『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)でデビュー後、『ルポ歌舞伎町』(彩図社)や『ルポ路上生活』(KADOKAWA)など、話題のノンフィクションを発表してきた國友公司さん。11月20日に発売される『ルポ路上メシ』では路上生活者や生活困窮者とともに炊き出しの列に並び、ともに食事をしながら彼らが抱える事情や置かれた状況を深掘りしている。33歳のルポライター、國友さんに新刊にまつわる話を聞いた。
彼らが求めているのは質より量でした。
──『ルポ 路上メシ』は毎回、國友さんが炊き出しに足を運び、取材をしています。そもそも國友さんが炊き出しに興味をもったきっかけは何ですか。
國友公司(以下=國友):初めて炊き出しの行列を見たのは高校生もしくは大学生になったばかりの頃だったと思います。高校生からは埼玉県に住んでいましたが、それまでは栃木県の那須に暮らしていたので東京に来たこともほとんどありませんでした。もはや何のために上野公園に行ったのか覚えていませんが、黒、紺、灰色など、暗めの色の服を来た100人近い男性高齢者たちが東京藝術大学前の広場に行列をつくっていた光景だけは覚えています。
私は大学では芸術学部に属していたので、いま考えると高校生のときに東京藝術大学の学祭や展示会を見に行った帰りだったかもしれません。しかし、仮に母親に「幼稚園のときに遠足で行った上野公園で炊き出しの行列を見ていた」と言われれば、信じてしまいます。それくらい、とにかくその光景だけは長い間記憶に残っていたんです。
あの行列が炊き出しだったことに気づいたのは、大学4年生のときだったと思います。私は大学を3年休学していたので、そのときすでに23歳でした。大学はわりといいところへ行ったので、今思えば就職先は探せば見つかったかもしれません。しかし、3年間も大学を休み、専攻していた都市計画にも打ち込めていなかった私は、「自分みたいな人間を雇ってくれる会社なんてあるわけがない」と思い込んでいました。
自分の将来を悲観的に考えるようになると、次第にホームレスや生活保護受給者といった貧困問題に興味を持つようになりました。そして、大学の卒業論文のテーマを「ホームレスの生活実態」に決め、その調査で訪れた上野公園で行列に並んでいる人が食料を受け取り、立ちながらメシをかき込んでいる姿を見たと記憶しています。長い間、記憶だけには残っていたあの行列の謎が解けて以来、その場所ではどんなものが配られているのか、どんな人が来ているのか、どんな人生を歩んできたのか、強い興味を持つようになりました。
──炊き出しに集まるのはどのような人が多いのでしょうか。
國友:炊き出しに並んでいる人は全員ホームレス、というのが世間の一般的な印象だと思います。しかし、実際ホームレスは並んでいるうちの2~3割ほどに過ぎず、ほとんどが生活保護費を受給している人でした。そして、中にはその多くをギャンブルに使ってしまったゆえに炊き出しに並んでいる方も少なくありません。
ギャンブルによる困窮で炊き出しに並ぶ光景を目にしたら、世間の人々の中には反感を抱く人もいるかと思います。ただ、意外なことに支援をしている方たちはとくに気にしている様子はありませんでした。
また、炊き出しは生活困窮者たちの情報交換の場になっています。この本の取材で都内や横浜、大阪などさまざまな地域の炊き出しを巡りました。都内や横浜でも並んでいる人たちの交流は盛んですが、大阪には独特の明るさがありました。大阪の人は自分が置かれている状況をあまり悲観的に捉えていないように感じました。
──本を読むと、炊き出しのメニューがバラエティに富んでいることに驚かされました。炊き出しに集まる人たちに喜ばれるメニューと、逆にあまり人気がないメニューを教えてください。
國友:彼らが求めているのは質より量でした。それほど高価な食料ではなくても、とにかくいろんな種類の食料が一気にもらえる炊き出しが評価されていました。次に人気なのは手作りの食事です。私も食べていて思いましたが、その場で人が作ってくれる食事には特別な美味しさがありました。よって、手作りの食事を出しつつ、ほかにも持ち帰り用の食料をいくつかくれる炊き出し(錦糸町の『地の果て教会』や渋谷の『ちかちゅう給食』)がもっとも人気です。
