『三千円の使いかた』が大ベストセラーとなった原田ひ香さんの最新文庫『まずはこれ食べて』が早くも10万部を突破するヒットを記録している。
本作の舞台は若者たちが立ち上げたベンチャー企業。社員達の食事はおろそかになり、殺伐とした雰囲気になっている。社長は環境改善のため会社で家政婦を雇うことに。やってきた家政婦の筧みのりは、無愛想だが完璧に家事をこなし、心がほっとするご飯を作ってくれる──。
そんな「オフィス飯小説」に興味を示したのが『365日のめざましスープ』(SBクリエイティブ)などのレシピ本で知られるスープ作家の有賀薫さん。実はお互いの読者だというお二人に、「小説」と「料理」に通ずる真理を語っていただいた。
取材・文=田幸和歌子 撮影=三橋優美子
映像化をイメージすると、家政婦・筧さんは片桐はいりさんかな
有賀薫(以下=有賀):『まずはこれ食べて』は、お料理が良い感じにトリックや謎を隠していますよね。料理描写がなかったらもっと疑いながら読んでいたと思いますが、「料理と人」というこぢんまりした世界にちょっとほっとして、油断してしまいました。自分の中に引っかかりは確かにあったはずなのに、美味しそうな料理に安心してしまって、ついつい気持ち良く読んでしまう(笑)。
原田ひ香(以下=原田):ありがとうございます(笑)。
有賀:最後まで読んでから、もう1回頭から読むと見え方も違う。2度美味しいタイプの小説でもあるなと思いました。それに、登場人物が皆いわゆる普通の人で、ものすごくリアルでした。小説を書かれるときは普段、どなたかイメージすることがあるんですか?
原田:私はあまり映像化などを具体的にイメージしないで書くんですが、登場人物の中の家政婦・筧さんは、片桐はいりさんかなと。先日たまたまお会いしたからということもあるかもしれないのですが。片桐さんに「変な女の役がなかなかない、もっと面白い変な女の役を書いてください」と言われて、なるほどなと思ったんですよ。
有賀:片桐さんは私もすごく好きな役者さんですけど、私が読んでイメージしたのは、例えば、小林聡美さんとか。どこにいてもすっと溶け込む、あまり目立たない感じの人なのかなと。原田先生が書かれる人物は、多面的でリアリティがあるので、いろいろ想像がふくらみますよね。それに、これだけたくさんの登場人物がいると、同じ人物でも他の誰かから見たら違う面が見えてくる、ということもあるし。
原田:本筋の物語の外側にも、もう一つ違う物語が流れているみたいなことをやってみたくて、この作品を書いたところもあるんです。
有賀:この小説に出てくる「ほうれん草スープ」はすごく美味しそうでした。
原田:実は有賀先生のスープも意識したんですよ。
有賀:家政婦・筧さんの作る料理は、基本的に家庭料理で、相手の顔色とかコンディションを見ながら作っているところが、私のスープにも通じるのかもしれません。レシピとしてもシンプルで、みんなが知っている味、安心して食べられる料理なのかな、と。筧さんのお料理はどれもすごく美味しそうで、私も何か作ってほしいなと思いました(笑)。実際に原田先生が作られているレシピなんですか?
原田:最初に出てくる焼リンゴは、軽井沢で鉄板洋食を出す店に行ったことがあって。目の前でシェフがデザートとして焼いてくれるんですが、アップルパイ等でよく使う紅玉ではない、普通のリンゴを使っているのが印象的でした。自分の家でもやってみたら、時間はかかるけど、じわっと美味しいんです。
有賀:この作品だけではなく、原田先生の小説は登場人物との距離のとり方が絶妙で、淡々と描かれているんですよね。あまり感情移入しすぎないでいられるところが、私好みというか。小説では多くの場合、主人公などに肩入れしてしまうことが多いけれど、この作品はオムニバス形式なのもあって、一直線に進むストーリーだと気づかないようなことがたくさん見えてきますよね。
原田:ありがとうございます。家庭料理と共通点を感じることもありますか?
有賀:そうですね。家庭料理でも、皆さんがよく正解を求めるんですよ。夫婦の家事シェアにしても、奥さんとしては正解があるから、「どうしてこういう風にやってくれないの?」と不満を持つけど、相手側からしたら違う視点がある。なので、小説の中で同様のすれ違いに接すると、とても腑に落ちます。
原田:SNSでも、お料理にまつわる些細なことで炎上している例がありますよね。男女間のことや材料のこととか。本来はお料理なんていちばん平和な話だと思うのに。ただ、最も身近なことだからこそ、許せないということもあるのでしょうね。有賀先生のスープレシピもたくさんの方がご覧になっているだけに、唯一の正解を求められて大変なことがありそうです。
有賀:そうですね。私は「正解はありません」と言うしかなくて。だから、私のスープでは自分なりのストーリーの見つけ方みたいなものを何かしら提示できたらと思っているんです。例えば、『スープ・レッスン』(プレジデント社)は出汁も使わず、「最小限の野菜と塩、あとはオリーブオイルだけ」みたいな、めちゃくちゃシンプルなレシピで作っているんですね。それを物足りないと感じる方もいるはずなので、基本の美味しさだけは担保しておいて、あとはそれぞれの好みで調味料を加えてもらって。自分で決めた方が楽しいし、そういうところが料理を作る喜びにつながってくると思うんです。
原田:全部正解を決めてしまわないというのは、私の小説とも重なりますね。この作品も、全部のプロットと料理を予め決めてから書いたわけではないんです。まずは登場人物を見て、例えば全然料理をやったことがないというキャラクターだったら、そういう人が作れるもので物語のシチュエーションに合うのは何だろうかと考えながら書きました。予めきっちり決めておかないほうが、自分自身が楽しいということはありますね。
【あらすじ】
超多忙な日々を送っているベンチャー企業の社員たち。不規則な生活で食事はおろそかになり、社内も散らかり放題で殺伐とした雰囲気だ。そんな状況を改善しようと、社長は会社に家政婦を雇うことに。やってきた家政婦の筧みのりは無愛想だったが、彼女の作る料理は、いつしか、ささくれだった社員たちの心を優しくほぐしていく──。
人生の酸いも甘いも、人間関係の苦みも旨味もとことん味わえる、滋味溢れる連作短編集。
原田ひ香(はらだ・ひか)プロフィール
1970年、神奈川県生まれ。2005年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞、07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。著書に『母親ウエスタン』『復讐屋成海慶介の事件簿』『ラジオ・ガガガ』『三千円の使いかた』『口福のレシピ』『一橋桐子(76)の犯罪日記』、「ランチ酒」「三人屋」シリーズなどがある。
有賀薫(ありが・かおる)プロフィール
スープ作家。2011年から8年間、約3000日にわたって、朝のスープ作りを日々更新。レシピ、コラム、イベントを通じて、おいしさに最短距離で届くシンプルな食べ方や料理の考え方を発信。