ダリアさん。
まず、技術として、特定のなにかを、グラス上で不可視化することは可能です。一般的にフィルタリングと呼ばれているものです。グラスにはディスプレイやセンサーが組み込まれ、視界にデジタル情報を重ねて表示できますが、企業が血眼になって街中に設置している広告の数々も一緒に表示されます。グラスが普及するにつれて、この広告が道端に溢れた状況も問題視されていったのも事実です。弊社のような中規模企業においても、広告の収入源は大切でありますし、他の会社においてもそうでしょう。しかし、それがユーザーのエクスペリエンスを阻害する一因になる、とも考えられています。また、意図しない広告やあるいは他のユーザーの設置した画像は、危険な挙動を招きます。そのため、現在は基本的なフィルタリングサービスは、すべてのデバイスに使用されるようルールが決められております。
あ、ごめんなさい、つい笑ってしまいました。弊社の記事をそのまま読んでいたものですから、なんだか大げさな言葉だなと思って、可笑しくなってしまったんです。
話を戻しましょう。
議論が進むきっかけになったのが、いわゆる「不適切」な広告についてです。誰かの裸であったり、煽情的な画像だったり、あるいは競馬や競艇などといった賭け事に関するものなど。それが青少年の目に触れるのは望ましくないだろう、ということで、そういった対象の広告を未成年のユーザーには表示させないようにする義務が広告を提供する会社には生じ、同様に、我々のようなグラスを作製する会社も、そういった類の広告を自動的に排除できるよう配慮することが義務付けられました。この規制はあっという間に広がりました。フィルタリングは進歩を続けていて、グラスが記録する視覚情報をもとに、より最適化した広告の表示や排除を含む相応しい挙動を実行できるようになりました。要するに、自分に合っていない広告はそもそも表示されなくなってきた、ということです。
すみれ現象、
という言葉を覚えておいででしょうか。少し昔の話ですし、こういった分野に興味のない方には聞きなじみがないものかもしれません。すみれ、という、アダルトな、平たく言うとエッチな動画に出るような女性がいらっしゃいました。黒髪ロングの、やや幼い顔立ちで、そこそこ人気のあった方だとうかがっています。あるセキュリティ会社が導入したフィルタリングソフトがあるのですが、これがちょっと特殊で、自動生成の解析型によるものとして、商品そのものというよりも、商品のもつ属性について自律的に排除をしていく、というタイプのものでした。簡単に言うと、「すみれ」さんを相応しくない画像として認識したソフトウェアが、黒髪ロングで、やや幼いアジア系の顔立ちをした人物にはすべて規制をかけてしまったのです。つまり、広告だけでなく、実際に存在している人間まで、グラス上で排除されたのです。
処理の方法自体はお粗末で、上からきれいな花の画像をかぶせる、というだけのものでしたから、町ゆく黒髪ロングの女性は、すべて出来の悪いコラージュのように花の画像を張りつかせて歩くことになりました。これがネット上で拡散し、問題というより、お祭りのようになりました。花の画像はランダムでしたが、彼女の芸名もあいまって、「すみれ」の花の写真が町の中に乱立されたのです。もちろん、未成年の所有する、グラス上の出来事ではございますが。
ダリアさんのグラスに、「すみれ現象」を引き起こしたようなフィルタリングソフトが入っているのかと当初は考えたのですが、それはありませんでした。ダリアさんは未成年ではないように思われますが、成人も未成年用のフィルタリングを導入することは可能ですし、あまり大きな声では言えませんが、未成年専用のフィルタリング機能をオフにすることもできはします。つまり、あなたのグラスには特段、なにかの事象を除去したり不可視化したりするような機能は、特別なものは入っていなかった、ということになります。これは非常に不可解であり、不自然です。あなたがグラス上で認識することができないという、その「女の子」は、本当に存在するのでしょうか。
コツコツコツ。
すみません。ずっとしゃべり続けていたので、少し休憩していました。タイムバーがあるので、ここで終わりではないことはご理解いただけると思うのですが、大丈夫でしょうか。私は外のベンチに座りながら、レコーダーに向かってぺらぺらとしゃべり続けています。今は少し、休みがてら、歩いていました。コツコツ、と足音が聞こえたならば、きっとその音です。今日の靴はヒールが高めなので。ここは滅多に人が来ませんし、なにより静かです。風は少しは吹きますが、とても穏やかな日で、遊具のひとつでもあれば、子どもたちの声で賑やかになったことでしょう。でも、ここにはなにもないし、私もひとりです。ひとりでしゃべるというのは奇妙なことですが、でも、しゃべるという行為は本当は孤独なものなのではないかと私は思っています。なぜなら、私たちは相手の心の中が読めませんし、相手が私の言葉をどう理解したかわからないまま、たぶん、おそらく、こうであろうという推測のもと、語り続けているからです。ロシアの言語学者であるバフチンはその分かり合えなさをダイアローグで解決していこうとしましたが、私は、彼が権威主義的と批判したモノローグを深めていくことにこそ、意味があるのではないかと考えています。私の声は、聞こえておりますでしょうか。CQ、CQ……。昔、深海の潜水艦の中で、つながらない無線にそうやって永遠にコールし続ける映画があって、あれは孤独で絶望でしょうが、でも、そんなふうに宙に向かって語り続けていくことが、現代の我々にとっては大切なことなのではないか、そんな風に思うのです。
