定年を迎えた独身のキャリア女性と、夫を看取った主婦。再会した元同級生2人は、60歳から同居生活を始めることに……!? 

 酸いも甘いも知り尽くした大人たちへ贈る、第二の青春物語『華ざかりの三重奏』の読みどころを、文芸評論家・斎藤美奈子さんの解説でご紹介します。

 

華ざかりの三重奏

 

■『華ざかりの三重奏』坂井希久子 / 斎藤美奈子[評]

 

第二の人生をどう生きるかという誰もが直面する課題に、意外な方向からヒントを与えてくれる快作

 

 ある程度年齢のいった複数の女性がひとつ屋根の下で暮らす。羨ましいような恐いようなこの種の物語は、以前からなかったわけではありません。

 古い作品で思い出されるのは、有吉佐和子『三婆』(一九六一)です。六十歳前後の三人の女性の同居生活を描いた小説ですが、といっても単なるルームシェアではなく、この三人はさる資産家の老人(武市浩蔵)の本妻と愛人と妹なのです。発端は空襲で本宅が焼失したことで、浩蔵が他界した後、三人の同居生活がスタート。本妻の松子、芸者上がりの愛人駒代、独身の妹タキ、互いのプライドをかけたバトルが勃発しますが、十年の歳月をかけて彼女らの間には奇妙な友情が育ちます。

 

 もう少し後の時代で特筆されるのは瀬戸内寂聴『いよよ華やぐ』(一九九九)でしょう。この人たちはもっと高齢で、小料理屋の女将でも俳人でもある主人公の藤木阿紗女は九十一歳。ここに、きもの研究家の浅井ゆき(八十四歳)、スナックのママの杉本珠子(七十二歳)が合流し、女子会みたいな軽~いノリで小説はスタートしますが、やがて三人のドロドロした過去が明るみに出て、物語は錯綜していきます。

 といった例でもわかる通り、かつて複数の女性の同居生活は訳ありだったり、こじれたりするのが通例でした。立場がちがえば、考え方もちがう。「女の友情は成立しない」という神話が流布されていた時代の話です。

 

 二十一世紀の今日、状況はずいぶん変わりました。

 平均寿命が延び、長い老後を生きることになった分、現在の六十歳は知力体力ともに充実していて「老人」とはいえませんし、また文学の世界には二〇二〇年頃から女性同士の友情や共生を描いた「シスターフッド小説」が続々と登場しています。

 大きなくくりでは、本書『華ざかりの三重奏』も現役を引退した女性たちを描いたシスターフッド小説といっていいでしょう。

 

 主人公の竹下可南子は、男女雇用機会均等法の第一世代。国産の老舗アパレルメーカーに総合職として就職し、周囲は男ばかりという環境の中で働き続け、四十五歳で転職。知人がいるアパレル企業で五十代向けのブランドを立ち上げ、プレスとして充実した日々を送ってきた。キャリアウーマンのハシリですね。しかし気づけば定年まであと一年。そして彼女は考えます。〈なにか、趣味を見つけなきゃ!〉

 

 そんな可南子が中学の同窓会で再会したのが西村芳美でした。

 地元で見合い結婚をして家庭に入った芳美は、専業主婦として二人の子どもを育て上げ、夫の両親の介護をして、四年前に夫も送り、娘も息子も家庭を持って独立した今は、広い家で一人暮らしをしています。

 中学時代、いちばんの友達だった芳美。同窓会の終了後「うちに来ない?」と誘われた可南子はそのまま芳美の家に泊まり、数カ月後、定年を待って東京のマンションを引き払い、芳美の家に引っ越してきます。いくら〈老後に備えて、お金はできるだけ残しとかなきゃでしょ。うちなら家賃はタダよ、タダ。部屋ならいくらでも余ってるわ〉という芳美の誘いがあったとはいえ、なんという決断の早さ!

 

 可南子とて、最初から乗り気だったわけではありません。二人はたしかに昔、仲良しだった。〈でもあれから、四十五年。二人の少女は別々の人生を歩み、いっぱしの大人になった。それぞれに培ってきた生活のリズムがあり、価値観だって違うだろう。/若者同士のルームシェアとは、比べものにならない〉

 そりゃそうです。〈互いに仕事に出ることもなく、ずっと家にいるのだから。干渉する時間が長くなるほど、相手の存在が疎ましくなりはしまいか〉。当然の懸念です。

 では、何が二人を再び結びつけたのか。

 

 なんとそれは、少女漫画だった!

