民間の科学捜査鑑定所で所長を務める氏家京太郎のもとに舞い込んだのは、女性3人が殺害され子宮を抜き取られるという猟奇的な事件の鑑定依頼だった。容疑者が否認しているにもかかわらず、3人目の殺害を主張する検察側の鑑定通知に違和感を抱いた氏家は再鑑定を試みるが、試料の盗難や職員への暴行など、何者かの邪魔が相次ぐ──。

 驚愕の結末が待ち受ける本書の読みどころを、巻末に収められた書評家・西上心太さんの解説でご紹介します。

 

鑑定人 氏家京太郎

 

■『鑑定人 氏家京太郎』中山七里 /西上心太[評]

 

 中山七里にまた新しいシリーズキャラクターが誕生した。それが本書の主人公・氏家京太郎である。氏家は四十四歳。警視庁科学捜査研究所、通称〈科捜研〉の出身だ。ある事情で退職後、東京都文京区湯島に〈氏家鑑定センター〉を設立したのである。退職金と実家からの支援で資金は賄ったのだが、それ以上に幸いだったのが科捜研時代の優秀な部下たちがセンター開設を支持し転職してきたことだ。噂を聞きつけた他の鑑定のプロたちも集まり、センターは順調に発展を続けている。だが唯一の弊害が警視庁から睨まれていることだ。せっかく育てた人材を一人前になったところで引き抜かれた形だからである。氏家は職業選択の自由があるのだから如何ともし難いと思っているが、古巣への敷居が高くなってしまったことは否めない。

 中山七里は主人公や彼らが救おうとする人物を、これでもかというほどの危機に晒させるのが上手い作家だ。危機の回避や危機的状況からの脱出が困難なほど、それが打破された時に得られるカタルシスもまた大きくなる。〈どんでん返しの帝王〉という異名を取るのも、危機から逆転に至る振れ幅の大きさに一因がある。本書では氏家と警視庁との確執が、事件解決への大きなハードルの一つになっていることにも注目したい。

 少し先を急ぎすぎた。中山七里は二〇〇九年の第八回「このミステリーがすごい!」大賞を『バイバイ、ドビュッシー』で受賞し、同作が『さよならドビュッシー』として刊行された二〇一〇年にデビューを飾った。それ以来、二〇二四年までの丸十五年ですでに八十冊近い作品を上梓している。いくつもの人気シリーズを書き分けているのだが、主人公や脇役たちがシリーズを越境して他のシリーズに登場することが多い。この手法こそが中山七里作品のもっとも大きな特徴なのである。中山作品のキャラクターたちは、同じ世界、同じ時代の中で息づいているのだ。

 氏家京太郎は弁護士の御子柴礼司シリーズの四作目『悪徳の輪舞曲』、デビュー作『さよならドビュッシー』から続く岬洋介シリーズの七作目『合唱 岬洋介の帰還』に脇役として登場し、本書でめでたく主役を務めることになったのである。

 八月に東京都足立区で悽惨な殺人事件が起きた。荒川河川敷で発見された女性の遺体は、腹を真っ二つに切り裂かれ、子宮を含む下腹部が摘出されていたのである。三ヵ月後、埼玉県狭山市の入間川の河原で、さらに年を越した一月に千葉県市川市の河原で、子宮を摘出された女性の遺体が発見された。稀に見る猟奇的な事件に世間は沸き立つが、二月になって都内の医療機関に勤める三十四歳の那智貴彦が逮捕される。現場に残された体液のDNAが那智のものと一致し、彼の部屋から凶器と思しきメスも発見された。

 那智は二件の殺人については素直に認めたが、最後の事件には関与していないと供述していた。依頼された吉田弁護士は那智と面会するが、冷静な態度で言動におかしなところはなく、彼の供述に嘘はないように思えた。吉田は氏家に残された証拠の鑑定を依頼する。だがそれには大きな問題があった。公判前整理手続で開示された検察側の請求証拠には、たった一ページの鑑定結果通知書しかなかったからだ。つまり警視庁の科捜研は、現場に残留していた体液と、逮捕した那智から採取した体液データとを比較した具体的な手順や詳細を一切記すことなく、DNAが一致したという鑑定結果のみを伝えていたのである。しかも体液の試料は鑑定に際して全量を消費したというのだ。さらにこの鑑定結果通知書作成の責任者は、氏家と同い年のライバルであり刎頸の友で、現在は科捜研の副主幹の黒木康平だった。自分の知る黒木は鑑定に真摯に取り組む人物である。その彼がなぜこのような手順で済ませたのかと氏家は疑問を抱く。氏家ら弁護側は那智の唾液から彼のDNAを調べることは可能だが、肝心の比較すべき試料がない。たとえあったとしても、氏家と確執のある科捜研がおいそれと渡すはずがないのである。

