一部上場企業の秘書課に勤務していた美菜代は、社内恋愛をしていた。しかしその彼が突如、後輩との婚約を発表。ストーカーだと噂を流され、退職に追い込まれてしまう。愛した男に裏切られ、仕事も恋も失った美菜代は、凄腕の「復讐屋」のもとを訪れる。依頼料は高額だが諦めきれない美菜代は、そこで働かせて欲しいと頼み込み、押しかけ秘書となるが──。
復讐が果たされれば、美菜代は報われるのか? それとも──。理不尽な出来事に傷ついた者たちが訪れる「復讐屋」を舞台に繰り広げられる、ユーモアあふれる復讐劇『復讐屋成海慶介の事件簿』が改題し、新装文庫化! 本作『その復讐、お預かりします』の読みどころを、文庫巻末に掲載された作家・奥田亜希子さんのレビューでご紹介する。
『その復讐、お預かりします』原田ひ香 /奥田亜希子[解説]
原田ひ香さんは、「商い小説」の名手だと思う。
既存の職業を掘り下げた「お仕事小説」とも、労働者の辛苦を写し取った「プロレタリア文学」とも違う。書かれているのは、まるでそれ自体に生命が宿っているかのような、個性的で充実した商い。原田さんの作品は、客になにをどんなふうに提供して金銭を得るのか、というオリジナリティが、時に物語の大きなウエイトを占めている。
例えば、主人公が依頼された対象を寝ずの番で見守る職に就いている、『ランチ酒』。三姉妹が、それぞれ朝昼晩で違った形態の飲食店を営んでいる、『三人屋』。主人公が都内の事故物件を転々としている、『東京ロンダリング』。どれも仕事内容や業務形態が独特だ。雑な料理が常連から支持されている店の物語、『定食屋「雑」』も、開館時間からして一風変わっている、有料の私設図書館が舞台の、『図書館のお夜食』も、その商いでなければ決して成立しない小説と言えるだろう。
実は原田さんは、私が受賞した小説の新人賞であるすばる文学賞の、六年先輩だ。その縁あって、対談した際、原田さんが「箱庭を作る」感覚で小説を書いていると仰っていたのが、いまだに強く心に残っている。その箱庭の枠組みのひとつに、商いがある。私はそう考えている。
このたび新装版として刊行された、『その復讐、お預かりします』も、そんな「商い小説」の一作だ。旧題の『復讐屋 成海慶介の事件簿』にあるとおり、今作で描かれている商売は、復讐屋。成海事務所を営む成海慶介なる人物は、依頼人の復讐を引き受けることで手付金を、無事に果たすことで成功報酬を得ている。物語は、主人公の神戸美菜代が、「セレブやお金持ちしか顧客にしない。でも最高の腕前を持っているって。依頼料は高額だが満足度は百パーセント。しかも、決して誰にもばれないように復讐を成し遂げてくれるって」と成海の評判を聞きつけ、事務所を訪れるところから始まる。
美菜代の事情は、冒頭十数ページで早くも明らかになる。一部上場企業の秘書課に勤務していた美菜代は、当時、陣内俊彦という男性と社内恋愛の関係にあった。彼は、「地味人間」な彼女に人生で初めてできた、理想的な恋人だった。しかし、その彼が突如、後輩との婚約を発表。美菜代は陣内のストーカーだと噂を流され、退職に追い込まれる。また、美菜代は陣内にお金を貸し、彼の出世のために手も貸していた。あらゆる方面から自分を傷つけた陣内を、美菜代はとても許せない。そこで、以前、職場の会食で耳に挟んだ噂話を思い出し、成海事務所を頼ることにしたのだった。
第一話「サルに負けた女」では、美菜代の復讐が果たされるのだろう。だが、そう見当をつけて読み進めると、あっさり裏切られる。お金持ちの生まれではない美菜代には、手付金をぎりぎり賄える程度の貯金しかなく、成海は彼女の依頼を、「全財産をかけられないぐらいなら、やめた方がいい」といとも簡単に退ける。だが、美菜代は諦めない。ならば、働きながら復讐のノウハウを学ぼうと、翌日より成海の押しかけ助手を始める。そこに現れた、美菜代が接する初めての依頼人が、荻野貴美子。彼女こそが、交際相手からペットのサルの病気を理由に婚約を破棄された人物だった。
第二話「オーケストラの女」では、新加入の指揮者とヴァイオリニストにオーケストラでの居場所を追われた永倉乙恵が、二人の追放を求めて成海事務所にやって来る。自分のヴァイオリンの腕前が新入りより劣っていたわけではないと証明されることは、乙恵の切実な願いだった。
第三話「なんて素敵な遺産争い」では、成海がかつて客だった浅野小百合の息子、敬一郎から、離婚した母親が家に戻ってくるよう説得してほしいと頼まれる。この浅野家の一件には、小百合の義両親の遺産問題が絡んでいる。昔、成海が小百合に言った「魔法の言葉」が、なんとも鮮やかな一話だ。
