30日間、欠かさずお参りし、お菓子を供えると30日目の夜、この世のものとは思えない快楽に包まれて死ぬことができる神社があるという──東北の寂れた町にある名もなき神社を舞台に、死にたい人たちの事情と、死ぬために訪れる人たちによって蘇る町を描いた連作短編集。そこには、DV、ネグレクト、貧困、介護といった社会問題を抱えながら死と向き合う人たちの姿が描かれている。
「小説推理」2022年7月号に掲載された書評家・門賀美央子さんのレビューと書籍の帯で『死神を祀る』の読みどころをご紹介する。
■『死神を祀る』大石大 /門賀美央子:評
もし、一切苦しみのない恍惚の死を与えてくれる死神がいたら。究極のファンタジーを柱に、淡々と、でもあたたかく人生を見据えるオムニバス小説。
30日間欠かさず供物を備えて日参すれば、確実に“幸福な死”を与えてくれる神社があったなら。本作は、そんなIFを中心に死を巡る人間の諸相を描いた連作短篇集だ。
第1話「私の神様」では女子高生の悩み多き青春物語を装いながら、ヤングケアラーなどの現代的問題を背景に、思春期特有の危うさや残酷さを見せてくる。よって、最近流行りの青春ライトホラーかと独り合点して第2話「死が二人を分つまで」に入っていったら様相は一変。妻の認知症を悲観して夫婦心中を図るために神社を頼ろうと街にやってきた熟年夫婦が主人公になった。認知症と安楽死という重量級のテーマを前面に出しつつ、2人が最後の30日を精一杯楽しもうとする姿に人生の哀歓が滲む、そんな構成になっている。なるほど、つまり本作は死のホームドラマなのかと思い直して第3話「ゆがんだ顔」を読み始めるとまたまた一転、今度は満願を目前にしながらもなぜか縊死を選んだ男の謎を刑事が追う展開が待っていた。
ここでようやく気づいたのだ。著者は「確実かつ安楽な死」という究極のファンタジーを種に、現代の諸相を映し出そうとしているのだ、と。
第4話以降も、DV、ネグレクト、貧困、介護といった問題を抱えた主人公たちが、神社の力に頼って右往左往する30日間、さらにはネットやマスコミによる情報拡散で「死のツーリズム」が成立し、思わぬ経済的恩恵を受け始めた住人たちの葛藤や策謀などが、時にはミステリ風、時にはヒューマンドラマ風に描かれていく。
一般的な文芸作品における“死”は悲劇や恐怖の象徴であるケースが多い。しかし、現実の死はそれほど単純ではなく、時には救済であり、次世代への糧となる。タロットカードの「死神」が直接的な死を意味すると同時に再生を含意するように、必ずしも忌むべきものではない、自然の摂理なのだ。また、俗な話をすると、死があって成り立つ産業がいくつも存在するのは紛れもない事実である。
著者はそうした死の多彩な顔を一つ一つ丁寧に拾い、物語に流し込んだ。各話の主人公たちは他話の登場人物と緩やかに影響しあいながら、それぞれのやり方で“死”に対峙していく。結果、最後まで読み終えると、死という現象から見た現代日本の姿が自然と浮き上がってくる仕掛けになっているのだ。「怖くない死」を前にした時、人は何を選び、捨てるのか。災害連続の御時世、この物語が世に呈される意味は小さくない。
「幸福な死に方」があるとしたら、試しますか? 大石大特別寄稿「命綱」https://colorful.futabanet.jp/articles/-/1378