衝撃作『人類最初の殺人』で注目を集めた小説推理新人賞作家の初長編は、1冊で2冊分楽しめる秀逸作。1発の銃弾が運命を分け、「悪党のボスになる世界(銃弾が当たった)」と「パン屋になる世界(銃弾が外れた)」が並行して描かれる。
緊迫のクライムノベルとほっこりお仕事小説──正反対の内容なのに、結末はひとつだから不思議で面白い。ユーモラスなのにドキドキ、そして待ち受けるどんでん返し。上田ワールド全開の本作は読んで絶対損なし!
「小説推理」2023年3月号に掲載された書評家・細谷正充さんのレビューで『ボス/ベイカー』の読みどころをご紹介します。
■『ボス/ベイカー』上田未来 /細谷正充[評]
死んだ太陽の後を継ぎ、窃盗団のボスになった“俺”こと錠二。太陽と一緒に、パン屋を始めた“僕”こと錠二。二つの世界は、どこに向かうのだろう。
第41回小説推理新人賞受賞作家である上田未来の『人類最初の殺人』は、驚くべき短篇集であった。なにしろ、さまざまな人類最初の犯罪を題材にした作品が、ずらりと並んでいたのである。しかも「人類最初の盗聴」や「人類最初の誘拐」などは、起伏に富んだストーリーも読みどころになっていた。だから、これほど才気煥発な作品を書く新人が、次に何をやってくれるか、期待せずにはいられない。そしてその期待は、本書で見事に叶えられた。
物語は“ぼく”こと二岡錠二が、拳銃を手に入れる場面から始まる。拳銃を売った時計屋の老人は、なぜか錠二に並行世界の話をする。大切なものが存在する世界と、存在しない世界に分かれるが、二つの世界を生きる人物はそれを感知することはできない。そして二つの世界は、やがて合流するという。
これを与太話だと思った錠二。彼は元自衛官で、今は窃盗団の一員だ。しかし仲間の讒訴により、ボスの吉田太陽と殺し合うことになる。そのとき世界が、錠二が太陽を撃ち殺した世界と、殺さなかった世界に分かれるのだった。
以後、ストーリーは「BOSS」と「BAKER」の二つに分裂する。「BOSS」サイドでは、殺した太陽の後を錠二が継ぎ、新たなボスとして窃盗団を続けようとする。しかし最初から波乱含みであり、物語は思いもよらぬ方に捻れていくのだった。こちらは、純然たるノワールといっていい。
一方の「BAKER」サイドは、ギリギリのところで錠二と太陽が和解。錠二の発案により窃盗から足を洗い、かつて太陽がやっていたパン屋を再開しようとする。太陽の紹介で錠二がパン屋で修業するなど、お仕事小説の雰囲気が濃厚だ。ただしこちらのサイドも、展開が捻れに捻れる。どこに向かうのか分からないからこそ、夢中になってストーリーを追ってしまうのだ。
さらに並行世界という、SFの要素も見逃せない。登場人物は同じでも、それぞれの世界で違う役割を果たしている。微妙に響き合うかのような、二つの世界の描き方が面白い。そして二つの世界が合流したとき、何が起こるのか。読んでのお楽しみだが、刹那の永遠ともいうべき場面を創り出した、作者の手腕に感心した。ジャンル・ミックスを平然とこなし、独自のエンターテインメント・ノベルへと昇華させる。上田未来の実力が遺憾なく発揮された、とんでもない作品なのだ。