第四話「盗まれた原稿」の依頼人は、シナリオライター志望の永沢めぐみ。めぐみはシナリオスクールの仲間だと思っていた女性に脚本を盗作され、彼女がその作品でデビューを果たしたことで、復讐心に燃える。
序盤で美菜代が助手になったように、どの依頼にも、一筋縄ではいかない展開と結末が用意されている。私が原田さんを「商い小説」の「書き手」ではなく、「名手」と呼んだ理由が、ここにある。この数年で、「スカッと」の四文字を、主にインターネットでよく見かけるようになった。「スカッと」は胸が空く状態を表した言葉だが、復讐の枕詞のように使われることも多い。フィクション、ノンフィクションにかかわらず、特定の読後感を約束する「復讐もの」は、どうやら新たなジャンルとして確立されつつあるようだ。
しかし、復讐屋であるはずの成海慶介は、依頼の達成に向けて、直接的な行動をほとんど起こさない。貴美子と乙恵のときはなにもしようとせず、敬一郎の折にも、「復縁の件なんですけど」と小百合に意志を確認したのみ。めぐみに至っては、彼女に同情した美菜代ばかりが動いている。それもそのはず、成海の信条は「復讐するは我にあり」。意味を尋ねた美菜代に、成海は、「神様の言葉なんだ。復讐するのは自分だ、神である自分が復讐するんだからお前たち人間は復讐しなくていいんだよ、っていう意味」と答える。
復讐を商品にしながら、成海は「スカッと」を提供しない。そのことが、今作に奥行をもたらしている。そもそも復讐とはなんなのか。望みが達成されれば、依頼人は本当に報われるのか。いや、報いがないとしても晴らさずにいられないのが、恨みなのではないか。理屈と感情の折り合いがつかず、答えの見えないこれらの問いに、単純な報復を書かないことで、原田さんは迫っている。
もうひとつ、私が原田さんを「名手」だと思う理由は、イマジネーションとリアリティのバランス感覚にある。復讐屋という単語を目にしたとき、現実感を伴ったイメージをすぐさま思い浮かべられる人は、おそらく多くない。だが、原田さんは、そういった少し不思議な商いにも太い背骨をとおし、地に足をつけさせる。その手腕を、私は本筋とはやや離れた文章に見る。
例えば、美菜代がしょっちゅう食べているパン。安価でカロリーが高く、味は濃いが栄養価は低そうな市販のパンは、誰にとっても身近な食べものだ。このようなパンは、今作では「ゲスい」もの呼ばわりされ、特に匂いの描写が幾度もこまやかに書き込まれている。ここに、圧倒的な生活感がある。
お金にまつわる表現も印象的だ。美菜代には貯金がないとすぐさま見抜いた成海は、「ブランド品を買ったり、ホストクラブに行くタイプでもないが、株や副業で儲ける力量もない。貯金は都銀か良くてMMFに預けているだけ」と彼女のことを語る。実に鮮やかな分析だ。そんな美菜代も終盤で、男性にとっての妻は、「一生を捧げる相手、その存在を守るとたくさんの人の前で誓った相手、健康保険も年金も一緒で、墓も親戚も親も子も共有すると決め、法的に認められた相手」だと定義する。私は今まで配偶者のことを、健康保険と年金の観点から考えたことはなかった。このような生々しい文章が、読者の暮らす現実と、成海事務所のある世界を地続きに均していく。
そうして、美菜代と成海をすっかり近しく感じるようになったころ、物語は最終話である「神戸美菜代の復讐」を迎える。約七十年前に自分を捨てた男に復讐すべく、高齢の高遠まさが事務所を訪れるのと時を同じくして、美菜代は自分を捨てた陣内と再会。いよいよ復讐を果たそうと決意する。
「復讐するは我にあり」を掲げる成海のもとで、数々の依頼に応えてきた美菜代は、一体どんな行動を起こすのか。美菜代の恨みは見事晴らされるのか。また、ついに成海慶介の過去も明らかになる。
今作を読みながら、自分だったら誰に復讐するだろう、と一度でも考えた人は、きっとたくさんいるだろう。私は自分をわりと執念深い性格だと思っていたが、成海のもとを訪ねる人々の境遇と結末を知るうちに、適当な相手が思いつかなくなった。復讐心とは憎しみだ。憎しみを抱え続けるのには、相当なエネルギーが要る。成海に依頼するならば、大金も要る。私には精神力も体力も、金銭的な余裕もない(まだ住宅ローンが残っている)。三十四年前、小学生だった私を側溝に突き落としたクラスメイトがどうなれば心が満たされるのかも、もはや見当がつかない。とはいえ、復讐したい人間が思い浮かばないのは、幸福な人生の表れとも言えるだろう。
そんなふうに呑気に考えていたら、最終話の依頼人であるまさを通じ、本当に許せない相手について、新たな角度から掘り下げられていた。そうか、そういうこともあるのか。いや、あるよな、と思う。この心理はとてもよく理解できる。最後までつくづく一筋縄ではいかない物語だ。
原田さんはやはり、小説の名手だと思う。