 本書には二組の人間的な対立がある。氏家が科捜研を退職した大きな理由の一つが、黒木との関係の悪化だった。これがどのようなものであるのか中盤に明かされるので触れないでおこう。そして那智の裁判の担当となった谷端義弘検事と吉田弁護士との因縁である。吉田は検事から弁護士に転職したいわゆる〈ヤメ検〉だ。ある裁判で同僚の谷端が犯したミスを吉田が救ったことがある。だがその時に生じた感情のこじれが現在も続いているのだ。さらに担当裁判官の増田判事は司法制度改革に熱心で、世間の耳目を集めるこの裁判を、長期化を防ぐスピーディーな裁判事例に仕立てようと目論んでいた。

 作者が設定した主人公の越えるべきハードルは、全量を消費してしまったという加害者が残した体液をどのように入手するのかである。現場で採取した試料がなければ那智本人のものと比較検討すらできない。闘う以前に同じリングに上がれないのだ。氏家が試料入手のために取る方法が前半の読みどころで、なるほどこんな方法があったのかと盲点を突かれた。

 だがこのままでは終わらない。作者は新たなハードルを設定し、再び氏家たちを危地に追いやるのだ。万事休すと思われたところで氏家は視点を変え、新たなアプローチで反証のための証拠集めに邁進していく。ピンチからチャンスへ、そしてまたピンチへ。裁判の開廷という時間的な制約もある中で権力に挑んでいくさまが活写されるのだ。

 本書では稀代の猟奇殺人とその裁判をめぐり、さらにさまざまな問題が露呈する。現代はDNAや指紋など高精度の科学的な鑑定が可能な時代であるが、科捜研や科警研から提出された鑑定結果を誰も疑わなくなる危険性を氏家は指摘する。検察や警察という権力を持った組織が自らの無謬性を疑わなくなった時、冤罪という悲劇が起きるのだ。現に足利事件では逮捕当時の鑑定結果が、技術が発達した後の時代の再鑑定によって否定されている。もしこれに人為的な悪意がからんだとしたらどうなるだろうか。
 悪辣な妨害行為に晒された氏家が部下の職員たちに向けてこのような言葉を放つ。

「忖度にも圧力にも情理にも負けないのは真実だけだ。邪な力に勝てるのは真実だけだ」

 真実を見ることよりも組織に取り込まれてしまう危うさ、人間の弱さを自戒している言葉でもある。

 また二回目の公判前整理手続を終えた吉田弁護士は谷端検事と口論になる。捜査員は完全ではなく間違いを犯すこともあると言った吉田に対し、谷端は、それは捜査員の能力を論うことであり、ひいては法廷の権威を論うことと同義であると言うのだ。それを聞いた吉田は検事時代の自分も同じような考えだったことを思い出し、次のように述懐する。

「ひと度立場を変え、弁護人の目で刑事裁判を眺めると法廷の風景は一変した。正義を遂行するはずの権力が真実を覆い隠し、市民に安寧をもたらすはずの秩序が一部の声なき者を圧殺している」と。

 圧倒的に不利な状況から氏家たち弁護側はどのように闘い、どのように被告の証言を認めさせるのか。後半の法廷シーンに至ればページを繰る手が止まることはないだろう。

 本書では『ヒポクラテスの誓い』に始まるヒポクラテス・シリーズで重要な位置を占める浦和医大法医学教室の光崎藤次郎教授と准教授キャシー・ペンドルトン(電話の声だけ)、『逃亡刑事』、『越境刑事』に登場した千葉県警捜査一課の〈アマゾネス〉の異名を持つ高頭冴子警部が登場し、氏家を大いに助けることになる。この二人がいなかったら氏家は吉田弁護士からの依頼を全うすることはできなかったろう。また名前こそ出ないが、氏家が御子柴礼司と思われる人物を思い浮かべるシーンもある。そのような細かいネタを見つける楽しみがあるのも中山作品が読者から強い支持を受けている理由でもある。

 すでに二作目の『氏家京太郎、奔る』の連載も終わっており、近々刊行されるはずだ。その前に氏家京太郎が初めて主役を務める本書を手に取ってみてはいかがだろうか。