2024年のベスト・ブック

【第1位】

装画=ヤマモトマサアキ
装幀=水戸部功(next door design)

『両京十五日 1凶兆 2天命』
馬伯庸 著/齊藤正高、泊功 訳
早川書房

【第2位】
『魂に秩序を』

マット・ラフ 著/浜野アキオ 訳
新潮文庫

【第3位】
『ボタニストの殺人』

M・W・クレイヴン 著/東野さやか 訳
ハヤカワ文庫

【第4位】
『エイレングラフ弁護士の事件簿』

ローレンス・ブロック 著/田村義進 訳
文春文庫

【第5位】
『喪服の似合う少女』

陸秋槎 著/大久保洋子 訳
早川書房

 

 翻訳ミステリは2024年も傑作が目白押しだった。その中で私が最も買うのは、馬伯庸『両京十五日』である。1425年、中国の明朝の皇太子・朱瞻基は、父親の洪熙帝が首都の北京で崩御した際、南京にいた。この史実をベースに、作者は明帝国の危機的状況を設定し、皇太子が南京から北京へ決死行を強いられる冒険小説として仕上げている。波乱万丈な道中も見事ながら、特筆すべきは本書のスケールと奥行きだ。

 誰が敵で誰が味方かわからない状況で、皇太子に同行するのは、南京で出会った、警吏、官僚、女医である。このうち警吏と皇太子は友情を結ぶ。警吏と女医は事実上の恋愛関係に陥る。皇太子も女医には好意を抱く。一族にまつわる過去の因縁が判明したりもして、一行の中の人間関係だけでも小説として読ませます。敵勢力も複雑に入り組んでおり、上巻と下巻で敵の様相ががらりと変わったりして予断を許さない。そして物語は、冒険・友情・恋愛の他に、謀略小説やノブレス・オブリージュ、ロードノベルの要素を増して、最後はミステリ的なサプライズすら用意するのだ。

 明朝は皇統に暗さのある王朝である。まず初代の洪武帝は元朝末期の戦乱期に頭角を現し中華圏を統一するが、その後に、建国の功臣をあらかた殺し尽くす大粛清を行った。後を継いだ孫の建文帝は、伯父の朱棣に内戦(靖難の変)を起こされ敗死する。建文帝が負けた原因の一つに、洪武帝の粛清によって人材が枯渇していたとの説もある。勝者の朱棣は簒奪して永楽帝となり、当時の首都・南京に居づらいため自分の本拠地である北京に遷都。英邁な君主が多い王朝初期でこれである。明朝には、他の中国王朝よりも濃い闇があると認識せざるを得ない。その永楽帝は1424年に崩御し、息子の洪熙帝が即位する。そう、1424年である。本書『両京十五日』の前年に過ぎないのだ。

 主人公・朱瞻基は功臣を殺し尽くした男を曽祖父に、甥を殺して帝位を奪った人物を祖父に持つ。世人は、彼の祖父・永楽帝が帝位を武力で簒奪したことを鮮明に覚えており、そういったことが大いにあり得ることは広く認識されている。そして物語には、永楽帝の事跡が影を落としていることが、次第にわかってくるのである。しかもそれは、上流階級に与えた影響に限定されない。我々は、時代を代表する人物だけに着目して歴史を学んだと勘違いしがちだが、実際にはどんな時代にも、歴史に名が残されていない庶民が何千万人もいる。本書は、庶民のリアルにも深く触れ、明朝の社会を上から下まで丸ごと、壮大なスケールで描き出す。圧巻の一言だ。

 2位のマット・ラフ『魂に秩序を』は、千ページ超の大著ながら、内容がたっぷり詰まった1冊である。主要登場人物の肉体的頭数は少ない。しかし主役と準主役がいずれも多重人格で、二人の多数の人格が、物語の中では実質的には別人のように描かれる。これで何が起きるかというと、登場人物自体は少ないのに実質的には群像劇となるのだ。メイン・プロットは、主役アンドルーが準主役ペニーを多重人格の困難から助ける青春小説に据えられている。アンドルーは多重人格に対して対処法を確立していて、それは、頭の中で屋敷を作り、他の人格と対話するというものだ。まさしく題名通り、魂に秩序がもたらされているわけで、この点では、インナースペースSFと言えなくもない。

 ただし一部人格は何か企んでいる気配があって、サスペンスの要素はある。そして紆余曲折を経た後、終盤で物語は完全に、いや本当にスムーズに、起きた事件の謎を調べて推理して解くミステリとなる。ちゃんと《犯人》を追い詰めていてびっくりしました。複層的で多面的な小説ではあるものの、読みづらくはないし、どの場面も面白いので、広くお薦めしたい。なお、失恋描写の精度の高さも特筆したい。中年ながら若い頃から全くモテない私は、記憶を刺激され、無事に致命傷を得ました。

 と、上位2作は不動なのだが、三位以下はたぶん訊かれるたびに違うことを私は言います。それぐらい、今年は良作揃いなのだ。ここでは3位は『ボタニストの殺人』を選ぶ。ワシントン・ポーものの第五長篇で、毒殺不能な状況で発生する連続毒殺事件と、レギュラー陣が容疑者の雪密室事件が並行して捜査される。不可能犯罪の魅力はもちろんあるのだが、それ以上に、娯楽性に振り切った波乱万丈痛快無比でぐいぐい進むストーリーが快調そのもの、読んでいてとにかく楽しい。完成度の点ではシリーズ随一ではないか。過去作品を読んでいなくても問題ない。未訳の第六長篇はちょっと暗いらしいので、明るく楽しく読めるのが確実なうちに、この名シリーズに手を染めておくことを薦めます。

 4位はシリーズ短篇集『エイレングラフ弁護士の事件簿』とした。刑事事件の被告人を裁判開廷すら待たず無罪放免するため、直接描写こそないが暗躍する弁護士の活躍を描く。軽妙洒脱な犯罪小説が好きな人はハートの真ん中を射貫かれるはずだ。各話毎にバリエーションが利いているのも良い。

 5位の『喪服の似合う少女』は、ロスマク風の私立探偵小説&シスターフッドとして完成度が極まっており、陸秋槎の現時点での最高傑作と断言したい。