ここ十年ですっかり定着したジャンルに〈イヤミス〉がある。人間が内に持つ邪悪な感情をえぐり出し、読後、イヤな気持ちが後を引くミステリのことだ。沼田まほかるや湊かなえが代表格とされることが多いが、実はイヤミスの開祖は乃南アサだと私は考えている。

 その当時はサイコサスペンスと呼ばれていた。デビュー作『幸福な朝食』で描かれたじわじわ滲み出る狂気の描写といったら、もう三十年も前の作品なのに、いまだにキャベツを刻む度に思い出す。既にトラウマだ。意味のわからない人は『幸福な朝食』をお読みあれ。

 もちろん乃南アサはイヤミスばかり書いてきたわけではなく、女性刑事を主人公にしたシリーズものや、コミカルで前向きな交番警官のシリーズなど、その作品は多岐にわたる。それでもすべての作品に共通しているのは、人の背後にあるドラマを紡ぎ出す腕だ。そしてその腕は、語られないことを見る〈目〉によるところが大きい。

 その〈目〉が存分に発揮されたのが、『犬棒日記』である。犬も歩けば棒にあたる、のことわざのごとく、筆者がたまたま遭遇した、名も知らぬ行きずりの人々のことを描いたエッセイ集だ。

 ATMの前で通帳を手に言い争いをしているカップル。親に構ってもらえず、幼児とは思えない汚い言葉を、おそらくは意味もわからずに叫ぶ子ども。新規開店のコンビニに集う老人たち。歩きながら携帯電話で、相続問題についての不満を喋り続ける女性。

 乃南アサの〈目〉は、そんな人々の姿をまるでそこにいるかのようにつぶさに描き出す。レジで黙々とポイントカードを探す男性客のセーターの毛玉。電車に並んで座る母娘のマニキュア。

 たまたま出会った人や遭遇した出来事をそのまま描写しただけなのに、まるで一編の短編小説を読んでいるかのようだった。背景を著者が〈創造〉したわけではないのに、その人の抱える虚無や闇が伝わってくる。この読み心地はまさに、乃南アサのサスペンスのそれと同じだ。本書はエッセイというより掌編小説集と呼んだ方がいい。

 そんな中、最も印象に残ったのは、バス乗り場で働く男性と別の場所で遭遇した話だ。ルーチン作業を淡々とこなす様子が哀れを誘っていた男性の、別の顔。人は様々な顔を持って生きている。その一瞬を切り取る乃南アサの〈目〉と〈腕〉を存分に堪能いただきたい。