プロローグ

 

 かつて、日本に〝パグ〟という過激派組織があった。

 パグという名は〈Proposal for All Generations〉の頭文字、P、A、Gを取って名付けたもので直訳すると〝すべての世代に向けた提言〟という意味になる言葉だった。

 このパグという組織を率いていたのは、赤沢君則という有名私立大学の社会学部准教授だった。

 当時、若手の論客としてメディアを席巻していた文化人で、労働問題や社会問題を研究する機関と称していたが、その実態は武装蜂起を企図する過激な思想団体だった。

 警視庁公安部は総力を挙げ、パグの全容解明と壊滅に向けて取り組んだ。

 今は有村姓で生活安全部少年課にいる瀧川達也が、公安部〇課作業班員として初めて携わった事案である。

 赤沢を使って、裏で糸を引いていたのは当時野党だった民進党の梅岡卓という若手ホープの衆議院議員だった。

 公安部の作業班員は敵の懐に潜入し、複数の犠牲を出しながらも死地を潜り抜け、パグの野望を阻止し、首謀者らを処分した。

 パグの解体は徹底していた。

 当時、パグに関わった者は一人残らず捕捉し、逮捕できる者は逮捕して〝前科〟という鈴をつけ、全国の警察の監視対象に置いた。

 逮捕できなかった者についてもリスト化して、思想絡みの事案が発生した時は突き合わせ、逐一その言動を追っていた。

 パグの事案が一応の終結をみて、もう五年になる。

 関係者のほとんどは過激な思想運動から距離を置き、社会の一員として日常を送っている。結婚をして子供を得て、家庭人として街に溶け込んでいる者もいる。

 だが、パグの捜査はまだ終わっていない。

 首謀者の一人、梅岡卓の議員秘書をしていた高原創志という男が行方不明のままなのだ。重要人物に近い人間が発見されていないという事実がある以上、完全な幕引きとは言えず、公安部では継続事案として扱われていた。

 高原創志は当時三十五歳。生きていれば、現在は四十歳になる。

 細身の背の高い男で、眼鏡をかけると南ヨーロッパ人にも見える東洋人離れした彫りの深い顔立ちをしている。

 当時、赤沢と梅岡の射殺体が見つかったその日の夜、高原は成田からの直行便でメキシコシティに渡ったことが確認されている。

 そこからの足取りはつかめていなかった。

 ところが半年前、ある筋から公安部に情報が寄せられた。

 高原創志が帰国し、ある団体を立ち上げたという話だ。

 情報によるとその団体は〝新世界革命評議会〟という名だった。

 調べてみると、その名前の任意団体は確かに設立されていた。

 しかもこれは日本発祥の団体ではなく、中南米、カリブ海の反政府運動から派生した団体のようだった。

 英語で〝New world Revolutionary Council〟と表記されるこの団体は〈NRC〉と呼ばれ、全世界に同名の団体が存在する。

 過激な反政府運動をしている団体は国を越えて連帯しているが、平和な国や先進国にあるNRCは連帯も緩やかで、互いを見守りつつ自国で活動をしているという組織が多い。

 反体制野党のようなものだ。

 各国NRCの多くでは、〝フラク活動〟が行なわれている。

 フラクション活動の略で、元々は政党が民間団体などに少数の党員を送り込み、団体の中で小さなグループを作り、組織に食い込んで政党の政策や方針と合致する方向へ導いていこうとするステルス活動のことを指す。

 NRCは共産主義者のような確固たるイデオロギーは持たない。イデオロギーがどうであれ、すべてにおいて是々非々で、是は大いに伸ばし、非は正されなければいけないという方針で活動している。

 革命と謳ってはいるが、ほとんどの国では穏健な反政府運動家として扱われ、問題視はされていなかった。

 日本にはNRCそのものがなかった。

 NRCを旗印に活動しようとしていた元過激派の者は何人かいたが、〝新世界〟や〝革命〟という刺激的な文言は日本国民に受け入れられず、〝評議会〟というネームがかつての極左組織を連想させたため嫌悪感を抱かれ、知らない間に消滅していた。

