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第一章(承前)

 

4

 

 友岡は関係者専用通路を進み、別棟に出て、エレベーターに乗り込んだ。

 一階まで降りてロビーを横切り、表へ出る。駐車場に向かって歩いた。時折、顎を引いて、目の端で背後を確かめる。

 尾行を探る時の仕草だ。

 自動販売機の躯体や駐車場に停まっている車のガラス、ボディーなどもちらちらと見る。

 鏡面となって光るものであれば、鏡のように周囲を映す。姿をはっきり映していなくてもいい。服の色や背格好はぼんやりしていてもわかるものだ。

 似たような背格好で同じ色の服を着ている者がついてきていれば、それは尾行者だと判断できる。違っていてもそれはそれでいい。

 警戒しないことが最もやってはならないことだ。

 とりあえず、つけてきている者はいないようだ。

 自分の車を見つけ、周りを見ながらドアを開けてスッと運転席に乗り込む。ストラップを肩から滑らせて、カバンを太腿に落とし、ファスナーを開ける。

 中から車のキーを取り出そうと口を広げる。

 白瀬が詰めたビニールのあたりをまさぐる。小さな黒い紙片が落ちていた。切手を二枚並べたくらいの大きさだ。ただのゴミにしか見えない。

 が、友岡はその紙片を見据えた。

「そういうことか」

 つぶやき、スマートキーを取り出して、エンジンをかける。

 黒い紙片のようなものは、おそらく、極薄のGPSだろう。

 友岡は何事もなかったようにファスナーを閉めて上体を起こし、手元のスイッチでパーキングを外し、パドルシフトをドライブに入れた。

 

5

 

 藪野は鹿倉に呼び出され、本庁に来ていた。

 庁舎の中には入らず、正門前で待っていた日埜原に駐車場へと連れて行かれた。

 駐車場の奥にスモークを張ったワゴンが停まっていた。藪野は問答無用に、三列目シートに乗せられた。

 日埜原が二列目シートに入って座り、いったんドアを閉める。

 まもなく、鹿倉がやってきた。鹿倉は助手席側のスライドドアを開けて二列目シートに乗り込んだ。

「誰も近づけるな」

 鹿倉が言うと、日埜原は首肯し、車から出た。スモークガラスに目を向ける。日埜原はワゴンから遠ざかった。

「部長、何の真似だ?」

 後ろから鹿倉の後頭部を睨む。

「安全な場所で、二人だけで話をしたかったんでな」

「ここが安全なのか?」

「この車両は特殊車両でね。外からの盗聴は不可能。スモークも特殊なもので、中で明かりを点けても外には見えないようになっている」

「張り込み用というわけか」

「対反社組織用だ。めったに使われることはない」

「まだまだ俺も知らねえことがあるってわけか。まあ、驚きはしねえがな」

 藪野はシートに腰を下ろして、背もたれに左肘を引っかけた。斜めになって両脚を伸ばし、組む。

 二列目シートの真ん中の隙間から、鹿倉の斜め後ろからの首筋や耳、口元が確認できた。

「で、わざわざこんなところまで連れてきて何の話だ? 今村が殺られた話は聞いてる。中馬って若いのもたぶん殺られてるだろう。今村たちがNRCに潜入してたこと、NRCの議長が梅岡の秘書だった高原だということ、投資会社の代表を務める藤江未里が買った東村山のビルを拠点にしているであろうこと、すべて聞いてるぞ。まだ、何かあるってのか? パグの捜査に関係した者はしばらく外すんじゃなかったのか?」

 口早に訊ねる。

「藪野。おまえ、友岡の釣り宿にはどのくらいの頻度で通っていた?」

「俺が行ってたことは把握しているというわけか」

 隙間から鹿倉を睨む。鹿倉は肩越しにちらっと後ろを見たが、すぐに顔を前向きに戻した。

「七年前からどのくらい通った?」

 鹿倉が改めて問う。

「二、三カ月に一回だ。潜っている時は行かなかったんでな。七年で十回程度のもんだと思うが。今度の件に関係あるのか? 友岡も関係者なのは間違いねえが、ヤツはもう引退してる。高原がパグと関わりがあったからといって、そこまでは狙ってこねえだろうよ。それとも、もう友岡が襲われたとか?」

