2023年11月24日に急逝した「最後の無頼派作家」伊集院静さん。病床での最後の仕事となった作品が刊行されました。伊集院氏が若い頃から今に至るまで、贔屓にした飲食店を紹介するエッセイ集がそれです。文庫化にあたり新たに加筆、修正を施し、今も営業している72店舗のリストも掲載した本作。

「小説推理」2020年11月号に掲載された書評家・細谷正充さんのレビューを一部改稿した上で『作家の贅沢すぎる時間』の読みどころをご紹介します。

 

 

 

■『作家の贅沢すぎる時間』伊集院静  /細谷正充 [評]

 

そこには忘れがたい料理があり、忘れられない人がいた。横浜で働いていた頃から現在に至るまで、伊集院静が出会った名店を紹介した、贅沢エッセイ集

 

 伊集院静の訃報に接したとき、大きな喪失感を覚えた。新たな作品がもう読めないという悲しみだけでなく、きちんと大人の背中を見せてくれる人が失われたことが、たまらなく淋しく思えたのである。ただし嘆いたところで、どうにもならぬこと。私たちにできるのは、膨大な作品をあらためて振り返ることである。

 以下の文章は、2020年9月に刊行されたエッセイ集の書評である。横浜で働いていた若い頃から、現在に至るまで、さまざまな場所で出会った食の店を紹介している。未読の人だけでなく既読の人も、再び本書を手に取って、作者を思い出す縁としてほしい。

 さて、食の店を紹介と書いたが、料理の味について触れることはない。これは作者のポリシーである。その代わり、その店を訪れることになった経緯や、店の人々について筆が費やされている。たとえば冒頭で描かれている、青森の鮨屋『天ふじ』。競輪の旅打ち(ギャンブルをしながら旅をすること)をしていたとき、5日目でおけらになり、決勝戦を打つタマが尽きる。そして、毎日立ち寄っていた『天ふじ』で酒を飲み過ぎた作者は、店の奥座敷で寝入ってしまう。夜明け間近に目を覚ますと、枕元に店主がかき集めたらしい金の入った封筒があった……。

 金を握って決勝戦に向かった作者がどうなったかは、読んでのお楽しみ。まるで作者の短篇小説を味わったかのような満足感を得た。

 こんな話が、どんどん出てくるのだから堪らない。しかも時間を行きつ戻りつする思い出を追いかけているうち作者の人生が見えてくる。ファンにとっては、実に嬉しい一冊なのである。

 さらに、「伊集院さん、京都の町屋の人はどうして皆、あんなに長い間、商いを続けられたのでしょう?」と聞かれ、徹底した個人主義に基づく合理主義であり、近代以降のフランス人と似ていると答える。そして“ひとつの象徴として、パリを中心としたフランス料理と、京都を中心とした京料理が完成したのである"と思うのだ。こうした作者独自の知見を得られるのも、本書のいいところだ。

 なお本書は2章構成になっていて、第2章になると食の店から離れたエッセイとなる。それでも文章のテイストは変わらない。ヨーロッパのルーレット体験を通じて博奕勘について述べた「ヤマにむかう予感」と、その次にある新人作家の小説から見えてくるものについて触れた「小説を書く前に」は、扱っている題材がまったく違う。しかし作者が書くと、共通する要素が感じられるのだ。ここから伊集院静の人生の姿勢が伝わってくるのである。

 その他、多数のイラストが収録されているし、巻末には「掲載店リスト」も掲載されている。贅沢なエッセイに相応しい、贅沢な本になっているのだ。