「例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるのでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君はもう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです」
私はよく花の名前を知っています。道を歩いているとき、道路端に咲いているその名前を、頭の中で思い浮かべます。これは人生を楽しむうえで必要なことのひとつです。花はどこにでもありますし、花の名前をいちいちと同定することは、私ひとりの中で完結できることですから。私に植物のひとつひとつを教えてくれたのは母ですが、そういう癖をつけてくれたことには感謝しています。最初に話したのは、小林秀雄の引用ですが、花を楽しむとき、彼のその言葉も思い出します。
会社に行く駅までの通り道に、一軒、とてもたくさんの花を育てておられるお宅がありました。家自体も大きいですが、玄関先にはその季節にあった花がたくさん植えられていて、私以外の人も、ときどきは立ち止まって眺めるほど、すてきなものでした。花屋敷、と私はひそかに呼んでおりました。今の季節ですと、ネモフィラやインパチェンス、フリージアなどが咲いているはずでした。
そうです、その花はもうありません。その家の持ち主は花を育てることをやめたからです。どうしてやめたのか、私は正確な理由を知りません。その家主と面識もないですし、向こうは私のことなど知らないでしょう。引っ越したわけでもなく、表札も家もそのまま残っていますが、玄関先の花はすべてなくなり、やけに広い空間が寒々とあるだけです。
その冬の日に、花屋敷のポストのあたりに、張り紙が現れました。「どうぞご自由にお持ちください」。なにを、という言葉はなかったのですが、それは明らかに花を指していました。高低や色味を考えて配置された花の植木鉢は、そのときにはもう効率的に地面に並べ替えられていて、手にとりやすいようになっていました。会社へ行く途中だった私は、しばらくその張り紙を眺め、パンジーやビオラを眺め、そして去りました。帰りにもう一度通ると、張り紙はまだありましたし、花もそのままで、減っている様子は見られませんでした。次の日も、次の日も、そうでした。
休みの日、私は花屋敷まで来ました。休日は駅を利用しませんし、買い物やいつもの散歩コースからも外れるので、それは、わざわざ、でした。わざわざ、花屋敷に来たのは初めてでした。相変わらず張り紙はあり、花はありました。手入れは怠っていないのか、色は瑞々しく、葉に水滴がまだついています。私は、まだ見たことのない花屋敷の主人が、じょうろを片手に水をやる様子を想像しました。この花を管理している主たる人物が女性なのか男性なのか、それも私は知りません。でも、その想像は容易にできる、そう思いました。
私はアネモネの鉢を手にとりました。特にこれと決めたわけではありません。真っ赤な花びらの色は深く、強いていえばそれに惹かれたのでしょうか。私はそれを抱え、そのまま家に帰りました。
翌日から、花屋敷の花の鉢は少しずつ減っていきました。まるで、私がその合図を鳴らしたようでした。ピーッと、甲高い笛の音で。減る速度はだんだん速くなり、少しでも美しく、見栄えのよさそうな鉢からなくなっていきました。最後まで残った、いっとう背の高いオリーブの木が持ち去られるまで、それは続き、そして、花屋敷から花はなくなりました。
私は、アネモネの鉢を窓辺に飾ると、そのままにしました。そのままです。土は乾き、花の色はくすみ、花弁は落ち、葉も腐り始めました。それでも私はその花をそのまま、朽ちていくのに任せました。今もまだ、私の家の窓辺には、その枯れ切った植木鉢が残っています。
えー、聞こえますでしょうか。
聞こえている、ということは、あなたは私のデータを開いてくれた、ということですね。ありがとうございます。と共に、そのような不審なファイルを無自覚に開いてしまうのだとすれば、あなたのセキュリティ意識にはやや問題があります。
あ、切らないでくださいね。最初に大事な話をしますから。
私は、〈ヘルメス〉カスタマーサポートのイガラシミキコと申します。この度は弊社の製品をご使用いただきまことにありがとうございます。合わせて、ご不便をおかけして大変申し訳ありませんでした。
結論から申し上げます。
お客様が申し立てられました「特定対象がグラス上で認識されない」という事象については再現することができませんでした。よって、今回の修理についてはお引き受けできず、また、今回の検証の際にかかった費用及び送料についてはお客様の負担になりますこと、ご了承ください。当社といたしましては、ファクトリーリセットを一度お試しいただくことを推奨いたします。
