海中に身を投じた。
ウェットスーツに包まれた体がもみくちゃになる。少しでも気を許せば、岩礁から引き離されるか、下手をすればたたきつけられる。まさに命をかけて、前方にある岩棚に向かって泳いだ。
ようやく岩に手が届いた。波に後ろへ引き戻される感覚に抗いながら、身体を滑らせるように上がる。岩間もすぐ近くに到達した。
荒れた息を整えながら、岩礁に這い上がる。
男が三人いた。安物のレインジャケットなどまったく役に立たないようで、全身ずぶ濡れだ。Tシャツにアロハシャツ、下は全員短パン姿だ。情報通り、誰もライフジャケットは身につけていない。
「海上保安庁です。大丈夫ですか!」
岩間が大声をかけた。三人がうなずいたように見えた。震えてはいるが大きな怪我はしていないようだ。
矢上と岩間は足場に注意しながら、三人に近づく。三人のうち一名が待ちきれないようすで立ち上がった。そのとき、背後の岩の陰に蛍光色のリュックサックのようなものが見えた。
「危ないから動かないでください。こちらから行きます」
矢上も声をかける。
「早くしてくれよ! いつまで待たせるんだよ」
真っ赤なアロハシャツを着た一人が立ち上がり、そう叫んだ。それを聞いた岩間の動きが止まった。無言だが、怒りが伝わってくる。
矢上は岩間の肩を二度軽く叩いた。「冷静にいけ」という意味だ。怒り、焦り、恐怖、すべての心の乱れは死に直結する。
「今は救出に集中しろ。彼らのため、そして自分たちのため」
その意図は岩間に伝わり、岩間が「もう大丈夫です」と言わんばかりにうなずいた。
三人のところへ近づく。
いずれも三十代前半から半ばあたりのようだ。
「ヘリじゃないのかよ」
赤いアロハシャツの男が食ってかかる。この三人の中ではリーダー格のようだ。矢上が答える。
「この風と、この立地条件を考えると、危険で近づけません。あそこに見える小型船で巡視艇まで搬送します」
「えー。あんなちっこいボートで? 嘘だろ」
一番痩せて体力のなさそうな男がぼやいた。赤いアロハの男が怒鳴る。
「まじかよ。あんなもん、転覆するだろ。普通に」
「ライフジャケットを着てもらいますし、我々がサポートしますから、安心してください」
男が「ちっ」と舌打ちするのが、この嵐の中でも聞こえた。
以前の飲み会のときに、隊員のひとりが「『じゃあ、お好きにどうぞ』って言いたくなることがあるよな」とぼやいて、隊長にたしなめられていたのを思い出す。
「救助に来てくれたんだ。素直に従おう」
赤いアロハの男にどことなく雰囲気の似た男が、諭した。もしかすると兄弟かもしれない。赤いアロハは再び舌打ちをしたが、納得はしたようだ。
いざ移動しようとすると、その彼が、さきほど見えた蛍光色のリュックを背負おうとしている。
「荷物は置いてください」
「大事なものなんだ」
「命が優先です。中身はなんですか」
「よけいなお世話だよ。あんたらは、税金で働いてるんだから、納税者の保護を最優先してくれ」
一歩足を踏み出しかけた岩間を、再び手で止める。
「だからこそ、命を最優先にしています。身につけられるもの以外、残してください」
赤いアロハがさっきよりも大きな舌打ちをする音が聞こえた。
なんとかなだめながら、矢上たちはひとりずつ岩礁の端まで移動させ、待機している航海士と協力しながらRIBに乗船させることに成功した。
最後の三人目を運ぶ前に、赤いアロハの男があてつけのように岩場に放り投げていったリュックの中身を開いてみた。
禁漁対象である、アワビやサザエがびっしりと入っていた。
巡視艇《はまなみ》に揚収し、救助者たちに応急処置を施した。その結果、軽度の低体温症はあるものの命にかかわるほどではなかった。
この状況下で詳しい聴取はできないが、最低限のことは訊かねばならない。記録に残す必要もある。
赤いアロハの男が時島健一、三十六歳。その弟の時島黎二、三十三歳。健一の友人、宮城大樹、三十六歳。
直感どおり、健一と黎二は兄弟だった。職業を尋ねようとしたところ、健一が驚くべき発言をした。
「あんたたち、時島誠って知ってるだろ。国会議員の。あれは親父だよ」
「あっ」
その場にいた、隊員や乗組員——海上保安官——の何人かが驚いた声を漏らした。
この兄弟は、政権与党『民和党』の参議院幹事長である、時島誠の長男と次男だった。そういえば、時島誠は神奈川の選挙区出身だった。実家はこの近くか。
「どうしてこんな日に、あんな場所に」
その場にいた海上保安官が漏らしたひとことに、健一が噛みついた。
「どうしてだっていいだろ。海はみんなのものなんだよ」
さすがに看過できずに船長が反論した。
「しかし、今日は遊泳禁止で、そもそもあの一帯は立ち入り禁止のはずです」
「がたがたうるせえっての。こうして、出動要請があるから、あんたらの——なんていうんだっけ、そうだ、〝レゾンデートル〟ってものが保全されるんだろ。給料がもらえるんだろ」
このやりとりを、矢上は少し離れた場所で見ていたが、若い保安官が「今から現場に戻してやりましょうよ」と小声をかけてきた。
振り返って彼の目を見て首を小さく左右に振った。「かまうな」という意味だ。
聞き取りの場を離れた船長に「ちょっと」と声をかけた。「何か?」と問う目の船長を物陰に連れ込み、小声で報告した。
「密漁です」
「密漁?」
うなずいて、ひとつだけ持ち帰ったアワビを見せた。
船長の顔が曇る。
「それを採るために、人目を避けようとしてこんな日に? ばかな」
「どうしますか」
「余計なことは書かず、記録だけ残しておいて欲しい」
「わかりました」
「しかし」と船長の顔が苦渋に歪んだ。
「こんなことは、決して公には言えないが——」表情は冷静を装っているが、内心はよほどの激情なのだろう。顔が上気し言葉が途切れ途切れだ。
「密輸だとか密入国だとかなら、この荒天を選んだのもわかる。わかるというのは変だが、話の筋は通る。しかし、そんなもの——」と矢上が手にしたアワビを顎で差した。「そんなものを遊び半分で密漁するために、こんな危険を冒し、その結果、きみたちを含め保安官の身を危険に晒したのか——」
あげくに「そのために給料がもらえるんだろ」とまで放言された。
怒りを通り越して、途中で絶句した船長に礼をしてその場を離れた。
デッキの手すりに寄り、手にしていたアワビを海に投げた。
矢上は「密漁品」のことは報告書に書かなかった。
もちろん、船長の指示に従ったというのもある。しかし、やはり船長と同じ心情で、そんなもののために命をかけたとは考えたくなかったのが正直な気持ちだった。
ところがその二週間後、スクープ系の週刊誌に大きな見出しの記事が載った。
《大物議員のバカ息子、密漁で身柄確保?》
《暴風雨の中、「アワビ」「サザエ」採りに夢中であわや大惨事》
《救出にかけつけた救助隊員に「税金泥棒」と悪態》
誰が漏らしたのか——?
