友人や恋人に囲まれ、一見充実した日々を送る糸林茜寧は、「愛されたい」に囚われている。愛されるために本心を隠し続け、日々、心がすり減っていく……。そんなある日、茜寧は愛読する小説のキャラクターにそっくりな人物と街ですれ違い――。いくつもの人生が重なり合う、極上の青春群像劇。
「小説推理」2022年9月号に掲載された書評家・吉田大助さんのレビューと帯デザインと共に『腹を割ったら血が出るだけさ』をご紹介します。
■『腹を割ったら血が出るだけさ』住野よる /吉田大助:評
誤解は失望ではなく、相手を知り、自らを知るための希望。どうしたら異なる価値観の者達が一緒にいられるか、一つの到達点を描いた住野よる最新作!
住野よるが五年半ぶりにデビュー版元に帰還して書き下ろした最新長編は、タイトルがデビュー作『君の膵臓をたべたい』と少し似ている。『腹を割ったら血が出るだけさ』。
東京・渋谷を思わせる街を舞台に、複数の語り手をバトンタッチする群像劇形式が採用されている。まず登場するのは、糸林茜寧だ。女子高生である彼女はベストセラー小説『少女のマーチ』を愛読し、この主人公は自分だ、と感じている。しかし、感想を他者に話すことはない。〈それは自らの正体を曝け出すことに繫がるからだ〉。茜寧は他者に「愛されたい」という感情に支配され、友達や恋人の前でも「本当の自分」を飲み込んで生きていた。ある日、CDショップの前で『少女のマーチ』の主人公と特別なパートナーシップを築くキャラクター・あいにそっくりな人物と出会う。〈見た顔も背格好も服装も、間違いなく思い描いた姿そのままだった〉。茜寧は持ち前のコミュ力でその人物、宇川逢に声をかける。プライベートでは異性向けの服を纏い、普段は近くのライブハウスで働く逢が、二人目の語り手だ。その語りの中で明かされるのは、〈ただいつも、自分らしくいることを求めていた〉という逢の人生観だった。
会うたびに友情を深める二人の──「キミスイ」の山内桜良と「ぼく」のような──関係性に入り込む第三の語り手が、人気急上昇中の七人組アイドルグループ・インパチェンスのメンバー、後藤樹里亜だ。彼女は見せたい自分像とファンから求められている自分像をブレンドし、アイドルとしての「ストーリー」をメディアで表現していた。本音主義の宇川逢、本音を飲み込む「愛されたい」原理主義の糸林茜寧、その間を行く「ストーリー」志向の後藤樹里亜……。三者三様、バラバラの価値観の持ち主だ。
住野よるは、異なる価値観を持った人間がどのようにしたら一緒にい続けることができるか、という思考実験を小説で繰り返しおこなってきた。その一つの結論が、ここに記されているように思う。振り返ってみればデビュー作『君の膵臓をたべたい』は主要登場人物間の理解をクライマックスに据えた物語だった。しかし、本作は徹頭徹尾、誤解の物語だ。では、それを嘆く物語なのか? まったく違う。人と人との関係は、誤解で終わるのではない。誤解から始まる、と高らかに告げる物語なのだ。読み終えた瞬間、この小説の感想を誰かと語らいたくなった。その過程でお互いの間に誤解や誤読が現れたならば、そこにあるのは失望ではない。相手を知り、自らを知るための希望だ。