アジアを中心とした旅に関する紀行ノンフィクションを数多く発表してきた、旅行作家の下川裕治氏の最新刊『バンコク旅の魅力再発見! アジアの優しさに出合う街歩き』が発売された。“元祖バックパッカー”の下川氏に、タイのバンコクについて、街歩きの魅力や最新の個人旅行術を聞いた。

 

取材・文=編集部

写真=中田浩資、下川裕治

 

 

人々の生活を丹念に見ていると、変わらないタイらしさが浮き彫りに

 

──最新刊『バンコク旅の魅力再発見! アジアの優しさに出合う街歩き』では、下川氏が長年通われているタイのバンコクについて、コロナ禍以降の最新事情を織り交ぜながら、その魅力を綴られています。バンコクは、ここ数年でどのように変わったのでしょうか。

 

下川裕治(以下=下川):一見、あまり変わっていないように見えるかもしれません。相変わらず渋滞は激しく、街角の屋台からはタイ料理のにおいが漂い、人々はそのなかで暮らしています。しかし、バイクタクシーや路線バスに乗り、屋台や食堂で辛いタイ料理を口にしながら、丹念にタイ人を観察すると、水面下ではさまざまな変化が起きています。

 

 暮らしは豊かになりました。そのなかでタイ人が捨ててしまったものと、守り通しているものがあります。守りつづけているものに目を向けると、そこにタイらしさが浮き彫りになってくる。いまのバンコクだから、その中身がよく見えるということかと思います。

 

──本書では、経済発展とともに変わっていくいっぽうで、普遍的な街の風景や人々の営みを取り上げています。単にノスタルジーだけではない、再発見して感じるバンコクの魅力とはどんなところでしょうか。

 

下川:たとえばタクシー代。諸物価があがるなかで、タクシー代も値あがりしました。政府は正式に発表しているのですが、タクシーに乗ると、昔ながらの運賃で走っているタクシーがかなりある。理由はタクシーメーター。どうも新料金の新しいメーターに替えるには、それなりの費用がかかるよう。その費用がない? あるいは新しいメーターにしなくてもなんとかなる? そんなタクシーに乗ると、客が少ないとドライバーは愚痴をこぼすのですが、それでいながら波風がたたない。面白い街だと再発見することになります。

 

 日本はインバウンド客や海外からの移住者が増え、さまざまな問題や軋轢も生まれています。しかし、バンコクは昔からインバウンド客が多かった。日本を凌ぐ国際都市だったんです。そのなかで、日本のような問題はまったくといっていいほど起きない。どこか外国人にそれほど関心をもたないようなところがあると思います。だから、訪れる外国人は心地いい。これが国際都市というものかと。日本にやってくる外国人が増えたことで、バンコクの国際都市としての認識を新たにするようなところがあります。

 

バンコクの街並み

 

元祖バックパッカー世代が感じる、バンコクの新しい楽しみ方

 

──かつて若い頃、バックパッカーとしてアクティブに個人旅行を楽しんでいた世代も、中高年からシニアになりつつあります。そのような大人世代でも、今のバンコクは楽しめるでしょうか。

 

下川:僕も含めて、今のシニア世代は若い頃、南北格差を使って旅にでました。物価の高い日本、安いバンコクという構図。アルバイトで貯めた資金でも、東南アジアなら結構優雅に旅をすることができた時代。バックパッカーはそのなかで生まれた旅のスタイルです。節約志向で旅をつづければ、少ない予算でも長い旅ができたんです。

 

 それを僕が知ったのは、タイ。北部でオーストラリア人に会い、「オーストラリアで1年働けば、3年はインドや東南アジアを旅できる」。それがバックパッカーの旅でした。「外こもり」というスタイルもそこから生まれた。しかし、その後、日本経済は停滞。円安、現地の物価高で以前のようなバックパッカー旅は難しくなりました。

 

 それでも、最近のアジア旅はシニアにとって楽に感じます。日本は高齢化が進み、年金や福祉が充実するなかで、「老人はひとりで生きる」ことを強いられるようになっている。いっぽうタイは年金も少なく、福祉政策も日本ほどではない。そこで暮らす人たちのなかでは、老人は家族で面倒をみるという意識が自然に定着している。そこに日本からシニア世代が行って、ときには杖をつき、ひとりで電車に乗る。それを見ているバンコクの人たちは気が気ではないようです。転ぶのではないか、そんな思いからつい手を差し伸べてしまう。それが日本のシニアにはありがたい。「ひとりじゃない」という感覚です。