 鹿倉をじっと見据えながら訊く。

「今村が残した報告書に気になる部分がある」

 鹿倉は胸のポケットから一枚の紙を取り出した。四つ折りにされた紙を三列目シートに投げる。

 藪野は脚を解いて体を起こし、紙を拾い上げた。開いてみる。報告書の一部を印刷したものだった。

 そこに書かれている内容を見て、藪野は目を見開いた。

 鹿倉はルームミラーで藪野の反応を確認して訊いた。

「どう思う?」

 静かに訊く。

 藪野は文字に目を向けたまま、押し黙った。

 そこには、NRCの幹部に左腕のない男がいるらしいという内部情報が記されている。

「敵が過激思想組織だとしても、片腕がない仲間はそう多くないだろう」

 鹿倉が言う。

 藪野には鹿倉の言いたいことがわかる。

「しかも、今村が殺されたということは、公安部の情報が漏れていたということ。片腕のない者なら、こちらの手の内もよく知っている」

「待てよ。友岡が連中に寝返ったってのか?」

 藪野は自ら口にした。

「寝返ったのか、そもそも彼らの仲間だったのか」

「連中の仲間だったわけがねえだろう! ヤツはパグとの戦争の最大の犠牲者であり功労者だ。腕を飛ばしてまで戦った相手に、なぜ肩入れしなきゃならねえんだよ。見当違いも甚だしい」

 つい声が大きくなる。

 しかし、鹿倉は涼しい顔をしていた。

「なぜ、見当違いと言い切れる? おまえは何か知っているのか?」

「おい!」

 藪野は腰を浮かせて、右腕を伸ばした。鹿倉のスーツの右肩をつかんで絞る。

「あんた、友岡だけでなく、俺まで疑ってるのか?」

「NRCの片腕の幹部が友岡だとして。友岡と頻繁に接触していた作業班員はおまえだ。情報の流れとして矛盾はなく、まず初めに疑うべきルートではないか?」

「俺はしゃべってねえぞ!」

 さらに鹿倉のスーツの肩口をねじる。スーツがよじれるが、鹿倉はびくともせず、眉一つ動かさない。

「おまえがしゃべっていないつもりでも、ちょろちょろと情報を引き出されているかもしれん。友岡はネゴのプロだったろう」

「あいつにやられてると言いたいのか?」

 藪野が身を乗り出そうとした時、鹿倉が藪野の右手首を左手でつかんだ。ギリギリと絞る。すごい握力で、藪野の骨が軋む。

 藪野は顔をしかめて、たまらず指を浮かせた。

 鹿倉は手首をつかんだまま振り返った。

「疑いがあるなら晴らさねばならない。信じる信じないの感情論はどうでもいい。おまえが出し抜かれていないというなら、片腕が友岡でないと証明しろ。それ以外に、おまえへの疑念を晴らす方法はない」

 腕を押し離す。

 藪野の背中がシートの背もたれにぶつかった。

「私とて、かつての部下を疑いたくはない。もちろん、おまえもな。だが、その報告書は今村が文字通り、命を賭して残したものだ。その情報まで殺すわけにはいかん。おまえがやらないなら、他の者に探らせる。当然、おまえも対象にする。どうする? 今なら、それこそおまえを信じて、友岡の件を任せることができるが」

 鹿倉は静かに藪野を見据えた。

 藪野は睨み返した。疑われていることも、鹿倉の態度も無性に腹が立つ。

 だが、鹿倉が言うことも間違っていない。

 他の者に探らせるよりは……。

「今村が残した報告書を全部見せてもらえるのか? それとも、疑いのある者には見せられないか?」

 藪野が訊く。

 鹿倉は藪野を見返しながら、スマホを取り出した。番号を出し、タップする。

「──私だ。NRCに関する報告書を閲覧できるよう、用意しておいてくれ。十分後に第二小会議室へ藪野と共に行く」

 そう言い、電話を切った。

「庁舎の中に行くのか?」

「報告書は外部からアクセスできない専用のサーバーにのみ置いている。閲覧も私の監視下でしか許可しない」

「それを見せられるということは、つまり、秘匿情報が洩れれば、俺が敵であったという証拠にもなり得るということだな」

「言うまでもなかろう」

 鹿倉の視線が冷たい。

 藪野はため息をついた。

「まあ、俺にやましいところはねえんで、かまわねえがな。万が一、友岡が敵とわかれば、どうするつもりだ?」

「通常通り、追い詰めるだけだ」

 鹿倉がさらりと言う。

 これまでの鹿倉と何ら変わりがない。今村の死など気にも留めていないような冷徹な表情。まるでロボットの顔を眺めているようだ。

「かつての部下でも容赦なしということか」

「過去は関係ない」

「だろうね、あんたらは」

 スライドドアが開いた。日埜原が顔を出す。

「用意できました」

 日埜原が運転席側の二列目シートを前方に動かす。藪野は車外に出た。反対側のドアから鹿倉が出てきていた。

 鹿倉と藪野は、日埜原の案内で裏口から庁舎に入り、人目につかないよう第二小会議室へ向かった。

 

