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 花泥棒、

 を覚えておられますか。いっとき子どもたちの間で流行ったツールの俗称です。既存のフィルタリングシステムを踏み台に、「すみれ現象」で培われた技術を核として、任意の人物を「消去」できるものでした。これもまもなく規制されましたが、「すみれ現象」とは違って、そのフィルタリングが「上書き」ではなく「消去」だったことが大きな特徴で、そして危険でした。「消去」なので、その当該人物が透明になります。当該人物の姿形に隠れた風景は別のプログラムによって描写され、本当に、あたかも彼もしくは彼女が存在しないかのように、グラスは表示するわけです。実際にグラス上では見えないものですから、それに関係する事故も起こりました。

 花泥棒。

 ネーミング自体は悪くありませんよね。私はそう思います。花盗人は罪にはならぬ。言い訳じみているところも好きです。ダリアさんは、なにかを盗んだことがありますか。形あるものでも、ないものでも。私は一度、泥棒をしたことがあります。花ではありませんでしたが、バーベナの香水。スカーレット・オハラの母親がつけていたもの。それは私の母の化粧棚にいつもあって、その薄黄色の瓶は、幼い私には輝いて見えました。
 私はいつも体臭が気になっていて、でも、私の母はそれを認めてくれなくて、香水はおろか、制汗剤もつけさせてもらえませんでした。子どもには体に悪いからって。それは一面では真実なのでしょうが、多感な時期の女子としては、納得のしがたいものでした。
 盗んじゃえばいいのよ、と言ったのはクラスメイトの女の子で、名前はここではアオイさんとします。アオイさんと私は帰り道が一緒で、帰宅部なのも同じでした。母は店を経営していて私はその手伝いがあり、アオイさんはただただ人間が面倒だからだと答えていました。
「盗んじゃえばいいのよ」
 歳をとった私に、あの頃の声は出せませんが、そんな調子で、軽く、アオイさんは言いました。その頃にグラスがあれば、そう口にする彼女のステキな頬を、動画に収めたのに、と思います。もちろん、そんなものはありませんでしたから、私は私の記憶を信じて、こうしてお話をするわけです。
 母は日中は仕事をしてましたので、半ドンの日に彼女の部屋に入るのは容易でした。そのバーベナを、母は特別なときにつけました。外食をするとき、旅行に行くとき。年に何回もあるわけでもないので、瓶の中身はあまり変わりません。私はしげしげとそれを眺め、学校のバッグの中にしまいました。
 次の日、アオイさんにその香水を見せると、やったね、とにいっと笑って、ちょっとつけさせてよ、と言いました。私は、どうぞ、と快く彼女に瓶を差し出しました。アオイさんは手際よく、手首の内側に一滴たらして、それから首元にこすりつけました。どう? と彼女が訊ねるので、いい香り、と私が答えると、そこじゃわかんないでしょ、と、私の背中辺りを触って、ぐいっと引き寄せました。アオイさんの耳あたりに私の鼻先がきて、レモンみたい、と私は愚にもつかない返事をしました。アオイさんは、そうねえ、と鼻をひくつかせ、私から身を離し、私の顔をちょっと眺めたあと、返す、と瓶を戻しました。あ、と私は思い、だけど声はあげられず、アオイさんの表情を眺めました。いえ、顔は見られなかったので、首元です。バーベナがあるはずの、そこを、私は見ました。私とその間にできたほんの数ミリのずれを、私は見逃しませんでした。グラスがなくても、私は、正確に、眼前にある彼女とのその溝にも満たない距離を、測ることができました。それからも私はアオイさんと交流がありましたし、二人で旅行に行ったことさえありました。今でも、年賀状のやりとりぐらいはいたします。けれど、小さな小さなその溝は、間隙は、生涯埋まることはなかったように思います。
 ときどき、あのときバーベナの香水を盗まなければ、彼女との関係もまた変わっていたのではなかろうかと考えます。私は結婚もせず子どもも設けず、まったく違う人生を歩んだかもしれません。いえ、それは大げさですね。きっとそれは微細な変化で、傍から見れば変わったことすら気づかれないような、そんな些少なものであったはずです。でも、ときどき、私は、そう思うのです。しかし、教訓としては残りました。子どものころの幼く軽率な行動は人生に響く。それもあるでしょうが、私は、手に入れたいものを手に入れたとしても、必ずしも物事は望んだ結果にはならないかもしれない、ということだと思っています。母は香水がなくなっても、繰り言ひとつ述べませんでしたが、もしかすると、それは、私が陥る結果に気づいていたからなのでしょうか。ダリアさん。あなたには、そんな後悔はありませんか。あのとき、少しでも、自分に気がつくことがあるならば、そう思うような、記憶が。
 結局、私はそれから、その香水を一度もつけませんでした。

