2020東京オリンピック開催に先駆けて刊行された、森谷明子さんの『涼子点景1964』が待望の文庫化! 日本で初めて開催されたオリンピック、東京大会のあった1964年を中心に物語は進む。戦後復興の象徴として国家的にぎわいを見せたイベントの陰で、父親の失踪に絡む「秘密」を抱えた一人の少女がいた。謎めいた少女の言動を繋ぎあわせていくと、ラストには思いもよらぬ地平へと導かれる精緻な長編ミステリー!

「小説推理」2020年3月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューと帯で『涼子点景1964』の読みどころをご紹介します。

 

1964年オリンピック決定に沸く東京。 その陰で、忽然と姿を消した一人の男。  残された聡明な娘は、「秘密」を胸に生き抜いてゆく。  産経新聞・毎日新聞・週刊文春・週刊新潮・サンデー毎日他 各紙誌注目のミステリー、遂に文庫化!

 

各編で描かれる涼子の姿は、最初はほんの断片にしかすぎないものだ。 (中略)彼女の境遇が少しずつ少しずつ明らかになっていくにつれ、 本来収まるべき場所にカチリと嵌まり、やがて徐々に大きな絵柄が浮き上がってくる。 と同時に、それまで無関係に見えていたエピソードが、 こんなところで繋がってくるのかと驚き、呆然とすることもしばしばだった。 森谷明子の底力を見せつける容易ならざる快作。  関口苑生氏(解説より)

 

■『涼子点景1964』森谷明子  /大矢博子:評

 

ある少女の運命を変えたものは何だったのか──? 「戦後」を飲み込んだ1964年の東京オリンピックを背景に描く、濃密で技巧的な連作ミステリ。

 

 オリンピックに沸く1964年の東京。漫画雑誌を万引きしたという濡れ衣を着せられた小学生の健太を、高校生のお姉さんが鮮やかな推理で助けてくれた──。

 という第1話を読んで、なるほどノスタルジックでかわいい昭和ミステリなのね、と思った。が、全然違った。

 第2話では健太の兄である高校生の幸一が、その「お姉さん」が自分の中学時代の同級生、小野田涼子ではないかと思い、調べ始める。だが調べるうちに、涼子をめぐる謎や不審な点が次々と浮かび上がってくるのだ。

 貧乏な家の子のはずだったのに、今はお屋敷町で運転手付きの車に乗っている。父親が失踪し、母は出稼ぎで、祖母と暮らしているはずなのに、その住所に家はない。

 物語はそこから視点人物を変えながら、1964年の彼らを描いていく。甥の暮らす団地を訪ねた中年女性が、その部屋の前の入居者を捜す老人に出会う話。ビートルズを教えてくれた従兄のお兄さんが突然いなくなり、戸惑う女子高生の話。他の商売に比べてオリンピック景気に乗れないでいる和菓子屋の息子の話。実業家の邸宅に招かれた婦人のネックレスが紛失した話。

 それぞれの物語で事件が起き、それが解決されるミステリである。だがそれだけではない。そのすべてに、前述の涼子が何らかの形で登場するのだ。そして各話で少しずつ彼女についての謎とその真相が明らかになっていく。彼女に何が起きたのか、その遠因はどこにあったのか──実に細かいところまで練られたミステリなのである。

 何より感心したのは、涼子自身の物語も各話の事件も、1964年という時代と密接にリンクしていることだ。漫画雑誌が次々と創刊されたこと。オリンピックに向けて町は再開発され、アスファルトが敷かれ、団地が建てられたこと。学校でも町内でも「オリンピックの準備」にやたらと駆り出されたこと。そして何より、前回の東京オリンピックが開催された1964年とは、まだ終戦から19年しか経っておらず、戦争で家族を亡くしたり生活が変わったりした人々が当たり前にいたこと。だがそんな「戦後」がオリンピックという大きな祭りに飲み込まれていく。

 ものすごい勢いで時代が変わる、その潮目で、それでも人は鋏で切り離すように過去と決別できるものではないのだと、本書は伝えてくる。涼子はその象徴なのだ。

 そして再びのオリンピックイヤー。今回は何の潮目なのか。考えずにはいられない一冊だ。