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 今の時代は年老いて〝隠居〟なんて言葉も遠い昔に感じられます。昨今の物価高もあり、現代の日本では死ぬまで働かないといけない。そのために死ぬまで健康を維持する努力を欠かしてはいけないなんて……いやはや大変な時代になったものです。

 私はね、そんな老人たちのボヤキも、社会の発展にとって大事だと思うんです。同世代のご同輩たちにもっと、「不平不満に対して声を上げてもいいんじゃないか」と言いたい。

 たとえば、産業技術とか情報技術分野には非常に不出来なものがありますよね。

 ネットのSNSなんてものが誹謗中傷に満ちて人を傷つけたり、あるいは自死に追い込むなんていう手ひどい犯罪の手先として使われたり、闇バイトだのなんだの、詐欺師の道具に利用されるのがスマホなら、それはやっぱり出来損ないじゃないかな。

 車だってね、申し訳ないけど、老人がアクセルとブレーキを踏み間違えたら止まるようにならないかな。これだけ老人のペダルの踏み間違えの事故が多いんだから、改良してくださいよ、とお願いしたい。

 若い人は使いこなせても、老人は使いこなせない技術があって、それは改良の余地がある。皆にとって使いやすい商品やサービスのほうがいいに決まっている。そのことをジャッジする意味合いでも、我々高齢者はもっと不満の声を上げていい。

 ご同輩、思いませんか。我々世代から見ると、世の中は不良品があふれてますぜ。

 私、最近、四十肩になっちゃってさ。七十過ぎて四十肩っていうのもおかしい話ですけどね、とにかく両の掌の握力が落ちちゃった。それでこの前、水飲もうとペットボトルを開けようとしたら、キャップが開かない。あれ、結構しっかり閉めてあるんですよね。特に炭酸系。まったく開かない。これも隠居老人がぼやきたくなるポイント。

 そう考えてみると、老人には使いにくい物って、いっぱいあるんですよね。

 最近、最も腹が立ったのは〝ウナギ弁当〟。ある地方のイベントに出演した帰りに、主催者の方から「帰りにお食べください」ってウナギ弁当をいただいたんですよ。帰りの電車で食べようと思って開けたら、なんとも見事なウナギがのっている。

 さあ食べようと思って、ビニールに入ったタレをかけようとしたら……開かないんだよ。

「こちら側からお切りください」って書いてあるんだけど、それでも開かない。

 腹立つよねぇ。目の前にうまそうなウナギがあるのに、タレの袋が開かないんだから。必死になって開けようとしたら、真一文字に破れてタレをばらまいちゃった。慌てて飛び散ったタレをふき取って、ちょっぴり残ったタレをかけた。それで、「さあ食べよう」としたら、山椒の入った小袋を見つけた。山椒ぐらいかけて食べたいなぁ、と思って、ちっちゃい袋を開けようとしたら……タレで滑って開かないんだよ。

 頭の中には山椒をかけたウナギをうまそうに食べている絵が浮かんでいるもんだから、なんとしても山椒をかけて食べたい。でも、開かない。どうやっても滑り続けて開かない。とうとう開かずに、山椒は諦めた。

 目の前にあるのに開かないっていうのは、口惜しいもんですよ。この袋も改良の余地を残している。

 コンビニのおにぎりの中には、袋を破く順番が示してあって、キレイに破いて食べられるおにぎりがある。ちょっと企業努力すれば、あれぐらいの技術革新はすぐにできるはずなんですよ。

 どんどん熱くなってきました……! これは、ある地方のコンサートで泊まったホテルでの出来事です。朝食を食べに宴会場へ行ったときのこと。ホテルのスタッフは結構いるのに、何から何まで全部、自動。紙ナプキンひとつもらうのも、ボタンを押したら出てくる仕組みでさ。

 一番嫌だったのがご飯。ご飯も自動で機械によそってもらう。100g、150g、200g、250g……とボタンがあって、受け口に茶碗を置いてボタンを押すと、ボタッと落ちてくるの、選んだ量のご飯が。

〝ボタッ〟っていうのは嫌だよね。口に入れるものを、出すときと同じ音で受け取るっていうのはさ。入れるときと出すときは景色が違うほうがいい。ご飯はやっぱり、しゃもじでよそったほうがおいしいもの。

 この話をコンサート本番で言ったら、館内から、同世代のお客さんからウワーッと拍手が起こりました。その日のステージで一番ウケた話。

 私、思うんだけど、産業技術にしろ、接客サービスにしろ、お尻を叩いて、より優れた商品やサービスを提供するには、年寄りの不平不満、あるいは悲鳴、あるいは怒りの声が必要だと思うんですよね。

 世の中が正しい方向に発展、進化しているということを確認するために、老人が必要だと私は思うんです。

 そういう意味で、老人の不平不満にも価値があるんじゃないかなぁ。

 

 生きてゆく限り〝老い〟というものを避けては通れません。だからこそ、自分から〝老い〟という現実を引き受けようではありませんか。

 老いを引き受けるとは、老いと向き合うこと。ただ漫然と年齢を重ねるのではなく、しっかりと〝老い〟を受け止め、自分の糧とすること。一見ネガティブに感じる〝老い〟ですが、それをマイナスと捉えるかプラスと捉えるかは自分次第。

 年を取ることを悪く思わないで。ネガティブをポジティブに変換して、自分の年齢を付加価値に変えようじゃありませんか。

 だから皆さんも油断なく隙なく、老いてなお、老いてゆくからこそ、自分につける付加価値を絶えず探さないといけませんよ。

 私も油断できません。ただの老いぼれになっちゃいけない。

 ご同輩、ともに頑張りましょうぞ!

 

 

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