奥田亜希子による2019年5月刊行の『魔法がとけたあとも』が、装いも新たに『彼方のアイドル』として文庫になった。文庫刊行に際し、新たな帯と、単行本刊行時に「小説推理」2019年7月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューをご紹介する。

 

彼方のアイドル

 

彼方のアイドル

 

■『彼方のアイドル』奥田亜希子  /大矢博子:評

 

体に起きた変化が少しずつ心を疲弊させていく……。けれど同時に、新たに見えてくるものがある。悩むあなたに勧めたい、心のデトックス短編集。

 

 辛い、と思うと、それだけで気持ちが膨れ上がってしまう。自分の気持ちだけが世界のすべてになってしまう。

 そういうことは誰にでもある。そんなときにこの物語を読んだら、ふっと気持ちが軽くなりそうな気がした。

 奥田亜希子『魔法がとけたあとも』(文庫化に際し『彼方のアイドル』に改題)である。

 つわりの辛さと周囲の〈妊婦扱い〉に苛立つ「理想のいれもの」、失意の一人旅で高級旅館に泊まったものの、大浴場で倒れてしまう「花入りのアンバー」、目立つホクロがコンプレックスで対人関係を上手く築けない「君の線、僕の点」、女手ひとつで養っているのに反抗的な息子が腹立たしい「彼方のアイドル」、2人目の子どもができないことで妻との間の溝が広がる「キャッチボール・アット・リバーサイド」の5編が収められた短編集である。

 うまいなあと思ったのは、どれも何らかの身体的特徴や変化が苛立ちや不安のきっかけになっているという点だ。「理想のいれもの」の妊娠が最たるものだが、他にもたとえば「彼方のアイドル」では40代になったシングルマザーは白髪を気にしている。中学2年の息子にヒゲが生え始め、ババァと呼ばれる。その息子に恋人がいることがわかる。加齢と、努力が報われない現状が、じわじわとボディブローのように効いてくる。体の悩みは誰にも経験があるだけに、主人公の悩みが手に取るようにわかるのだ。

 ホクロのコンプレックスにしろ、型にはめられる妊婦にしろ、加齢にしろ、ひとつひとつを見れば、些細なことかもしれない。はたから見れば、小さな悩みかもしれない。でも、だからこそ人に言えず、閉塞感が澱のように溜まっていく。これもまた誰もが体験したことがあるだろう。

 そんなとき本書の主人公たちが何に出会うか。何に気づくか。その描写が5編とも、とてもいい。ぜひ本編でお読みいただきたいが、ひとつだけヒントを出すなら。

 思い出す、のである。

 この人を愛おしいと思った気持ち。これまで費やしてきた時間がとても楽しかったという気持ち。そして、そんな気持ちと一緒に生きて来たからこそ、今の新しい自分があるんだという実感。たとえ何が変わっても。

 もしもあなたが自分の悩みでいっぱいになっていたら、どうかこの物語を読んでほしい。誰しも悩みや苛立ちや不満とともに生きている。けれどそこには同時に、新しい喜びと新しい楽しみと、そして新しい希望があるということを思い出させてくれるはずだ。