 共産主義革命、過激な反政府運動、偏狭のイデオロギーが若者の間から衰退していく中、こうした団体は現われないだろうと、公安部内でも忘れ去られていた団体名だった。

 が、ここ数年、過激な右翼政党が出現する陰で、左翼団体、過激派の活動もひそかに活発になってきていた。

 公安部は特に、大学にあるセクトの動向を注視していた。

 若者で左翼活動に従事しているのはほとんどが大学生だ。昔からインテリがイデオロギーに走りやすい傾向にはあったが、今でもそれは変わらない。

 彼らも遊びや道楽で過激な活動をしているわけではない。

 国のことを考え、大衆のことを考え、子供たちの将来のことを考え、居ても立ってもいられず、自分にできることを大真面目にしているだけのことだ。

 そう。大真面目なだけに、問題が深刻化してしまう。

 彼らは、自らが得た知見を大衆に浸透させ、共によりよい社会を作っていこうと誘う。だが、自分の生活を捨ててまで政治活動に傾倒している余裕など、特に今の日本にはない。

 人々は彼らの言に耳を傾けることなく、流されるように日々を費やしていく。

 やがて彼らは、目の前のことしか見ていない大衆に憤りを覚え、怒りを感じ、大衆を目覚めさせねばならないと斜め上からの目線で声高に叫ぶようになる。

 一般大衆はそんな彼らに嫌悪を抱き、ますます遠ざけるようになる。

 一方で、言論が過激になるほど、傾倒する者も現われる。そういう仲間が二人、三人と増えていくと、彼らは自分たちの意見が間違っていないという錯覚に陥る。

 そして最後には、聞く耳を持たない大衆は排除しなければ世界は変わらないという思考に行きつく。

 イデオロギーも宗教と同じだ。自らの生きる指針として役立てる分には優れた哲学だ。が、妄信してしまえば思考が止まり、為政者の駒に成り下がる。

 犯罪捜査に携わる者は、その過程を嫌と言うほど見せつけられてきた。特に公安部員、中でも作業班員はその理不尽と狂気を身をもって体験している。

 なので、新たな芽が出たら、若いうちに刈り取らなければならない。

 そのために、作業班員はベテラン新人関係なく、命を張っている。

 今回のNRCの件は、公安の上層部も重く見ていた。

 高原創志があのパグと関係があったこと。NRCが活動実態に差はあれど世界的組織であること。

 そして、もう一つの懸念点は、NRCの本部にある。

 本部は東京都東村山市にある。東村山浄水場の南、住宅と工場が並ぶ新青梅街道沿いのビル丸ごと一棟が本部だった。

 このビルは元々自動車部品を作っていた工場ビルで、経営難で廃業した後、買い手もなく宙に浮いた物件となっていた。

 そのビルを買い取ったのが〈ツーエックスセンチュリー〉という会社だった。

 この会社の代表を務めているのは、藤江未里という三十三歳の女性だ。彼女は地方の有名私立大学の学生だった時、学内である政治団体のフラク活動を行なって過激派を組織しようとした。

 その試みは未遂に終わったが、情報を得た公安当局は卒業後も彼女をマークしていた。

 ツーエックスセンチュリーは投資会社だ。共産主義過激派思想を持つ彼女が、資本主義の最たるものの会社を率いているのはなんとも違和感があるが、これもまた、近年の過激派組織の特徴でもある。

 彼ら彼女らに言わせると、投資で稼いでいるわけではなく、一部資本家に流れた金を回収しているだけだという理屈になる。

 物は言いようだが、そうした柔軟さが、現代セクトの特徴でもある。

 ビルは未里に買い取られた後、大改装工事が行なわれた。

 工場があった一階部分は、工作機械が取り除かれそのまま広い駐車場として整備されたが、駐車場のシャッターは分厚く重いものになっていて、近隣住人の話によるとめったに開くことがないそうだ。

 二階から最上階五階までにある窓という窓はガラスが取り払われ、換気口を設置して窓枠空間を埋めてしまった。

 従業員によると、多くのパソコン画面を扱うため、太陽光が入らない方がいい。また、顧客の資産絡みの個人情報を扱うことも多いので、盗撮盗聴防止にも窓はなくし、壁は厚くした方がいいとのことであった。

 ビルに出入りする場所は、玄関と裏の非常口の二カ所だ。が、どちらのドアも装甲板かと思うほど分厚く、リモート操作しなければ容易に開かないほど重いものになっていた。

 作業班はビルの内装に関わった建築会社を見つけ、調査をした。

 ビルのリフォームが完了した後、図面を消してほしいと頼まれたそうだ。会社側はせっかくの図面なので残しておこうと思ったが、後日、ツーエックスセンチュリーの社員立ち会いのもと、完全消去させられたそうだ。

