2025年のベスト・ブック

【第1位】

装画=吉實 恵
装幀=新潮社装幀室

『罪の水際』
ウィリアム・ショー 著/玉木亨 訳
新潮文庫

【第2位】
『ハウスメイド』

フリーダ・マクファデン 著/高橋知子 訳
ハヤカワ文庫HM

【第3位】
『アルパートンの天使たち』

ジャニス・ハレット 著/山田蘭 訳
集英社文庫

【第4位】
『ヴァイパーズ・ドリーム』

ジェイク・ラマー 著/加賀山卓朗 訳
扶桑社ミステリー

【第5位】
『ゆるやかに生贄は』

ドロシイ・B・ヒューズ 著/野口百合子 訳
新潮文庫

 

 2025年はアメリカで第二次トランプ政権が発足し、従来の世界秩序からは考えられない言動や出来事が多く報じられている。これは、トランプ大統領の世界観や政治的見解に同調できるなら快哉を叫ぶべき快挙であり、そうでなければ心が痛む惨事や悲劇である。そして社会の分断は、日本を含む多くの国家で一層進んだ。2025年のこの世界情勢は、小説の新作にも必ずや反映されていくことだろう。しかし、着想・執筆・刊行には時間がかかる以上、現時点ではそのような小説はまだ数が少ない。おまけに翻訳作品の場合、本国での原著刊行と、日本での翻訳刊行との間にタイムラグもある。2025年の現実が小説にもたらした果実を我々が味わうには、1年ないし数年は待たねばなるまい。

 

 ただし予見的作品というものも中にはある。5位に挙げた『ゆるやかに生贄は』はその典型だ。本国刊行はなんと1963年。親戚の結婚式に出席するため故郷を目指していた青年医師が、道中で若い女性のヒッチハイカーを拾う。そして街に到着後別れた彼女が、すぐ死体となって発見される。主人公は殺人犯として疑われる。ここまでなら普通のサスペンスにしか見えないはずで、60年後に生きる我々にとって生々しい物語には受け取れない。ところが豈図あに はからんや、という展開を辿るのが本書の肝であり、中盤で、2025年にも響くどころか直撃する物語に変容する。これ以上詳しく書くとネタバレになるので、気になった方は是非読んでいただきたい。哀しいのは、本書の中ではアメリカの首都ワシントンに、主人公にとって希望や救いになる、先進的なイメージを重ねられている点だ。60年以上を経過した今、ワシントンがそのような場であるかというと……。

 

 4位の『ヴァイパーズ・ドリーム』はCWA最優秀歴史ミステリ賞を受賞しており、本国刊行年は2023年ながら舞台を1961年ニューヨークに設定し、ジャズをフックに、麻薬密売人クラウドの半生を犯罪小説風に語る。クラウドは冒頭で、自分がこれまで「3回」殺しをしたと独白し、また「3つ」の願いを叶えてもらうなら何かを質問される。3という数字をキーに、クラウドは自分の来し方を振り返るのだが、ギャングの一代記として躍動感や没入感はピカイチである。加えて文庫にして300ページで過不足なくまとまっているのが素晴らしい。以上がオススメする理由だが、黒人であるがゆえの主人公の労苦が語られる点も見逃せない。60年以上経過した今、状況は改善されたのか?

 

 カルト教団が起こした大事件を18年後に調べる『アルパートンの天使たち』は、メール文面やSNS、録音、手記等のノンフィクション的ナラティブに統一し、それをもって、登場人物たちの言動のヴィヴィッド感醸出と、ミステリ的なサプライズ準備の二兎を追い、成功を収めた意欲作だ。手法自体は作者の前作『ポピーのためにできること』と共通ながら、前作では若干目立った、特殊な語り口を採用したことにより時々生じていた退屈なページが、ほぼ姿を消している。真相の隠し方や、真相解明時のショックの演出手法も上手い。小説家としての腕が明らかに上がっている点を高く評価し、3位とした。なお本書で描かれたカルトの空恐ろしさは、2025年の現実世界にも直接的に響く。

 

 と、このように、私は2025年の世相にすっかり脳を焼かれている。とはいえそれでもやはり私はミステリ・ファンであり、そういった現実の憂さを忘れて、素朴に、ミステリをミステリとして楽しみたい。2位に挙げた『ハウスメイド』は、そういった期待に見事に応えてくれる。まず、500ページ超で、登場人物が事実上5人しかいない作品において、ジェットコースター的スリルをずっと味わわせてくれるのが素晴らしい。通常、この分厚さでこの人物数となると、妙に重苦しい小説になるか、逆に内容スカスカの薄っぺらい物語になるかだが、これはどちらにも振れず、スピード感と緊張感が横溢し一気読みできる作品となっている。前科持ちの女性主人公ミリーが、住み込みのメイドとして裕福な家庭に雇われる。しかし雇用主ニーナの様子がおかしい。娘のセシリアは極端なまでに無愛想。そして亭主アンドリューは妻ニーナに忖度している様子。庭師のエンツォは、英語を話さずイタリア語でミリーに危機を訴えているように思われる。序盤のこの初期状態から、物語は状況を頻繁かつ恒常的に変容させていき、どんでん返し的展開すら随所に挟んで、最終的には、思いもよらなかった地平に読者を運ぶ。驚きたい人にイチオシ。

 

 1位の『罪の水際』は、逆に、落ち着いた静かな質感を保ち、捜査と推理、事件の背景事情を丁寧に描く作品である。主人公はPTSDで休職中の女性刑事で、調子は本当に悪そうながら、田舎町での夫婦惨殺事件と、数年前の猟師失踪事件を綿密に調べていく。英仏海峡に臨むダンジェネスという特徴的な土地の雰囲気が匂い立つ中、主人公の私生活、事件関係者の人生が、徐々にしかし鮮やかに立ち上がってくる。謎の提示や伏線の処理も達者で、事件は丁寧に解きほぐされていく。そして適度な意外性もある。疑いなく現代イギリスの本格ミステリの精華といえ、作者の実力は確実に、アン・クリーヴスに匹敵する。作品世界にじっくり浸りたい人は必読。