いま、怒っていませんでしたか。怒ってないといいのですけれど。
私としても心苦しい気持ちはございます。お客様の申し立てられた事象については、確かに不具合かと存じます。「特定対象」については、女の子、という情報のみが降りてきております。その方とどのような関係かはわからないのですが、グラスを身に着ける人がほとんどという社会において、特定の誰かが見えなくなる、というのは確かに不具合でしょう。しかしそれは、私のような民間企業の修理担当には手に余るものでした。警察なり病院なり、公的な機関にご相談されることをまずはおすすめいたします。
では、この音声はなんなのか。
そのように疑問に思われることは当然です。今申し上げたことは、本来であれば書面やテキストでお送りしてハイオシマイにしてしまうのがほとんどです。というより、それがルールです。このように、グラスにわざわざ音声データを残すようなやり方をするカスタマーサポートはおりません。公的にも私的にも、我が社にはいないと信じております。ですので、これは私、イガラシミキコのまったく個人的な行動です。法的にセーフかセーフでないかと言われれば、アウトです。まごうことなきアウトです、アウトは二回まで許されますが、これは一発退場なので、どちらかというとレッドカードですね。
そのため、この先の私の話をお聞きになるかどうかは、お客様のご判断にお任せいたします。今すぐ再生を止めて、しかるべきところにご相談いただければ、あなたのこの音声データについての不愉快は解消されますし、私は失職し、場合によってはそれなりの刑罰を受けることになります。
それでは、少々待ちます。
……そうです、風の音です。私は今、外にいますので、それがマイクに入ったのでしょう。ご安心ください。外といっても私以外誰もおりませんし、ダリアさんのことをこれからしゃべったとしても、聞かれる心配はございません。
ダリアさん、
という名前に聞き覚えはあるでしょうか。ないと思います。カスタマーサポートの修理担当には、お客様の個人情報は提供されません。なぜかおわかりでしょうか。私どもはあくまでグラスの故障原因を究明し、それを修理し、なるべく元の状態に近づけて戻すというのが使命です。そのため、このグラスの持ち主はどんな職業の人間なのか、なにを好むのか、なにを嫌うのか、どういった家族構成か、母親は健在か、彼女の趣味はなにか。そういった情報は、不必要というだけでなく、作業のノイズになります。グラスのディスプレイ部の設置不良を直しているときに、持ち主のステキな鼻筋について思いをめぐらせるのは甚だ不穏当ですから。そのため、私はあなたのお名前も、性格も、猫が好きか犬が好きかも、なにもかもを存じ上げません。
ダリアさん、
というのは、私が便宜上あなたにつけたお名前です。グラス上に記録される映像については、すべて弊社の機密性の高いクラウド領域に保存されるため、本来は私どもが見ることはありません。しかし、何事も抜け道というものはあるもので、グラスの筺体にはグラフィック描写のための、一時的な保存領域が存在し、修理部門の方にあなたのグラスが送られてきたときも、そこにはキャッシュがいくばくか残っておりました。基本的には前のデータはそのデータ量に応じて上書きされるので、残存するデータは歯抜けのようになり、安定もしていません。通常であれば使用しませんが、あなたの申し立てがとても奇妙で、そして私自身がそれにとても興味をもったために、いくつかのデータを拝見しました。その中の映像のひとつに、白い、ダリアの花があったのです。
ご不快になられたら申し訳ありません。が、これは私ども修理部門のもつ権限のひとつです。あなたは修理を依頼する際、その文言が書かれた書類にサインをしているはずです。ご記憶にないようであれば、あなたはやはり、情報リテラシー的に、少々不安な部分があるようです。
ダリアさん。
これから、私はあなたのことをそうお呼びいたします。「あなた」という呼びかけは、多少親密に過ぎる気がいたしますし、特定の誰かというより、定義ですとか、現象ですとか、そういった不定形ななにかのことを指すようで、私にとってはいささか座り心地が悪いためです。あなたをあなたでない名前で呼びかけることは本当に気分の悪いことだとは思いますが、これはやはり私の個人的な話でもございますので、ご容赦いただけるとありがたいです。もし、あなたの名前が、幾万の偶然を経た上で本当に「ダリア」なのであれば、その運命を私たちはささやかに祝することもできるでしょう。
(引用文献)「美を求める心」『考えるヒント3』所収 小林秀雄 文春文庫
(つづく)