2017年、「アクロス・ザ・ユニバース」で「女による女のためのR‐18文学賞」大賞と読者賞をW受賞した白尾悠さんが、このたび新たな連作小説『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』を上梓した。

 物語の舞台は、多世代の住人が協働するちょっと特殊なマンション「ココ・アパートメント」。人間関係が希薄になりがちな現代、家族の絆や歪み、葛藤を描く上で大切にした思いをうかがった。

取材・文=碧月はる 撮影=川口宗道

 

 

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「ないもの」にされている“ありふれた”差別や性被害の実情。声が小さくなってしまう人の想いを紡いでいきたい

 

──本書のタイトルは、執筆当初から決められていたのですか。

 

白尾悠(以下=白尾)「ちょっと長くて引っかかるような感じの言葉に」と、担当編集の方が助言してくれたのがはじまりです。そこからぐるぐる考えて、いくつかの案を出して、社内で講評をしてもらい、今のタイトルに決まりました。

 

──「うるさくて、ときどきやさしい」の部分が、隣人同士のかかわりを如実に表していると感じました。特に、高齢ながらパワフルではっきりものを言う康子さんの存在は、「ココ・アパートメント」の中で際立っています。康子さんの過去を巡る物語において、昭和から現代への時代の変化が描かれている点も印象的でした。

 

白尾家事を一切したことがない高校生の賢斗くんに、康子さんが家事を教える様子が作品の序盤にあります。まさに、「うるさくて、ときどきやさしい」関係性ですよね。でも、若かりし頃の康子さんは「言いたいことさえ言えない」状況に押し込められていた。

 康子さんはマイノリティ女性で、そのことをはっきり自覚することなく生きてきました。私はアメリカの大学を卒業しているのですが、当時から向こうではLGBTQ+の存在を「当たり前」として認識していました。過去作の『サード・キッチン』でも、セクシュアルマイノリティや差別の問題について書きましたが、日本ではまだまだ“隠されている”感じがします。70年代からようやく東京でゲイ男性のための小さな雑誌が出はじめましたが、康子さんの場合は地方の保守的な農村部の出身で、貧しく、女性で……そういうところで、同じように声をかき消されてきた人がたくさんいると思うんです。

 

──『サード・キッチン』で、登場人物の尚美がニコルに「私、ノーマルだから」と言ってしまい、ニコルが「クィアはアブノーマル(異常者)じゃないよ」と傷つきながらも伝える場面が印象に残っています。本来であれば「ストレート」と言うべきところで、無意識下の差別感情が出てしまった。現実世界でも、そのような事象は多く見られますよね。

 

白尾そうですね。存在を認知されたものの、社会の理解度や法整備など、今後も変わっていかなければならない部分がたくさんあると思います。変わらないものと、変わっていくもの。それらをアメリカの学生生活を描くことで浮き上がらせたいと思いました。

 

──本書では、差別の問題にとどまらず数々の社会課題が描かれています。性的同意や性虐待、プライベートゾーンの話、モラハラなど、一見すると特異な事象に見られがちな問題が、実はごく身近でありふれた問題であることが痛切に伝わってきました。

 

白尾数年前、フラワーデモ※1に参加したことがあって。その際に、運動のきっかけになった判例をはじめ、たくさんの被害の実態を知りました。中には、近親者が加害者であるケースも多く見られて、性被害は“思っているよりずっと、身近にたくさんある”という感覚が私の中にあります。現実に起きている問題を無視したくなかったので、あのようなストーリーになりました。近年、当事者の切実な声を置き去りにして共同親権の話が推し進められていることにも、強い憤りを覚えます。

※1 フラワーデモ
毎月11日に日本各地で実施されている性暴力根絶を目指すデモ。花を持って#WithYou #MeTooの声をあげている。

 

──作中で、子供にプライベートゾーンを教える場面の描写があり、性教育の大切さを改めて感じました。大人でさえも、正しい性的同意の知識を知らない人がいまだに数多く見られますよね。

 

白尾私が学んだアメリカの大学では、入学と同時に性的同意や性感染症などに関して適切なガイダンスを受けます。でも、日本の性教育はまだまだ遅れている部分があり、差別の問題同様、変わっていかなければならないことがたくさんありますね。「いやよいやよも好きのうち」とか、口に出すだけでも腹立たしい。「No means No」なんですよ。

 

──高校生の陽菜の台詞にある「相手の嫌がることはしないって、セックスに限らず、コミュニケーションの基本だしね」という当たり前のことが、広く認知されてほしいですね。

 

白尾その通りです。この問題に関しては常日頃から怒っていて、悲しんでいるので、作品の中にどうしても想いがあふれてしまって。私自身が性暴力のサバイバーでもあり、ずっと向き合っていかなければならないことだと思っています。

 

──過去作から新著に至るまで、一貫して「考え続けていくしかない」という白尾さんの強い信念を感じます。同時に、今作で描かれる隣人同士のつながりから、「人と人は手を取りあえる」という祈りが込められているように思いました。

 

白尾差別の問題にしても、性暴力の問題にしても、「すぐには変わらないけど前へ進むには希望を持つしかない」と常日頃から思っていて。もちろん、怒りの感情はいつも隣にあるのですが、せめて自分の小説の中では、希望や祈りも同時に描いていきたいんです。読んでくださった人が、少しでも明るいほうを向けたらいい。そんな願いを込めて、本作を書き上げました。

 声が大きい人の言葉は、わざわざ小説にしなくてもすでに大勢に聞こえています。だから、書く機会をいただけたからには、できる限り声が小さくなってしまう人の想いを紡いでいきたいんです。