ハロプロでもAKBグループでもない「第三極」が頭角を現していき、“アイドル戦国時代”の様相を見せた2010年代。芸能界の力学から離れ、ステージの魅力だけで“天下”がとれると、誰もが夢想した幸せで過酷な時代を生きて、現在はグループアイドルを卒業した女性たちにあの頃と今を聞く。ブームを走り切った元・グループアイドルと、彼女たちに伴走したフリーライターの証言。あの時、彼ら彼女たちは何を夢見たのか。

 アイドルカルチャーほかポピュラー文化を中心にライティング・批評を手がける香月孝史さんのレビューで『私がグループアイドルだった時 僕の取材ノート2010-2020』の読みどころをご紹介します。

 

かつてアイドルコンサートを数多く開催した中野サンプラザ。
閉館前の貴重な楽屋写真がカバーとなっている

 

■『私がグループアイドルだった時 僕の取材ノート2010-2020』大貫真之介  /香月孝史[評]

 

アイドルシーンの移ろいや出版業界の変化、アイドルの言葉を伝達する立場ゆえの迷いまでが記された、「アイドルを伝えること」をめぐる資料でもある。

 

 2010年代に入る頃、AKB48のブレイクに導かれるようにして多くの女性アイドルグループの動きが活性化し、アイドルブームという言葉がしばしば喧伝された。表現するスタイルや規模の大小、活動拠点もさまざまな数多のグループが、「アイドル」というフォーマットに自らの可能性を投じてゆき、それらの混淆が一大ムーブメントになった時代だった。

 その2010年代にアイドルグループの一員として過ごしてきた人物たちへのインタビューを重ね、当事者自身の言葉によってアイドルシーンの諸相を記録したのが、大貫真之介『私がグループアイドルだった時 僕の取材ノート2010-2020』(双葉社)だ。

 本書は、ジャンル内の立ち位置やアイドルという職業へのスタンスをそれぞれ異にしながらも、間違いなく同時代のシーンに居合わせた者たちの証言を引き出すインタビュー集であり、同時にアイドルを扱うメディアで活躍してきたライターの視点を通じた、シーンの移ろいや出版業界の変化、あるいはアイドルの言葉を伝達する立場ゆえの迷いまでが記された、「アイドルを伝えること」をめぐる資料でもある。

 サブタイトルが示唆するように、本書がフォーカスする時期はおおよそ2010年代いっぱいだが、アイドルシーンの趨勢をみるとき、この約10年間を一色で捉えることはできない。2010年代はじめ頃の混沌とした勢いはすでに2010年代後半には趣きを変えていたし、マスメディアでは後年まで繰り返し用いられた“アイドル戦国時代”という惹句も浸透し始めて、数年後には、多くのファンにとって鮮度を保ったフレーズではなくなっていた。

 例えば、2010年代半ばまでをアイドルとして過ごし、2010年代後半以降は振付師としてアイドルに関わる槙田紗子(元PASSPO☆)が、自身のアイドル期と本書のインタビュー収録時点(2018年)との環境の違いを語った率直な一節からは、幾年かの間にアイドルをとりまく空気が変化していったことがうかがえる。そして、それゆえに槙田は現在の己の職能をもってアイドルたちに対し何ができるかを語り、未来形のビジョンまでを提示してみせる。

 短いスパンで遷移していく時代の空気は、ほんの少し時が流れただけで顧みることがきわめて難しくなる。本書に収められたインタビュー群は、近過去から現在へと連なり、刻々と移ろってきたアイドルシーンの変化をこまやかに記録するものだ(だからこそ、ページをめくるたびに今読んでいるインタビューの取材日を視覚的に意識させる、本書のページレイアウトは重要である)。

 あるいは、「TOKYO IDOL FESTIVAL」(TIF)が毎年恒例のフェスへ成長するうえで大きな役割を担ったグループであるアイドリング!!!の元リーダー・遠藤舞もまた、アイドルというジャンルをとりまく慣習あるいは難点までも自分ごととして語りつつ、ボイストレーナーとして活動する現在の立場から、今日のアイドルにまなざしを向ける。彼女がインタビューの末尾で示すのは、未来の「元アイドル」たちのための場所をいかに作っていけるかという夢である。

『私がグループアイドルだった時』に登場する語り手たちは、アイドル期の活動スタンスも現在の志向性もまちまちである。しかし大事なのは、これらのインタビューがいずれも現在形の人生を捉えることに帰着している点だ。「あの人は今」的な注目では決してない。人生のある一時期をアイドルとして過ごした人々が、その先に地続きの生を歩んでいる。そんな当たり前の尊さにふれるために本書はある。

 

(後編)に続きます