 

 かつて、経済格差で日本の若者はアジアに救われましたが、その世代が今は老人格差のようなもので救われる。中高年やシニア世代にも、新しいバンコクの旅の楽しみが生まれていくと思います。

 

バンコク滞在中の過ごし方。移動は路線バス、夕飯は近くの家庭食堂

 

──ところで、下川さんご自身はバンコクに滞在中、1日をどんなふうに過ごされているのでしょうか。ひとりで、あるいは知り合いと食事する店や、外出するときの交通機関などはどうされていますか。

 

下川:滞在中は、仕事で借りているサービスアパートメントの部屋にこもって原稿を書いていることが多いんです。バンコクは自主的な缶詰部屋のようなものになってしまっている。ガイドブック『歩くバンコク』の編集にかかわっているので、その時期は、バンコクのその部屋が編集部のようになります。

 

 しかしバンコクだから、さまざまな知人もいます。日本人とはあまり会わないですが、タイ人からは連絡が入って、急ぎのときは彼らがやってくる。日本に観光で行きたいという相談も多いです。「どこがいいのか。交通機関は? 費用は?」など、ときに家族で行く人は全員でやってくる。暗に日本を案内してほしいというニュアンスを含んでいる。家の問題、子供の学校の相談もあるし、お金も絡んでくる。僕と同世代のタイ人は多くが引退しているから、その子供といっても40~50歳代あたりで、日本同様に子供の仕事や学校の話が多いです。日本に働きに行くという話にもなりますが、いまの日本はそう高い賃金はもらえない。そんなことをわかってもらうのに苦労します。彼らにとって、日本はいまだ経済大国。日本語の勉強をしている人は教科書持参でやってくるし、バンコクでの日系企業の就職を希望する人からの相談もあります。彼らと話をするために、カフェや店に行きます。

 

 日本から旅行でやってきた日本人と会うこともあります。ときには、旅のアテンド役になってしまう。彼らと会うために外出するときの交通機関ですが、バンコクの電車は高いので、なんとか路線バスのルートを考えます。よく知らない場所に行くことも多いから、知識を総動員して安い行き方を考える。やはり円安、バーツ高はつらいです。なので、最近は頻繁に路線バスに乗っています。運賃が安いからだけど、渋滞もあるのでバスは時間がかかる。乗っているのはバンコクの庶民。そんな人たちに紛れてバンコクを動いています。

 

バンコクの路線バス

 

 タイ人との夕食などもときどきあります。彼らが知っている店でビールを飲むのだけど、相手はだいたいシニアのタイ人。最近のタイの若者はあまりビールを飲まないし、そもそも酒自体を飲まない印象があります。指定される店は洒落たカフェが多い。タイも時代が変わったなと感じます。

 

 ひとりで部屋で原稿を書いているときは、夜8時ごろ、近くにあるアハーン・タムサンという注文スタイルの食堂に行きます。宿の周辺に住む人たちが食事に使う庶民的な店です。店のおばさんとは長いつきあいで、完全に顔見知り。僕の好みも知っています。とくになにを食べようと決めないで店に入ることも多く、おばさんとの会話で決まる感じです。

 

 たとえば、店に入るとおばさんから「なにか疲れた顔してるね。辛いものにする?」などといわれます。一度、「辛い料理を食べると元気が出る」とおばさんにいったことがあって、そういうことを覚えていてくれる。そして、「じゃあキーマオね」と、おばさんがメニューを決めてしまう。

 

 キーマオはタイ料理のなかでもかなり辛くて、生のコショウの粒がさっぱりさせてくれます。まだまだ仕事があるときは、あまり米は食べません。眠くなってしまうからです。そういうことも店のおばさんはわかっているから、僕の顔を見て、「キーマオママー」をつくってくれます。ママーはインスタント麺。激辛の料理に体が軽くなるような気がします。料金は50バーツ、約250円くらいです。部屋で仕事をしているときはあまり酒も飲みません。深夜、疲れはて、日本の家にLINEを送って、缶ビールを飲んで寝るぐらいです。

 

アハーン・タムサンの店先

 

〈後編〉に続きます。