重金属超集積植物、
というのをご存知ですか。重金属を、超、集積――集める、植物、と書きます。ハイパーアキュミレーター、の訳語です。コバルトや鉛などのいわゆる重金属が、高濃度に土壌に含まれている場合、基本的には植物は育たないのですが、それを自らにとりこんで成長をするものがいるのです。五百種あると言われるそれは、重金属に耐性を持つことで、他の植物との生き残り戦略で有利になるのだそうです。有名なところではヒマワリですね。鉱山なんかによく生えているのは、土壌の回復を目指すためでしょう。
なぜこんなトリビアを話しているのかというと、どんなに悪く害があったとしても、それを利用するものがいるというわけです。利用するものそれ自体は、社会通念上は悪や善と言ったカテゴリに分類されるかもしれませんが、彼らはそのときどきにあったものを、環境に応じて使用しているだけなので、そこに深い意味はありません。そちらに意味を見出すのは人間の方です。「すみれ現象」もそうです。この現象はいくつかの論争を引き起こしましたが、それを利用し始めた人は、ただそこに便利なものがあったから、あるいはそれが自分のなにかの役に立ちそうだったから、それ以外の理由はないのだと思います。そこに山があるから登るように、ボタンがあるから押すように、他人の傘でも雨に濡れるのが嫌だからと盗むように。
ダリアさん。
私は、どうしてあなたが今回、このグラスの修理を依頼してきたのか、その理由を考えてみることにしました。先ほども申し上げました通り、この修理窓口には、お客様の情報は最低限のものしか提供されません。そして、通常であればそれでじゅうぶんなんです。故障現象を知る、トライアルアンドエラーを繰り返し原因を探す、おおよその原因を突き止める、それによる故障を修理する。そこに個人は介在しませんし、させる必要がありません。朝食にはパンを食べるかどうかだとか、リベラルだとか保守だとか、結婚しているのか、子どもはいるのか、そういったことは、修理には関係がありません。修理はあくまで、その対象と担当との間のダイアローグであり、そして、現象的にはモノローグだからです。
とはいえ、鼻筋だなんだと言いながら、私はダリアさんのことが知りたくなりました。ダリアさんがどうしてこのグラスを修理したいのか、どうしてこの再現不可能な現象を申し立ててきたのか、その理由を考えていきたいと思うのです。それが今回の故障についての解決になるのではないでしょうか。お聞きになりたい場合は番号の1を、お聞きになりたくない場合は9を押してください……いえ、これは冗談です。でも、こうして私が、書面ではなく、おしゃべりをしてお返事をしている理由のひとつであります。
ダリアさん、
というお名前の話をしたときに、キャッシュのことも伝えました。デバイスには簡易的な保存領域が存在し、そこにいくつかグラスが撮影した動画が残っていたと。グラスは周囲の環境をスキャンし、それをもとに情報を提供しますから、常時外界の映像をとりいれ更新している状態になります。
私はあまり残留農薬のことは気にならないタイプなのですが、ダリアさんはお気にするようですね。特売のレモンを棚からとるときに、それがアメリカ産で防カビ剤が使われているという表示を見ると、元に戻していましたね。ほんの数秒の動画のキャッシュですが、私はダリアさんが健康を気にされるタイプなのかなという想像ができました。もしくは、あなたが母親であるならば、子どものために、その将来に遺恨を残さないように今のうちから配慮をしている計画的な保護者であると。すばらしいことです。
『まあ青白い火が燃えてますわ。まあ地面も海も。けど熱くないわ。』
『こゝは空ですよ。これは星の中の霧の火ですよ。僕たちのねがひが叶つたんです。あゝ、さんたまりや。』
『あゝ。』
『地球は遠いですね。』
『えゝ。』
これは宮沢賢治の「シグナルとシグナレス」です。このページを追うダリアさんの映像が残っていました。あなたは「さんたまりや」の語の意味を調べていて「イエス‐キリストの母であるマリアの尊称。聖母マリア」という辞書のテキストもオーバーレイで表示されていました。調べてみたらちくま文庫の全集のもので、もしかしておうちに全巻揃っているのではないか、と私は想像いたしました。なかなか文学的なご家庭であるなと思います。知的教養もあり、社会的な余裕もあるのではないでしょうか。金銭に余裕のない人は、残留農薬よりも値段の方を気にしますしね。
お酒もお好きなのでしょうか。ご家族とご歓談される映像では、きれいなクリスタルのワイングラスと、年代物のボトルがありましたね。ワイングラスに、ちらりとダリアさんの顔が映っていたのですが、とても楽しそうで、うらやましく思いました。
少し怖くなってきましたか。そうだとすれば残念です。私は、ダリアさんを怖がらせることが目的ではありませんので。
つまり、視覚情報というのは、目の前にある現象としての意義だけではなく、そこからその人なりのバックグラウンドであったり、物語を想像したりすることができるというわけです。視覚優位のこの社会において、多くのストーリーは、現前にあるなにかを描写することに終始されております。これはある意味では当たり前であり、別の側面からは不健康であるともいえます。
(引用文献)「シグナルとシグナレス」『宮沢賢治全集8』所収 宮沢賢治 ちくま文庫
(つづく)