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「医療ミステリーなどで絶大な人気を誇る知念実希人さんが初めて手がけた本格ホラー長編『ヨモツイクサ』。地元住民から禁忌の地として避けられている北海道の大森林。その奥に潜む“何か”の恐怖を描いた作品です。先端の生物学知識を盛りこんだ知念版バイオホラーはどのように生まれたのか。もともとホラーが大好き、という知念さんインタビューの後編をお届けします。

取材・文=朝宮運河 撮影=種子貴之

 

■人間はもともと危険な環境で生きてきた生物だから、怖い目に遭うと本能的な興奮を覚える。

 

——動物パニックホラー風に幕を開ける第一章、森を寝間着でさまよっていた少女・紗枝が登場し、さらに謎が深まる第二章を経て、第三章では森に潜む怪物=ヨモツイクサがついに姿を現します。ここで物語もぐんと加速し、アクションシーンが増えてきますね。

 

知念:第二章までは「何が起こっているのか」という謎で引っ張っていますが、答えが分かったらまたギアを変えないといけません。第三章は姿を現した敵とのバトルが中心。ホラー映画でたとえるなら、暗くて不気味な『エイリアン』からアクション主体の『エイリアン2』に変わったような感じです。ただ派手なアクションを描いているように見えて、実はこのパートは謎解きにもなっているんですよ。茜の家族はどうなったのか、地元に伝わる昔話は何を伝えていたのか。第二章までに提示されていたいくつもの謎を、ストーリーを展開させながら解説している。やっぱり構成としてはミステリーなんです。

 

——それにしても恐ろしいのは森の中の描写です。幽霊や殺人鬼を扱ったホラーにはない、バイオホラーならではの地獄絵図、という印象を受けました。

 

知念:ホラーを怖いと感じるのは、それが自分の身に降りかかるかもしれないからです。バイオホラーは読者と距離が生じがちなので、身近に感じられる工夫が大切。ヨモツイクサのデザインもできるだけ不気味なものを考えましたが、まったくありえない姿ではないと思います。現実から半歩踏み出したところにある恐怖、という感じですね。

 

——家族の行方を追う茜、辛い過去を抱えた鍛冶、そして茜の姉の婚約者だった刑事・小此木。命懸けの戦いの中で浮かび上がる、三者三様の生き方もそれぞれ印象的です。

 

知念:主要キャラクターすべてに人生があり、それぞれの考えに基づいて行動しています。そういう描き方をしないと、ストーリーの駒でしかなくなります。そんな人物は生きようが死のうが、心が動きませんよね。たとえば鍛冶はヒグマを狩ることに執念を燃やしていますが、それは愛情の裏返しでもある。そういう描写があって初めて、読者は物語に没頭できるのだと思います。

 

——だからこそ三章のクライマックスには衝撃を受けました。まさかこんな残酷で恐ろしいラストが待ち受けているとは……。本当に驚きました。

 

知念:自分の身に置き換えてみても、ある意味、一番怖い状況だと思います。しかも事件が解決したように見せかけて、さらにもうひとつ展開がある。ホラーのお約束みたいなものですよね。思いっきり怖がるのがホラーの醍醐味ですから、ラストで驚いて、怖がってもらえると嬉しいです。

 

——初のホラー長編を書き終えてのご感想は。

 

知念:すごく楽しかったですし、完成度の高いものが書けたと思っています。これまで好きで鑑賞してきたホラー小説や映画、作家として蓄積してきたミステリーの手法、医師として働いてきた経験、そして取材によって得た科学的知識。そうしたものをすべて注ぎ込んで、最近ないタイプの理系エンタメホラーを作り上げることができました。怖いものが好きな方には、刺さる作品になっているはずです。

 

——知念さんはホラーの魅力はどのあたりにあると思われますか。

 

知念:安全に恐怖を追体験できるところじゃないでしょうか。人間はもともと危険な環境で生きてきた生物ですから、怖い目に遭うと本能的な興奮を覚えるんじゃないでしょうか。といっても現実に危険に飛び込んでいくわけにはいかない。ホラーは恐怖をエンターテインメントとして、仮想現実の世界で楽しめる。ジェットコースターの人気に通じるものがあると思います。『ヨモツイクサ』もフィクションの世界で恐怖をたっぷり味わえる作品だと思うので、多くの人に手に取ってもらいたいですね。

 

 

【あらすじ】
「黄泉の森には絶対に入ってはならない」
〈黄泉の森〉はアイヌの人々が怖れた禁域。7年前に一家神隠し事件があり、再び不可解な事件が発生してしまう。森を開発中の作業員が行方不明となり、現場には『何か』に蹂躙された痕跡だけが残されていた。作業員が見た神秘的な蒼い光はなんなのか、謎の生物〈ヨモツイクサ〉の正体とは——。

 

知念実希人(ちねん・みきと) プロフィール
1978年、沖縄県生まれ。東京慈恵会医科大学卒、日本内科学会認定医。2011年、第4回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を『レゾン・デートル』で受賞。12年、同作を改題した『誰がための刃』で作家デビュー。「天久鷹央」シリーズが人気を博し、15年『仮面病棟』が啓文堂文庫大賞を受賞、ベストセラーに。『崩れる脳を抱きしめて』『ひとつむぎの手』『ムゲンのi』『硝子の塔の殺人』で本屋大賞ノミネート。今もっとも多くの読者に支持される、最注目のミステリー作家。