教師、議員、作家……「先生」と呼ばれる人たちが、人生に行き詰まったときに訪れる、ちょっと怪しげな完全紹介制のクリニック。現役医師でもある作家・藤山素心が描く『Dr.グレーゾーン』は、家族や社会に疲れた大人たちにグレーな逃げ道を提示する物語だ。リアルな医療現場や社会問題を盛り込んだ本作の魅力について、著者にうかがった。

 

 

いい医者でいるか、病院の黒字を取るか

 

──SNSの誹謗中傷、職場でのトラブル、毒親の介護など、本作ではクリニックに訪れる人たちの悩みが多岐にわたりますが、特に親子の問題に焦点を当てたのはなぜですか?

 

藤山素心(以下=藤山):人生で一番こじれるのは“親子”ではないかと。ブラック企業なら転職できますが、親子の縁は戸籍を抜いても完全には切れません。相続権や扶養義務など、法律上の親子関係は変わらないからです。親の介護をしないのは虐待ではないかと葛藤する中学校の先生を第1話に書きましたが、家族の問題は精神的距離が近いぶん、真面目で優しい人や頑張り屋さんほど視野が狭くなりがちです。そんなときに正論を振りかざしてもあまり意味がないし、白か黒、0か1の極端な二択の解決法になって結果的に誰かが傷ついしまう。「正しさ」がすべてじゃないという思いから、この物語が始まりました。

 

──人生のつらい局面からは「逃げていい」、割り切れない関係は「白黒つけなくていい」という主人公の医師・本橋圭の考え方に、ご自身の経験は影響していますか?

 

藤山:医者を辞めたいと思ったことはありませんが、理不尽な職場からはいつも逃げてきました。20〜30代のときは小児神経科で働いていて、1年で休みは7日。夜間救急外来や病棟当直が連日で続き、常に睡眠不足で薄給という過酷な日々だったんです。先輩たちが同じような生活を何年も続けているから当然だと思っていたんですが、ある日絶対に見落としてはいけない患者さんのデータを忘れてしまい……限界を感じて転職しました。このままでは自分が死ぬ前に、患者さんの命を危険にさらしてしまうと。若い頃は「逃げたら負け」と言われがちですが、追い込まれすぎて命を絶ってしまったら、すべてが終わってしまいます。人生で楽しいことが起きるかもしれない可能性を自分でゼロにしないでいてほしいんです。

 

──医療現場の厳しさや人間関係など本作に盛り込んだところを教えてください。

 

藤山:地方の病院から東京に引っ越して、ゼロからクリニックを立ち上げるチャンスがありました。院内の設計から人材採用まで任されて、メンバーは医師の私・看護師1名・受付2名。それで毎日50〜60人診なければ赤字というギリギリの経営です。医師としての理想と経営者としての現実がぶつかり合う日々から得たことは、第3話の医療系コンサルタントに搾取される開業医のストーリーにかなり盛り込んでいます。診療技術だけでなく、コミュニケーションスキルが不可欠なのに、患者さんの気持ちがわからない、平気でコメディカルを怒鳴る……そういった人は珍しくありません。それに医師も人間だからミスをすることもあります。でも、そのときに誠実に謝れるか、普段から信頼関係が築けているかどうかで、患者さんが納得してくれるか、怒りに変わってしまうかは大きく違ってきます。

 

 

くまざわ書店錦糸町店よりご提供

 

錦糸町の混沌から生まれた異色のクリニック

 

──「何に追い詰められているんですか?」と患者に迫る、型破りな診療スタイルが本作のクリニックの特徴です。小説を通して伝えたかった、医師と患者との関係で大切なこととは何ですか?

 

藤山:大学病院などでは、患者が医師を選べないことも多いです。診察しているのが研修医なのか、ベテランなのか、それとも名医なのか、患者側にはわからないことがほとんど。だからといって、違和感を飲み込まないでほしいと思います。中には、患者を“さばく”ように流れ作業で診療する医師もいます。けれど、それに萎縮してしまう必要はないです。納得できない説明なら、ちゃんと質問するべきだし、「忙しそうだから」と遠慮する必要もありません。診察中にメモ帳を出したり、「身内に医療従事者がいる」と伝えたりして軽くプレッシャーをかけるだけで、医者の態度が急に変わることも実際にあります。

 

──毒親の介護に悩む患者が「父を認知症ってことにできませんか」という非常識な訴えをしても、思いがけないやり方で解決する本橋のキャラクターには何かこだわりがありますか?

 

藤山:患者の立場になると、多くの人がどうしても医師に対して弱気になりますが、それは単に知識の差にすぎません。「面倒がられるかも」と、自分の身体のことなのに気を遣いすぎる必要なんてないんです。本来は、知識を持つ側が、持たない側に対して威圧的になるのはおかしいと思います。患者でも看護師でも、後輩でも、どんな相手に対しても態度を変えない。そういう人こそ、本当に信頼できる医療者だと思います。自由奔放な性格だけど、誰に対しても分け隔てなく接しようとする本橋のキャラクターは、私の理想を託した主人公です。

 

──本作の舞台は錦糸町ですが、随所にリアルな描写が印象的です。この街を選ばれた理由があれば教えてください。

 

藤山:錦糸町は駅の北口と南口でまったく違う顔を見せます。映画館やスーパー、ホテル、キャバクラと一つの街に昼と夜、光と影が共存しているような感覚です。そんなごちゃ混ぜ感がたまらなく好きで、クリニックを雑居ビルの中に置いて、1階は居酒屋、3階は無認可保育園、4階は消費者金融、5階には違法スロット店という実際にありそうな設定にしました。実はデビュー作の舞台も錦糸町で、私にとっての“物語の原点”です。20作目の今作も錦糸町への愛がつまった一冊になりました。