相次いで報じられる芸能人の自死、そして尊い命が失われ続けている戦争……生きづらい世の中で「死」について考える機会が自ずと増えているが、そんな世相のなか、作家の大石大氏が上梓した小説『死神を祀る』が話題だ。
「極上の死」を得られると噂の神社に「死を願う人々」が集まる、という連作短編集で、それぞれの理由で「死」を願う人たちが描かれている。今だからこそ届けたい作品を上梓した著者の大石氏が現在の世相を鑑みたうえで、「死にたい」と願う人たちに必要なものについて寄稿してくれた。
新刊『死神を祀る』は、三十日間連続で参拝すると、この世のものとは思えない快楽の中で死を迎えられる神社がある、という設定だ。認知症を患った老夫婦、生きる喜びを見いだせない男性、貧困に苦しむ女性など、さまざまな理由で神社を訪れる人たちを描いた連作短編となっている。
彼らは神社に通いつつ、本当に人生の幕を閉じていいのか思い悩む。登場人物と一緒に、作者の心も揺れる。作中に登場するような神社が本当にあれば、僕がそこに通うことはあるだろうか、と。
一昨年あたりから、芸能人の自死のニュースが続いている。仕事で成功しても、家族や友人に恵まれていたとしても、死の衝動に抗うのは難しいものらしい。
この小説では、行動を開始してから実際に死ねるまで三十日かかることになっている。その間に、登場人物たちは悩んだ末にそれぞれの答えを見つける。初志貫徹して死を迎える者もいる一方、生きる理由を見つける者もいる。
その中に、「好きなものを楽しめなくなるのが惜しい」と言って死ぬのをやめる人がいる。
作中で、ある登場人物に似たようなことを言わせたが、僕が子どものころは毎週『週刊少年ジャンプ』を読むのが楽しみで、ジャンプの発売日になるとどんなに憂鬱なときでも心に光が差した。「帰ったらジャンプが読めるから学校頑張ろう」と思えたものだった。ジャンプが心のよりどころ、大げさに言えば命綱だった。
大人になり、憂鬱の種が増える一方、命綱の数も増えた。読みたいのに時間がなくて手が回らない本は山のようにある。いつ発売されるかはわからないが、『ドラゴンクエスト12』も早くプレイしたい。今年は、大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』が毎週楽しみでたまらない。そして、応援している千葉ロッテマリーンズの優勝をもう一度この目で見るまでは、死んでも死にきれない(優勝から遠ざかること十七年、死んでもいいと思えるようになるのはいつになるだろう!)。
どんなときでも、好きなものはいつも変わらずそばにいてくれる。そして、新しく好きになれそうなものがこれからも続々生まれようとしている。今の自分は、たくさんの命綱でぐるぐる巻きにされた状態なのだ。
追い詰められて、死に魅せられたとしても、たくさんの好きなものたちが、きっと死に抗う力になってくれるはずだ。そして、いずれ僕の書いたものが誰かの命綱になれたとしたら、こんなにすばらしいことはない。
と、こんな話ばかりしていると、読者に内省を強いる小難しい小説のように思われそうだが、本書はあくまで娯楽小説だ。神社の噂を知らずに参拝を続ける少女の末路、参拝三十日目に突如首吊り自殺した男の謎、神社の正体を突き止めようと奔走する記者に迫る何者かの影など、面白く読んでもらえるようなストーリーに仕上げたつもりだ。気軽に、楽しみながら読んでいただき、その上で生きること・死ぬことについて少しでも思いを馳せていただければと思う。