 ここがこの小説のもっともユニークで、魅力的なところです。だって少女漫画ですよ。中学生時代ならともかく、還暦を迎えた女が夢中になる?

 いやいや、十五歳でも六十歳でも関係ありません。好きなものは好き。敬意を込めていいますが、この二人は「オタク体質」の人なのです。四十五年ぶりに再会したのに、二人はずーっと漫画の話をしているんですよ。これをオタクといわずして。

 

 オタクという語が登場し、広く流通しはじめたのは一九八〇年代。当初は漫画やアニメやゲームなどのサブカルチャーに熱中する若者に対する揶揄を含んだ蔑称でした。しかし、サブカルが市民権を得るにしたがって、マイナスのイメージは払拭され、今日「オタク」にネガティブなニュアンスはありません。

 可南子と芳美はいわばオタク第一世代なのです。彼女らにもその自覚はありますが、しかし負のイメージは残っていて、可南子は中高生時代の自分を「漫画オタクで引っ込み思案」な「ネクラ」と規定していますし、芳美は元同級生の桜井に部屋を見られた際、〈あの男、私がオタクだって同級生に言いふらすに決まってる。キモいとか引くとか言って、陰で笑い物にするのよ、きっと〉なんていったりする。

 

 注意すべきは、キャリアウーマン街道を走り続けてきた可南子も、専業主婦として家族のために生きてきた芳美も、オタクとしての活動、オタクだった自分を長く封印してきたことでしょう。芳美はしかし、子どもたちが独立し、義父母が他界した後、自宅の二部屋をぶちぬいてヴィクトリアンスタイルに改造し、壁一面の本棚に新旧の漫画を並べて、娘の夏美にいわせれば〈家事もそっちのけで、だらだらと読むようになっちゃって〉なオタク女子の生活に突入した。そして芳美の部屋を目にした可南子も、オタク女子だったかつての自分を思い出す。

 

 こんなの理想の老後じゃありません? というかもう、第二の青春ですよね。

 それでも二人だけならすぐに息が詰まったかもしれない。そこに首尾よく登場したのが三人目のオタク女子、同じ六十歳の畑中香織でした。

 長く生花店を営んできた香織は、夫亡き後、店を畳んで息子一家の家に越したものの、家が狭くて居場所がなく、しかも夫の死から立ち直れていなかった。しかし、そんな香織も芳美の漫画に目を輝かせ、二人の家に通いはじめます。

 こうしてオタク魂を取り戻した三人は、単に漫画を受容するだけでなく、同人誌を発行するという新たな地平に向けて走り出します。

 

 人生百年といわれる時代。『華ざかりの三重奏』は第二の人生をどう生きるかという、誰もが直面する課題に意外な方向からヒントを与えてくれる快作です。

 ですが、それだけが本書の美質ではありません。むしろ重要なのは、人の生きがいは仕事や家庭だけではなく、人間同士のつながりは家族や友人や恋人同士といった既成の関係性だけではないとやんわり訴えている点でしょう。

 

 ヤギを飼うペーターこと詠人少年は、周囲になじめず、恋愛がどういうものかわからないといいます。平穏な家庭生活を送ってきた芳美も、夫との関係は恋愛ではなかったと打ち明けます。しかし芳美はいうのです。

〈少女漫画というのはね、魂で触れ合えるただ一人との、関係性を描くものなの。それはべつに、恋愛と名づけられないものであってもいいの〉

〈竹宮惠子先生が少女漫画ではじめて少年愛を描いたとき、女の子たちが熱狂したのはそれだからよ。性別を超えても、魂は一つになれると知ったわけ。人の想いは、そんなものに縛られなくてもいいんだってね〉

 そして可南子はけしかけます。〈言ってやりな、夏美ちゃんに。私は漫画を読んでるときがなにより楽しいんだ、文句あるか! ってさ〉

 好きなものがあること。同じものを好きな人がいること。人生にとって、これほどの幸せはありません。さて、あなたには好きなものがありますか?