美男美女に生まれなくても、「いい顔」にはなれる。その決め手は、やはり“どう生きるか”にかかっているのかもしれない。『東京物語』で知られる世界的映画監督・小津安二郎は、銀幕で輝く登場人物たちと同様、いやそれ以上に「いい顔」の持ち主だった。60年の生涯で貫き通した美意識あふれる流儀を、珠玉の至言で深掘りする。
フリーペーパー「コモ・レ・バ?」編集長の二見屋良樹さんのレビューで、『小津安二郎 粋と美学の名言60』の読みどころをご紹介します。
■『小津安二郎 粋と美学の名言60』米谷紳之介 / 二見屋良樹 [評]
嫌いなものはどうにもならない。たとえ理屈に合わなくても、嫌いだからやらない。そこから自身の個性が出てくるから、ゆるがせにはできない。
イヤなものは、イヤ。たとえ理屈に合わずとも、己の審美眼にかなったものだけに徹底的にこだわり、いつくしみ、愛する。
「いやまったくその通り」と深く共感し、憧れもする。されど、なかなか口には出しづらいセリフではないだろうか。
だが、世界的名監督・小津安二郎は、生涯その哲学を貫き通した。
冒頭は、2月に発売された新刊『小津安二郎 粋と美学の名言60』(米谷紳之介著・双葉文庫)で取り上げられた一節である。
昭和33年、キネマ旬報のインタビューで、小津は「ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」と打ち明けた。至言である。小津ファンならずとも、一度は聞いたことのある方も多いはずだ。
ただ、その直後に、先ほどの「嫌いなものは──」が続いていた事実は、おそらくあまり知られていない。横長のスクリーンに対するみずからの考えを語っているのだが、むしろこちらの言葉のほうに、より「人間・小津安二郎」の魅力が滲んでいるような気がする。
本書では世に知られた至言のみならず、小津自身が日記等で吐露した意外な言葉、さらには、『東京物語』『晩春』『麦秋』など数々の傑作で生み出してきた味わい深いセリフを、彼の享年と同じ60本、丁寧に掬い上げている。そして、その背景や真情、さらには独特の美学にまで迫ってみせる。
これがまた、抜群に面白いのだ。
個人的なベストワンを挙げるのならば、やはり名作『小早川家の秋』の強烈なセリフだろう。
未亡人役の原節子が、義妹役の司葉子に向かって放つ、
「品性の悪い人だけはごめんだわ。品行はなおせても、品性はなおらないもの」
という言葉の、白刃のような鋭さ。これは小津自身の口癖でもあったそうだ。
本書によれば、小津はまた、作品の常連だった笠智衆を「人間がいい。人間がいいと演技にそれが出てくる」と評している。
役ではなく、人間に語らせる。
まさにその核心を、著者の米谷は「小津が出演者を人(人間性)で選んだのも同じである」と看破するのだ。
原節子だからこそ、自身の人間観を凝縮させたようなセリフを言わせた。
そう考えると、小津映画のミューズと称された原との間柄も、従来囁かれたような恋愛関係とはまた違った色を帯びて見えてくる。
ちなみに本書には「このところ原節子との結婚の噂しきりなり」という、何とも気になる日記の一節も取り上げられている。
本当のところはどうだったのか。その答えは、当事者であるふたりがすでに鬼籍に入った以上、知るよしもない。
だが、カバー写真のスチールカット──代表作『東京物語』の撮影現場で、原の涙が最高に美しく映えるように、小津みずからが彼女の美しいまぶたにワセリンを塗る光景からは、単なる惚れた腫れたを超えた、濃く深い信頼関係が伝わってくる。一種の切なさを漂わせながら、ふたりとも実にいい顔をしている。圧倒的に粋なのだ。
個人的な話で恐縮だが、映画好きな外国の友人たちは、ぼくの誕生日が小津と同じだと知ると一様に羨ましがる。海外の映画ファンが小津の誕生日まで知っていることへの驚きとともに、小津作品が世界で愛されているのを実感する。
申し添えるのならば、小津の命日は誕生日と同じ、12月12日である。
いい顔で生き、いい顔で逝った小津。観客にとって忘れ得ぬ人物を銀幕に送り出し続けた彼自身が、「誰かの忘れ得ぬ人」だった。そのことを改めて思い起こさせてくれる、名著である。