サラリーマンをやっていたらついて回るのが人事異動。自分の居場所を考えだすと不覚にも切なくなるが、それは戦国の世もいっしょ。
足軽からキャリアを開始した主人公の植田茂兵衛は、最新刊『馬廻役仁義』では、なんと主人家康の側近くに仕える馬廻役として再出発することに!
戦場を駆けまわり、足軽を怒鳴りつけるのが日常だった男が、知恵と気働きを求められる仕事に馴染むはずもなく、退屈と鬱屈は溜まるばかり。はてさて、元足軽大将、植田茂兵衛の運命やいかに?
「小説推理」2023年1月号に掲載された書評家・細谷正充さんのレビューで『三河雑兵心得 馬廻役仁義』の読みどころをご紹介します。
■『三河雑兵心得 馬廻役仁義』井原忠政 /細谷正充:評
戦場で討ち死にしたと思ったら、どっこい生きてた植田茂兵衛。なんと馬廻役に抜擢された。井原忠政の超人気シリーズが、ついに大台の10巻に突入だ。
徳川軍が大敗した上田合戦の殿を務め、単騎で敵に突っ込んだ鉄砲大将の植田茂兵衛。生死不明で終わった、前巻のラストはショッキングであった。本書の冒頭では討死したと思われ、残された家族や、関係の深かった者が悲嘆にくれる。茂兵衛とは20年にわたる腐れ縁である、徳川の隠密・乙部八兵衛は、植田家をどうすべきか悩む。
ところがどっこい、茂兵衛は生きていた。3人の従者と、鉄砲隊寄騎の花井庄衛門と共に、真田源三郎が城番を務める戸石城の土牢に囚われていたのだ。牢内で、徳川家の次席家老である石川伯耆守が、豊臣方に寝返ったと聞いてもどうにもならぬ。気力体力を維持するだけである。
その後、曲折を経て戸石城から脱出できた茂兵衛たち。だが戻ってみれば、鉄砲大将の地位を取り上げられていた。しばらくブラブラしていた茂兵衛だが、主君の家康の命により、馬廻役に抜擢されるのだった。
馬廻役とは、主君の側に侍り、護衛や伝令をする役目である。なぜ作者は茂兵衛を、馬廻役にしたのか。それは上田合戦後、しばらく政治の季節が続くからである。天下人になったといっていい秀吉にとって、家康は完全な邪魔者。しかし潰すこともままならないので、味方に取り込もうとする。
一方、家康も秀吉と和睦するしかないと考えているが、家中の強硬派をどう宥めるか苦慮している。意外と人材不足の徳川家で“欲と恐怖の念が薄い”茂兵衛は、家康に信頼できる人物と見込まれているのだ。こうした部分で茂兵衛の魅力を描きながら、政治の場にかかわらせ、主人公視点でストーリーを進行させる。そして家康と秀吉の政治的な駆け引きを、面白く読ませてくれるのである。この手腕、もはやベテラン作家のものといっていい。
そうそう、茂兵衛の魅力は、真田源三郎とのやり取りでも、巧みに表現されている。敵同士になってしまったが、互いに認め合う、茂兵衛と源三郎の姿が気持ちいいのだ。
また、有名な石川伯耆守の寝返りに、独自の解釈を与えている点も見逃せない。伯耆守が寝返った理由は諸説あるが、はっきりしたことは分からない。もしかしたら本書の解釈が正しいのかもしれない。このように思わせてくれるのも、作者の優れた手腕なのである。
本書のラストで家康は軍政改革を断行し、茂兵衛は新たな地位を得る。これからどうなるのだろう。シリーズの今後から、ますます目が離せないのだ。