あの日出動した隊員たちは、聴取を受けた。矢上ももちろん、岩間を含めた全員が「身に覚えがない」と答えた。矢上は、彼らの目に嘘はないと直感した。
ならば、《はまなみ》の乗組員の誰かだろう。情報漏洩は許されないし、世間では矢上たちを疑うだろうが、矢上自身は犯人捜しをするつもりはなかった。
そしてすぐに、攻撃の矢は父親である時島誠に向けられた。
誠は日頃から横柄な言動がしばしば問題になっており、特に女性蔑視の失言が多かった。
息子二人が立ち入り禁止区域で台風の日にアワビやサザエを密漁し、海上保安庁が出動して救出にあたった、という事実は、テレビを中心に過熱気味に報道された。中でも、あの日船長が漏らしたとおり「密漁するにしてもセコすぎるだろう」という論調が多かった。
ついには国会でも、野党議員から追及されるに至った。
「よっぽど、アワビやサザエが食べたかったんですね。こんど、お腹いっぱい食べさせてあげてください」
野党議員にそう揶揄されて、顔を真っ赤に染めるシーンが、ニュースやワイドショー系の番組で繰り返し流された。SNSを中心に「時島誠は辞任しろ」の嵐となって吹き荒れた。
救助事案から二か月後、ついに時島誠は議員辞職を表明するに至った。
そしてこのときから、これまでにも増して時島陣営による海上保安庁への猛烈な攻撃が始まった。
もともと、時島誠は「海自・海保合併論者」だった。
「しょせん海上自衛隊は海外派兵はできない。専守防衛だ。だとすれば、『日本の領海・EEZを守る』という使命に、どうして二つも巨大な組織が必要なのか。海上自衛隊に一本化すれば、コストカットになる」
くどいほどにそう主張してきた。ただ、日頃の言動がどうみても品行方正とはいいがたく、政治にうとい国民からも「どうせ何か裏があるんだろう」程度に受け止められていた。
しかしマスコミは過激な発言を好む。素性のいかがわしい人物であれば、出演させた側の責任も問われるかもしれないが、辞任間もない元国会議員だ。発言はそのまま本人の責めに帰すだろう。
時島側も「一民間人」となった今、失うものはない。言論の自由を盾に論拠が怪しいような論陣を張って、海保に対する攻撃をエスカレートさせていった。
そして一年後──。
衆議院で、解散総選挙が行われることになった。時島誠は参議院から鞍替えして、神奈川の選挙区から立候補した。
相変わらず、その舌鋒の矛先は主として海保であり、その主張の柱は当然ながら「海自・海保合併論」だった。「国家の無駄の削減」「海上保安庁と海上自衛隊の統合によるコストカット」あたりまでは、まだひとつの主義主張としてあるのかもしれないが、誹謗中傷に近いことまで言い出した。
「不審船が頻繁にEEZや領海内に侵入してきているとは、本当なのか」
「小さな話を大きく盛って、必要以上に危機を演出して予算をもぎ取ろうとしているのではないか」
「これ以上の大型巡視船の造船を一時ストップさせる」
きわめつけは「海保不要論を唱えるわたしを貶めるために、息子を密漁者にしたてあげた」だ。
エキセントリックな発言は、ときに小選挙区において奏功することがある。裏金がうごいたという噂もあった。とにかく時島誠は当選し、国政に返り咲いた。
議員となったあとも、時島の攻撃は収まるところを知らない。しばしば口にするうちに、信条になってしまった感すらある。海保の関係者も、これはもはや主義主張というより、感情論であると受け止めていた。ならば、いずれ嵐は収まる、通り過ぎない台風はない、と。
たしかに、議員に復活したこともあって、時島誠の海保への攻撃は次第に鈍化していった。ただ、しばしば「造船」に関しては、何かにつけて発言を繰り返した。
この騒ぎの間に、矢上了は「特救隊第四隊」の副隊長に任じられた。
矢上が副隊長になって一年と経たないうちに、問題の相模湾プレジャーボート遭難事件が起きたのだった。
(つづく)