セレーナ・ゴメス主演で映画化も決定している本作『夜明けまえ、山の影で』は、少女の頃に性的虐待を受けた登山家が、傷だらけの半生と、自らの傷を癒していく過程を綴った魂の登山記。

 トラウマを払拭するため、同じように性暴力の傷を抱えて生きる女性たちと共にエベレストを目指すのだが、最近では女性の地位向上や多様性への意識の高まり、#METOO運動がひとつのきっかけとなって、この「シスターフッド」をテーマにした作品は数多く発表されている。

 女性たちの連帯や繋がりを描き、時には共闘をするシスターフッド作品は、勇気を与えてくれるのはもちろん、私たちの社会に潜む問題をいろいろ顕在化してくれるから不思議だ。本作の読みどころを担当編集者が語った。

 

性暴力サバイバーの女性登山家が、アメリカにわたり衝撃を受けた理由

 

“私は夢を奪われた世界じゅうの女性たちのことを考えた。この山は女が登るには高すぎる、と言われてきた女性たちのことを考えた。「女は上になんて行けないんだよ」と言われてきた、世界じゅうの女性たちのことを。(本書より)”

 

『夜明けまえ、山の影で』は、ペルー生まれの登山家シルヴィア・ヴァスケス=ラヴァドの自叙伝。彼女は2018年にオープンリー・レズビアン(レズビアンであることを公にしている人)として初の世界7大陸最高峰登頂を成し遂げた世界的な登山家であるとともに、性暴力サバイバーでもあります。

 幼いころ近親者に継続的な性的虐待を受け、権力志向の強い厳格な父親の支配する家庭環境や、敬虔なカトリック信徒が多い一方で男尊女卑の傾向も強いペルー社会に苦しんだシルヴィア。そのトラウマから逃れるためアメリカにわたり、シリコンバレーでの仕事を得てベンチャービジネスの世界で名を馳せることになります。そんな彼女がアメリカで出会った大きな衝撃のひとつが「ゲイ・プライド」でした。

 

トラウマから自分のセクシュアリティはオープンにできず、アルコール依存症、無謀なセックスに溺れるが……

 

 自分の生まれた国ではまだ認められず、ともすれば反道徳とすら言われる自らのセクシュアリティ=同性愛者。それを誇りに思ってもいいのだという「気づき」が、彼女の人生を変えていきます。しかし、幼少期の体験の反動から「成功者であること」「強くあること」を目指すあまりそのセクシュアリティはオープンにできなかった。また自分の心に深く刻み込まれた性暴力の傷に関しては誰にも話せないまま、過度の飲酒、ワーカホリック、野放図なセックス、無謀な行動などによってしか充実感を得られない20代を過ごします。

 やがてある大きな喪失をきっかけに己のトラウマと向き合うなかで、登山と出会い、30代に入ってから、救いを求めるように世界の名だたる高山を登り始めます。その途上で他者と向き合うことを少しずつ覚え、自分と同じように性暴力を受けた経験のある女性たちが山や自然へと向かい、人生を取り戻すきっかけを作るため「カレイジャス・ガールズ(勇敢な女の子たち)」というNPOを立ち上げました。

 

同じように性暴力を受けた経験を持つ女性たちと一緒に、山や自然を目指すように

 

 そして2016年、エベレスト登山史に残る大規模雪崩の翌年に彼女が挑んだのは、同じ性暴力サバイバーの女性たちとエベレストを歩き、そのまま初めての登頂に向かうという冒険でした。悪質な人身売買の横行するネパールや、アメリカで性暴力を受けた経験のある5人の女性たちとともに目指すのは、ただ「山に登る」というだけではなく、己の限界──そして「お前たちはしょせん無力な、奪われるだけの存在なのだ」と事あるごとに語りかけてくる過去の影を乗り越えること。

 果たしてシルヴィアは皆に光を示し、自分自身に巣くった心の影を振り払えるのでしょうか。傷の深さゆえにどうしても他者に対して開ききることができなかった自分の心を、どうしたら解放できるのか。「世界の母神」と呼ばれるエベレストに問いかけながら歩いた2カ月間の思いを綴りつつ、著者自身の人生を振り返ったのが本書です。エベレストに挑む「現在」と、人生に影を落としてきた「過去」が一章ごとに交互に描かれる構成となっています。

 

何かにつまずいている人に「あなたはひとりではない」と勇気づける一冊

 

「山」と「女」というふたつの存在は、古くから男性社会が「征服」の対象とみなしてきたものであるといいます。「山」は自らが登るまさにその山であり、乗り越えるべき大きな「心の傷」のメタファーでもあります。

 その傷が落とす影の中を一歩ずつ歩く。平坦ではない道のりと、途上にある悲しみ、怒り、恐れといった感情を取り繕うこともなく私たちにさらけ出すシルヴィアの言葉はとてもストレートで、読むものの心を揺さぶります。彼女や5人のサバイバーたちだけでなく、これまで男性社会のくびきを受け続けてきたすべての女性たちに「ともに歩もう」と手を差し出す力強い意思にあふれた一冊です。

「強さ」ではなく、「弱さ」を開示することで読者を勇気づける回想録。何かにつまずいている人、どうしてもここから先へ進めない人に「あなたはひとりではない」と語りかける本書を、ぜひ手にとってみてください。

(担当編集・安東)

 

セレーナ・ゴメス主演で映画化が決定!
シルヴィアと同じラテン系の世界的セレブリティであるセレーナ・ゴメスが彼女の人生に激しく共感したことにより、セレーナ自身のプロデュースと主演で映画化が決定した本作。当初予定よりは遅れつつも、現在制作が進行中です。続報が入り次第、双葉社の翻訳出版Twitterアカウント @ftb_honyaku などでお知らせしていきます!