 花泥棒。

 初めはいたずらだったのでしょう。子どもたちは、誰かが違法にダウンロードしてきたパッチをシェアしてグラスにインストールして、特定の誰かを消す遊びを始めました。そこにいるのにいない。そうやって、わざとぶつかったり、あいつどこ行ったんだみたいなミエミエの芝居をしたりして、笑い合っていたわけです。それがいじめのようなものに発展したのはすぐでした。みんなで、同じ人間を、「消去」したのです。そして、その子がいるのに、目の前で、悪口を言ったり、無視をしたり、まるで、そこには初めから誰もいないかのように振る舞いました。グラスを外せばそこに確かに存在する人間を、声を出し、においをまとい、風を起こすその存在を、あたかも空気のように扱ったわけです。私はときどき、彼らが、本当に、そこに誰もいないのだと信じこんでいたのではないかと疑うときがあります。それほど彼らの行動は自然で、無垢で、残酷でした。先ほども申し上げた通り、視覚というものはこの社会において常に優位であり、そして物語の源なんです。

 ダリアさん。

 聞こえていますか。私の声が、届いていますか。

 ダリアさんのグラス、いえ、ダリアさんが修理に出したグラスに、そのようなフィルタリングのパッチはインストールされておりませんでした。しかし、システムには常にログが残りますので、基幹OSのアーカイブを探ると、花泥棒が活動していた痕跡がありました。とっくのとうに花泥棒は対策されましたから、いま残っていたとしても意味はないのですが、過去にあった、ということです。いずれにせよ、過去にこのグラスを使っていた人物は、花泥棒を使って、誰かを消去していたわけです。

 ダリアさん。

 リビングの棚に置いてある白いダリア、生き生きとしてきれいでした。キャッシュに残っておりました。お花がお好きなのでしょうか。でも、あなたの家のお庭はあまり手入れがされていませんね。ということは、あなたに近しい方がお花が好きで、育てているのでしょう。きっとその方は、お花を育てることが好きなのでしょうね。きれいな、自分がきれいだと思うような花を、生き生きと。
 写真立ても隣にありました。思い出のものなのでしょうか、少し色が褪せています。ご家族と一緒に、制服姿の女の子が写っていますね。でも、顔がありません。顔だけが透明になり、その後ろの木々が補正された画像として表示されています。グラスが、そのような処理を行っているからです。ダリアさん。あなたが困っているのはそれなんですね。どうして自分の子どものころの顔が見えなくなったのか。たいへん驚かれたことでしょう。正確な理由は私にはわかりかねます。私の環境ではそれを再現できなかったのですから。でも、私の環境で再現できなかったのに、あなたの環境でそうなるということには意味があると思います。初めの方でお伝えした通り、グラスは所有者の視覚情報を常に記録していますから、広告もあなたに最適化されたものを表示しますし、逆に、基本的なフィルタリングサービスもそれに準じます。見たくないものは見えなくなる。そういう性質がグラスにはあるのです。

 ダリアさん。

 私は、どうしてあなたがこのグラスの修理を依頼してきたのか考えたいと申し上げました。あなたの現在の生活状況は悪くないように見えますから、自分自身を忌避したいという発想は考えにくいです。でも、自分の高校時代のころの出来事で、思い出したくないものがあるのかもしれません。思い出したくないものは、意識的にしろ無意識的にしろ、人は避けてしまうものです。グラスは少しずつ、あなたのそのような行動を学習したのかもしれません。だから、あなたの子どものころの姿は見えなくなったのかもしれません。はい、バカげた空想です。そんなこと、万に一つ、億に一つもない、あまりにも無理筋な推測で、修理担当としての職業的な私は即座にそれを否定します。白亜紀に隕石が落ちてきたからあなたは交通事故に遭ったのだ、と言っているような、風と桶屋の関係の距離を極端に長くしたようなものです。だけど、私はそう思いたくなります。あなたは自分の犯した罪に知らず知らずのうちに苛まれ、そこから逃げ出したく、このような修理を依頼してきたのだと。あなたは懺悔し、許しを乞うているのだと。
 でも、私の心の一方は、そうではありません。きっとこの状況は、私の娘が引き起こしているものだと。これから一人ずつ、そうやって、あのころのクラスメイトを消して回っているのだと。私はそう思いたくもあります。あの幼い日、バーベナのにおいなどかがなければ、違う人生が待っていたと信じたくなるように。

 ダリアさん。

 私の娘が亡くなってからもうずいぶん経ちます。あなたももう立派な成人です。あなたが私から盗んだものは帰りませんが、あなたができることはあると、私は信じています。
〈ヘルメス〉カスタマーサポートセンターの、イガラシミキコが承りました。









 コツコツコツ。









 はい、これは足音です。この靴は、母からもらった唯一のものです。コツコツコツ。いい音でしょう。香水の代わりに、私はこれをもらいました。私も、母と同様、特別なときにだけ、身に着けるようにしています。あなたにも、そんな、特別なものがあるでしょうか。あるとよいなと、思います。

 最後にひとつだけ。

 いま、あなたがかけているグラスは、あなたのものではありません。それは、私の娘のものです。娘のグラスには、花泥棒がインストールされていました。あたりを見回してください。誰もいないでしょう。でも、それは、娘がそう設定したからです。同級生も、先生も、家族も、道行く見知らぬ人も、すべての人間を消去するように、設定したからです。娘にとって、もうこの世界は、それほどに、住みにくく、苦しいものだったのでしょう。そこは驚くほど静かな世界です。静かに、暗く、沈んでいます。花が、ひとつも、なくなってしまったのでしょう。誰かに、奪われて。

 コツコツコツ。

 ダリアさん。

 聞こえていますか?

 

(了)