 なので、覚えている範囲でビル内を説明してもらった。

 一階の駐車場の下には地下室が作られたそうだ。堅牢でシェルターのような地下室。高さは大人が立っても低く感じない程度で、三十人近くは入れる広さだそうだ。

 高性能清浄フィルターをつけた換気システムが設置されていて、その奥の部屋には三十人が一週間は生活できる物資を備蓄しているという。

 二階から上はオフィスとなっている。二階と三階はトレーディングルーム、四階は顧客応接室、五階は経理と社長以下役員の部屋があるそうだ。

 ここもやはり、ドアが分厚く、ガラス一枚もないので中からも外からも様子がわからないようになっているそうだ。

 事情を聞かせてくれた作業員いわく、まるで第二次世界大戦時の軍部の指令室のようだったと形容した。

 鹿倉稔部長率いる警視庁公安部は、〝軍部の指令室〟という言葉を深刻に受け止めた。

 そしてそこに、NRC日本本部が入ったことを知り、鹿倉は本格的な潜入捜査をする決定を下した。

 その潜入に選ばれたのが、作業班の主任を務める今村利弘警部と新人の中馬祐樹だった。

 今村が選ばれたのは、その腕を買われてのことだ。

 多くの場合、今村は本庁に残り、作業班員からの情報を取りまとめて分析し、次の行動を指示する役目だ。

 が、重大事案においては、今村自ら潜入させられることもある。

 今村をよく知らない若手公安部員などからは、今村はただ上から命令するだけのいけ好かない上司と思われている。

 だが、現場に一番近く、直接部下に行動を指示するだけあって、本人の潜入能力は作業班の中でも一、二を争うほど高い。

 どのような不測の事態に出くわしても取り乱すことなく次の手を考え、即行動する。最終的に敵の手に落ちると決まった時は死もいとわない。

 本物の潜入捜査員だった。

 中馬は若手ながら、瀧川も卒業した警察大学校内にある公安部員養成所を首席で出た優秀者だった。

 素質は申し分ない。知識もあるし、背が高くスマートでインテリを気取るには向いている。

 何より、公安部が敵とする過激派や監視対象者に一切顔も名前も知られていない点が、今回の任務に抜擢された一番の理由だった。

 中馬はNRCがフラク活動でメンバーを放り込んだ大学の院生を装って、学内で彼らに接触し、徐々に親交を深めた。

 一方、今村は個人投資家の設定で、ツーエックスセンチュリーに近づいた。

 ツーエックスセンチュリーでは、トレードだけでなく、個人投資家向けのセミナーも行なっていた。

 投資会社が主催するセミナーは、経営の柱の一つでもある。

 藤江未里のセミナーは一回十万円を超えるものばかりだが、募集すると瞬時に埋まるほどの人気だ。

 見目がよく聡明。実際に何百億という資金を動かし、実力を示している若き投資家。学生時代、フラク活動を行なっていたこともあり、話もうまい。

 欲にまみれた投資家が放っておくわけもない。

 また、未里は自身の左翼思想を隠していない。SNSではたびたび炎上発言を行なっているが、それもまた、若くして、女性ながらに資本家と戦うジャンヌ・ダルクのように映り、かつて学生運動に身を投じたシニアを惹きつける要素の一つとなっている。

 未里は自分の容姿と話術を使い、両極の層から同時に支持されていた。

 今村はセミナーに赴くと、革命に生きようとして夢破れ、資本家の手に落ちた世代のジュニアとして振る舞っていた。

 学生運動に励んでいたシニアには、父のことと前置きをした上で当時の話をすると、呼び水のように左翼シニアたちの思い出を惹起させ、会話に花を咲かせた。

 一方、ただの資本家と話す時は、ジュニアとして理解できる部分とできない部分を語ったりする。

 資本家にイデオロギーなどない。あるのは利潤追求のみ。君も苦労するねと同情されるが、それもまた和やかな会話をつむぐトピックとなる。

 どっちに転んでも、周りとコミュニケーションが取れる絶妙な立ち位置だった。

 

(つづく)