6

 

 友岡はいったん予約してある都内のホテルに出向いた。車を駐車場に停め、チェックインして、ショルダーバッグを部屋に置く。

 ビニール袋の金とGPSはバッグに入れたまま、スマホと財布だけを持ち、部屋を出た。

 いったん、エレベーターで上階に上がり、フロアをうろついて尾行がないことを確認し、再度エレベーターに乗って二階の飲食店フロアで降り、非常階段から表に出た。

 少し歩いた場所に小さな公園がある。その脇にボックスタイプの軽自動車が停まっている。

 若い女性がハンドルを握っていた。

 友岡の姿を確認すると、女性はスイッチを操作し、運転席後部のスライドドアを開けた。

 友岡は周囲を見回し、するりと乗り込んだ。すぐにスライドドアを閉める。

 友岡はシートに寝転がって、身を隠した。

 車はすぐに発進した。

「お疲れ様です。公安部員との接触はどうでしたか?」

 女性が訊く。

 運転しているのは、友岡の部下の伊藤由真という大学院生だ。元々は大学時代、藤江未里の演説に心酔し、反政府左翼活動に傾倒した経緯がある。

 現在は、大学院に通いながら、NRCの活動を手伝っている。

 大学院に籍を置いているのは、学内勧誘をするためだ。由真の下にはまた、多数の左翼活動に興味を示す学生たちが集まっている。

 NRCにいる若者たちは、藤江未里を中心にピラミッド構造のような組織体系を自然と構築していた。

「予想通りというかな。仕掛けてきたよ」

「友岡さんの正体がバレていたんですか?」

 女性がルームミラーを見やる。寝転がっている友岡の輪郭がかすかに映る。

「いや、まだ確実につかんでいるというわけではなさそうだが、俺の動向を探ろうとGPS装置を仕込んできた」

「そんなわかりやすいことをしてきたんですか?」

 由真が鼻で笑う。

 が、友岡は笑顔を見せない。

「俺だから気づいたがな。おまえらなら装置に気づかず、作業班員を砦に招き入れていたかもしれない。絶対に公安部の作業班を甘く見るな」

「すみませんでした」

 由真は顔から笑みを消し、ハンドルを握り直した。

「これからどうしますか?」

「今村主任が砦にまで食い込み、俺の動向を探られているということは、こっちが想定しているより深く潜られている可能性が高い。そのあたりをもう少し調べてみる必要があるな」

 友岡が寝ころんだまま手を考えていると、スマホが鳴った。

 モニターを見る。友岡は起き上がった。

「静かにしてろ」

 友岡は言い、電話に出た。

「もしもし、どこにいるんだ、藪野?」

 電話をかけてきたのは藪野だった。

「ああ……ああ、聞いたよ、白瀬から。あの今村主任が殺られるとはな……。ああ、白瀬から資金はもらった。釣り宿も若いのに任せたんでな。あちこち旅行して、少しのんびりするよ。家族? どうしているのか、まったく知らない。それでいい。うん……うん、そうか。わかった。今出かけているから、二時間後に落ち合おう。じゃあ、後で」

 友岡は電話を切った。

「誰からです?」

 すぐに由真が訊いた。

「昔の相棒からだ。さっそく探りを入れてきたんだろうが、ちょうどいい。こっちに取り込んでやろう」

「昔のって……。友岡さんと共にうちの前身のパグを潰した人ですか?」

「そうだ」

「そんな人が私たちの仲間になってくれるんですか?」

「仲間にはしない。情報源として働いてもらうだけだ」

 友岡はにやりとする。

「すまんが、引き返してくれ。高原と藤江には俺が連絡を入れておくから」

「わかりました」

 由真は途中の交差点でUターンし、元来た道を戻り始めた。

 友岡は窓の外を眺めながら、スマホを握りしめた。

 

(つづく)