キリスト教会による炊き出しでは牧師の説教を聞くことがほぼマストになっているのですが、その説教が長いわりにたいした量がもらえない炊き出しは人気がありませんでした。労力と成果を天秤にかけて、行かないという選択をしている方もよく見かけました。
──本書は週刊大衆の連載がベースになっています。毎週の原稿を書き上げるための取材では、どんな苦労がありましたか。
國友:取材を始めた当初は週にひとつの炊き出しを見つけることすら大変でした。しかし、途中で年金生活者の男性で炊き出しのエキスパートである菊蔵さん(仮名)から、炊き出し界隈の「機密文書」を譲り受けてからはその苦労はなくなりました。詳細は本を読んでみてほしいのですが、そこには週に70カ所の炊き出しと、菊蔵さんが追記したほかの炊き出しのスケジュールが記載されていました。
しかし、あるはずの炊き出しが急な予定変更でなくなっていることも多く、空振りが続いたときは苦労しました。なぜか炊き出し会場には誰も並んでおらず、自分だけが予定変更に気付いていない。ネットで通知されているわけでもありません。「炊き出し界隈」にはそういった情報を共有する網が形成されています。彼らは週に4~5日、多い人は毎日、炊き出しに通い詰めています。週に1回程度の頻度では、その網に食い込むことはできないのです。
──本書の中で、國友さんは人生に挫折したり、生活に困窮していたりする人にさまざまな話を聞いています。特に心に残っている出来事などはありますか。
國友:「機密文書」を譲ってくれた菊蔵さんは「家はあるのか」「食事に困っていないか」「困っていることはないか」と、よく気に掛けてくれました。困っている人を放っておけない性格のようで、私のほかにも面倒を見てもらっている人が何人もいました。しかし、炊き出し界隈の中には「菊蔵みたいな奴が情報を言いふらすもんだから、炊き出しに人が殺到してもらえる食料が少なくなっている」と文句を言う人もいました。おそらくそれが原因で、ある時期から炊き出しで菊蔵さんの姿を見ることがなくなってしまいました。
また、90代の母親と二人で暮らしている70代の女性は、30代で夫を亡くし、炊き出しに頼りながらなんとか生活していました。ほとんど家から出られない母親の分の食料を抱えながら帰っていく後ろ姿には辛いものがありました。妻が自殺したことを機に生きる気力を失ってしまい、ホームレスになってしまった男性もいました。国民全員が幸せに暮らす……というのは不可能に近いことだと思いますが、こういった事例を目の当たりにすると、どうにかならないものかと思ってしまいます。
──國友さんが炊き出しの取材を続ける中で、令和の日本のどんな実像が見えてきましたか。
國友:生活保護を受けるか、ホームレスになるか、選択を迫られた末に自らホームレスを選んでいる人がいます。わかりやすくいえば、望めば生活保護を受けてアパートなどで暮らせるけれど、生活を他者に管理されることへの拒否感などからあえて路上生活を選択している、ということです。もちろん、その人たちもホームレスを好きでやっているわけではないものの、今の日本では自分の意思で路上生活を選んでいるケースが多いという現実があります。
より考えさせられたのは生活保護受給者の暮らしでした。本書のあとがきに、〈生活保護を受けて借りた部屋と他人の施しで生きるこの生活は、人が幸せに暮らすための「何か」が欠けているような気がしてならない〉と書きました。当事者にそう思わせている世間が悪いという考えも理解することができますが、逆に「生活保護でいいや」と開き直ってしまった瞬間に、やはり幸せに暮らすための何かが失われてしまう気もします。もちろん、生活保護を受けてしかるべき人は確実に存在します。そういう方は躊躇なく申請すべきなのは言うまでもありません。
──最後に今回の炊き出し取材を含め、取材活動で気を付けていることがあれば教えてください。
國友:たとえ、生活保護費をギャンブルで溶かしていても、炊き出しでもらった食事をゴミ箱に捨てていても、相手のことを非難しないことは気を付けていました。そもそも、私は現場の事情を知りたいだけで、彼らの生活をよりよくしたり、変わってほしいとまでは思っていません。現在の生活に至った理由は人それぞれであり、一時的に人間関係を持ったにすぎない私などに彼らの生活を推し量ることなどできないからです。