国も言語も民族も宗教も違っても、人と人は手を取りあえる──悲惨な戦争が起きている今だからこそ読みたい、国境を超えた友情が感動を誘う冒険歴史小説『エクアドール』が発売された。大航海時代を舞台に、島を守るために旅をする琉球人たちの活劇あり、友情ありの王道冒険小説だ。著者の滝沢志郎氏に本書の魅力と、今だからこそ伝えたいメッセージをうかがった。

 

 

──5月19日に琉球人を主人公にした冒険歴史小説『エクアドール』を上梓しましたが、まずは大航海時代という時代設定で、琉球からはじまり東南アジアを旅する小説を書こうと思ったキッカケを教えてください。

 

滝沢志郎(以下=滝沢):もともと大学で沖縄の近現代史を勉強していたんですが、戦前の沖縄についての資料を読んでいると、独立国だった琉球の文化が皇民化政策の中で否定されていったという記述によく出会うんです。ならば琉球王国はどんな国で、どんな文化があったのか、それを知らなければ上辺だけの理解になってしまう。そこで琉球史についても勉強するようになりました。

『エクアドール』もその延長で、中世の琉球王国が東南アジア各地に使節を送っていたことは知っていましたが、その時代の東南アジアについてはほとんど知らなかった。調べてみるととても魅力的で、ぜひここを舞台に小説を書いてみたいと思ったんです。フィクションとはいえ、当時の琉球と東南アジアの状況はかなりリアルに描いているつもりです。

 

──調べてみた結果、新たな発見はありましたか。

 

滝沢:新たな発見なのかわかりませんが、人の移動が季節に大きく左右されていた時代を追体験できたのは新鮮でした。帆船は季節風を受けて進むので、航海に適した風が吹くまで何ヶ月も待つのが当たり前です。北国では冬になると雪で道が閉ざされ、シベリアでは川が凍れば犬ぞりで渡れるというように、人間は自然の制約を受けながら、上手にその力を利用して旅をしてきたのだと思います。その感覚は今ではなかなか味わえないもので、蒸気船の登場がいかに革命的だったか実感できました。

 

──ちょうど沖縄が本土復帰50年を迎える節目の年に、500年近く前の琉球を小説として描かれたわけですが、当時の琉球はどういう国だという認識をお持ちですか。

 

滝沢:琉球と一口に言ってもかなりのグラデーションがあったと思います。多様性と言ってもいいかもしれません。中世の琉球は奄美から宮古・八重山までの長大な海域にまたがる国で、それぞれの島に独自の文化があり、アイデンティティがあったはずです。それは今の沖縄でも同じではないでしょうか。

 那覇は当時から国際港で、琉球人と日本人が雑居し、チャイナタウンがあり、朝鮮人や東南アジア人もいたようです。当時の史料を読むと、港町那覇と王都首里の間でも、意識の差が結構大きかったんじゃないかと思うんです。那覇の琉球人にとっては、首里の士族よりも那覇の外国人のほうが身近な存在だったのではないかとさえ思います。

 ちなみに、一般的な琉球王国のイメージは多くが近世に成立したもので、中世は髪型も違いますし、刀を腰に差していて、首里城は板葺きで、赤瓦も普及していないんです。ちょっとイメージと違う「古琉球(中世琉球の歴史学上の呼称)」の姿を感じてもらえたらいいなと思います。

 

後編〈国や民族の違いは人間がわかりあう上で決定的な要因ではない、ということを伝えたい〉に続く

 

●プロフィール
滝沢志郎(たきざわ・しろう)
1977年島根県生まれ。東洋大学文学部史学科を卒業後、テクニカルライターを経て2017年『明治乙女物語』で第24回松本清張賞を受賞し小説家デビュー。近著に『明治銀座異変』(文藝春秋)がある。